秋の秩父路。椋神社で銀杏を拾ったあと城峰山へ。
県道37号線下吉田の椋神社のあたり吉田川の支流阿熊川にそって登って行きます。
狭い谷を上がっていくと「城峯山、キャンプ場
」の道標、
の色が褪色していて見えない
ここで矢印を誤認して30mくらい直進
なお284号線は矢印の方向。
しばらく行くと今度は左方向に。こんどはわかりやすい。
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しばらくするとまた左方向へ。ここで284号線(どこにも標識は無い)は皆野町上日野沢の門平方面に。城峰山は林道城峯1号線を登って行きます。
城峯神社入口に、駐車スペースもあります。ここから城峰山に登れます。
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ここまで下吉田から車で30分もかかりません。10kmぐらいでしょうか。車道ではなく人道を歩いたらもう少し距離は短いでしょう。8km(二里)ぐらいかな。徒歩で2~3時間?
城峰山の頂上まで散歩してきます。
《余談ですが》
秩父吉田町出身のかたでよくコメントをくださるハンドルネーム{縄文人」さんという方がおられます。子どものころこの山に遠足、学校林の植林、下刈りに来られたそうです。まさに
うさぎ追いし かの山
こぶな釣りし かの川
ですね。わたしも郷里が山間地でしたからわかります。
学校林・・・詳しいいきさつはわかりませんが山間地の村にはそういうものがありました・・・わたしの村にも。明治の時代、封建領主の山がお上の山になり村人の入会山だった山が村有林になったとき村人たちはその村有林の一部を学校林(学校教育のための特別財産)としたのではないかと思います。明治時代の先人たちの学校教育に対する熱き思いが伝わってきます。
県道37号線下吉田の椋神社のあたり吉田川の支流阿熊川にそって登って行きます。
標識です。ここから県道284号線(284号線なんていう標識はどこにもありません)に入ります。
たいへん小さな道で見過ごします。阿熊(あぐま)は集落名、江戸時代は阿熊村。
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たいへん小さな道で見過ごします。阿熊(あぐま)は集落名、江戸時代は阿熊村。
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狭い谷を上がっていくと「城峯山、キャンプ場
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しばらく行くと今度は左方向に。こんどはわかりやすい。
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しばらくするとまた左方向へ。ここで284号線(どこにも標識は無い)は皆野町上日野沢の門平方面に。城峰山は林道城峯1号線を登って行きます。
城峯神社入口に、駐車スペースもあります。ここから城峰山に登れます。
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石間峠(いさま)、標高950mくらいか。城峯山まで500m、標高差100m。
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ここまで下吉田から車で30分もかかりません。10kmぐらいでしょうか。車道ではなく人道を歩いたらもう少し距離は短いでしょう。8km(二里)ぐらいかな。徒歩で2~3時間?
城峰山の頂上まで散歩してきます。
《余談ですが》
秩父吉田町出身のかたでよくコメントをくださるハンドルネーム{縄文人」さんという方がおられます。子どものころこの山に遠足、学校林の植林、下刈りに来られたそうです。まさに
うさぎ追いし かの山
こぶな釣りし かの川
ですね。わたしも郷里が山間地でしたからわかります。
学校林・・・詳しいいきさつはわかりませんが山間地の村にはそういうものがありました・・・わたしの村にも。明治の時代、封建領主の山がお上の山になり村人の入会山だった山が村有林になったとき村人たちはその村有林の一部を学校林(学校教育のための特別財産)としたのではないかと思います。明治時代の先人たちの学校教育に対する熱き思いが伝わってきます。
学校林、その昔はそれなりに価値がありました。
学校の特別財源になったようです)
しかし、昔とは時代が逆で、材木が海から山に運ばれる時代になって、山の価値は二束三文・・・になってしまいました。
地名考・・・「阿」は接頭語(あまり意味は無い言葉)、「熊」は山を表すクマ(熊本のクマ、球磨川のクマ)というあてずっぽうの推定です。つまり「お山」という意味?
学校林・・・むかしは薪ストーブの薪、新校舎を造る材木、さらに材木を売って建築費用まで出すということができたようです。いまは山を管理するということだけで赤字のようです。どうなってるのでしょう。