夏の甲子園・・・正式には全国高等学校野球選手権大会(主催・朝日新聞社、日本高等学校野球連盟、特別協力・阪神甲子園球場)・・・まっ盛りです・・・
NHKが全国ネットでテレビ中継・・・冷たいものを飲みながらテレビ観戦です。 野球って面白いですね。試合の進行にドラマがある。1点を争うロースコア試合だったり、20点も得点するハイスコア試合だったり。予測不能です。だから見る・・・
全国のオジサンはこの時期、一億総解説者、総評論家になります。
金村義明著「在日魂」(講談社文庫 2004年刊)です。
金村義明さん(1963年~)・・・1981年春夏の甲子園に兵庫県代表報徳学園高校から出場、夏の優勝投手、すべての試合に完投、四番打者として打率.545。ドラフトで近鉄バッファローズに入団、中日、西武球団で13年間。生涯打率.258。記録の上では一流選手になりえなかったが記憶に残る個性の強いプロ野球選手だった。本の題名どうり在日三世であり、そのことを隠していない。高校生まで朝鮮籍、韓国籍に切り替え、現在は日本籍。
本の中から・・・高校野球部の実態・・・
金村選手は母親の方針で民族学校に入らず公立小学校へ、野球に憬れ報徳学園中学校に入学。中学の1学年の生徒数は80人、その半分の約40人が野球部。エースで四番だったという。報徳学園高校に入ると1年生の野球部入部人数は約120人。京阪神のリトルベースボールの名の知れた一流選手がズラリ。これが1ヶ月でやめさせるためのシゴキ練習みたいなもの、むかしの軍隊のような上級生の無用のイジメで・・・半分に、さらに30~40人に減っていく。中学生の一流選手がフルイで落されていくのだから野球名門校は強いはずだ。選りすぐった選手で構成されているのだ。
中学校では金村選手の背番号が1番から突然18番になったり、お母さんが応援席で悔しい思いをさせられるシーンもある。
30~40年昔の話しだ。いまは・・・そんな話はないようだ。
野球人としての金村義明の話しもさることながら、在日としての金村義明、その母の姿が・・・伝わってくる。
NHKが全国ネットでテレビ中継・・・冷たいものを飲みながらテレビ観戦です。 野球って面白いですね。試合の進行にドラマがある。1点を争うロースコア試合だったり、20点も得点するハイスコア試合だったり。予測不能です。だから見る・・・
全国のオジサンはこの時期、一億総解説者、総評論家になります。
金村義明著「在日魂」(講談社文庫 2004年刊)です。
金村義明さん(1963年~)・・・1981年春夏の甲子園に兵庫県代表報徳学園高校から出場、夏の優勝投手、すべての試合に完投、四番打者として打率.545。ドラフトで近鉄バッファローズに入団、中日、西武球団で13年間。生涯打率.258。記録の上では一流選手になりえなかったが記憶に残る個性の強いプロ野球選手だった。本の題名どうり在日三世であり、そのことを隠していない。高校生まで朝鮮籍、韓国籍に切り替え、現在は日本籍。
本の中から・・・高校野球部の実態・・・
金村選手は母親の方針で民族学校に入らず公立小学校へ、野球に憬れ報徳学園中学校に入学。中学の1学年の生徒数は80人、その半分の約40人が野球部。エースで四番だったという。報徳学園高校に入ると1年生の野球部入部人数は約120人。京阪神のリトルベースボールの名の知れた一流選手がズラリ。これが1ヶ月でやめさせるためのシゴキ練習みたいなもの、むかしの軍隊のような上級生の無用のイジメで・・・半分に、さらに30~40人に減っていく。中学生の一流選手がフルイで落されていくのだから野球名門校は強いはずだ。選りすぐった選手で構成されているのだ。
中学校では金村選手の背番号が1番から突然18番になったり、お母さんが応援席で悔しい思いをさせられるシーンもある。
30~40年昔の話しだ。いまは・・・そんな話はないようだ。
野球人としての金村義明の話しもさることながら、在日としての金村義明、その母の姿が・・・伝わってくる。
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夏の甲子園は?
コメントありがとうございました。