比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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信濃国高遠藩内藤家下屋敷・・・ 新宿御苑を歩く

2010-03-11 | 道をゆく 東京散歩
3月4日東京に行った。上京というべきか。オノボリさんです。
上京の理由は渋谷区神南のNHKホールで行われる「家族で選ぶにっぽんの歌」の収録の入場チケットを知人から譲っていただいたからです。

さてNHKホールの入場時間にはまだ早い。地下鉄丸の内線新宿御苑前で下りて御苑外側の散策路を四谷大木戸門口まで歩いた。むかしの玉川上水路、いまはこの下を国道20号線(甲州街道)の地下トンネルが走っている。

散策路は往時の玉川上水を偲ばせる小川の造成中。

さて入園。東京新宿・・・ウン十年お馴染みの街・・・でも新宿御苑はお初です。
新宿御苑大木戸門口
むかしこのあたり四谷四丁目に大木戸がありました。江戸市中と甲州街道、青梅街道の境目に設けられた関所です。怪しいものが通れば「オイ!コラッ」なんてやってたのでしょうね。
また玉川上水御改場(水番所)があり、ゴミの除去、水量調節、分水などを行っていました。

ここは徳川家譜代大名信濃国高遠藩内藤家の下屋敷だったところ。大名家の江戸藩邸には、上屋敷、中屋敷とかがありますが、下屋敷は江戸郊外にあることが多く別荘、火災の避難所などに置いたのです。将軍家からの拝領ですが改易などになれば明け渡さなければなりません。維持費は国許の農民がヒイコラ言って稼いでいたのです。
新宿とは甲州街道の起点の日本橋と第1の宿「高井戸宿」が距離があるからという理由からで浅草の商人が莫大な上納金を積んで新しい宿場を開いたから。副都心計画ですね。
内藤様の下屋敷があって新しい宿場、それゆえ内藤新宿。 

侘び助・・・にしては花が大きいように思った。中国原産の渡りものの改良種と言われるが定かではない。

玉藻の池・・・1772年ごろの作庭といわれます。

ドコ(何処)のビル? ドコモ(DoCoMo)のビルだそうです
NTTドコモ代々木ビル。地上239.85m。50F分の高さで地上27F。六本木のミッドタウン(248m)、都庁(243.4m)に次いで東京で3番目の高さ。

フランス庭園の中のスズカケノキの並木道。
街路樹は高さを抑えていますがここでは堂々たる高木になっています。
サンシュユ・・・下の池の畔に。
イギリス庭園を過ぎて下の池に向かう途中で・・・カンザクラ・・・寒い・・・カンザケが飲みたい
 
新宿門に出ました・・・新宿駅南口(甲州街道口)から近い。都立新宿高校(旧府立六中・・・元は新宿御苑の一部)を横に見て明治通りを横切り甲州街道追分の新宿伊勢丹から新宿駅方面に。むかしの三越はテナントビルになっていました。むかし新宿中村屋で子どもにカレーライスを食べさせたことを思い出した。高級フルーツの高野の前を通りアルタのハイビジョンを見ながら新宿駅中央口へ。

新宿御苑・・・江戸時代徳川家譜代大名信州高遠藩内藤家の江戸下屋敷。内藤家は藤原家後裔というが仮冒(系譜詐称)の説が強い。家康の異母弟の流れかというのが定説。つまりガチガチの三河武士松平庶流系。1691年高遠33000石を領し明治まで継続。新宿の土地はとにかく広い。58㌶、ユックリ歩いて1時間はかかる。明治維新でお国に没収、植物試験場になり敗戦後1949年国民公園に。国民公園とは環境省所管の元皇室財産から公園になったもの(皇居外苑、京都御所、新宿御苑、千鳥が淵戦没者墓地)。

はじめての訪問ですがいいところです。東京ジャングル新宿にこんなところがあったなんて。また訪れたい。

《追記》この年、新宿御苑を八重桜の時期に再度たずねました。リンクしましたので、見ていただければと思います。
2010年4月20日・・・「ようやく春が・・・新宿御苑の・・・八重桜」
2010年4月21日・・・「ようやく春が・・・新宿御苑の・・・お花見」
2010年4月23日・・・「ようやく春が・・・新宿御苑の・・・草むらの花」

2010年4月24日・・・「ようやく春が・・・新宿御苑の・・・庭園を歩く」
2010年9月22日・・・「初秋の・・・新宿御苑の花」



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