9月19日彼岸の入り・・・お先祖様にお線香をあげに・・・信州上田まで日帰り。
上田からの帰り道・・・ハラが減った・・・小諸の街に・・・
小諸といえば・・・小諸なる古城のほとり・・・「千曲川旅情の歌」・・・ですね。この詩を書いた島崎藤村の名はいまは知らない人もいるかも。
江戸時代の小諸藩15000石の城下町。小諸城はいまは城郭のみ残り懐古園に。
江戸時代の北国街道小諸宿の宿場町。いまもそんな雰囲気の残る街。
※小諸市・・・人口42000人、地名の由来は、コは接頭語、モロは盛り上がったところ、脆い地・・・小高い山の崩落地、村→室→諸に変化・・・など諸説ある。
※「千曲川旅情の歌」・・・島崎藤村が小諸義塾教師のときの1905年に発表した詩集「落梅集」に収められた「千曲川旅情の歌」「小諸なる古城のほとり」。のちにこの2篇を藤村自身が合わせたもの。
※島崎藤村(1872~1943年)・・・明治、大正、昭和を代表する文豪、1899~1905年の6年間を小諸義塾教師として過ごした。この間「千曲川のスケッチ」「破戒」の執筆を始め1906年上京し小説「破戒」を自費出版。「千曲川のスケッチ」に紹介された一膳めしや「揚羽屋」はいまも小諸駅近くで営業しています。
※小諸城の遺構・・・懐古園の入口に「三ノ門」、大手町に「大手門」、本町の坂を上った光岳寺の総門が「足柄門」、小諸市平原の正眼寺の山門が「黒門」。城マニアは尋ねて見てください。
※じっくりと歩きたい街です。小諸といえば「千曲川旅情の歌」に歌われた古城跡の懐古園ですが、宿場の雰囲気を残す町並みがイイ。
上田からの帰り道・・・ハラが減った・・・小諸の街に・・・
小諸といえば・・・小諸なる古城のほとり・・・「千曲川旅情の歌」・・・ですね。この詩を書いた島崎藤村の名はいまは知らない人もいるかも。
江戸時代の小諸藩15000石の城下町。小諸城はいまは城郭のみ残り懐古園に。
江戸時代の北国街道小諸宿の宿場町。いまもそんな雰囲気の残る街。
小諸城大手門(1612年建造、国指定重要文化財)・・・小諸駅に近い街の中の一角にポツンとに建っています。
学校帰り・・・駅に向かう高校生たち・・・ここが近道らしい。
明治維新で民間に払下げ、料亭になったり小諸義塾の教室になったり、いろいろあって2008年修復、復元。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/3c/fb02f6feeb49102f5c51cdf48801e2f6.jpg)
本町(ほんまち)通り・・・北国街道の宿場の雰囲気を残す町屋。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/97/26447bd2ad270cb67f6005b82ce81504.jpg)
脇本陣代・・・だそうです。いまは「そば七」・・・臨時休業・・・ザンネン![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ang.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/aa/c93e72302ab4edab51408fd2abce96a5.jpg)
学校帰り・・・駅に向かう高校生たち・・・ここが近道らしい。
明治維新で民間に払下げ、料亭になったり小諸義塾の教室になったり、いろいろあって2008年修復、復元。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/3c/fb02f6feeb49102f5c51cdf48801e2f6.jpg)
本町(ほんまち)通り・・・北国街道の宿場の雰囲気を残す町屋。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/97/26447bd2ad270cb67f6005b82ce81504.jpg)
脇本陣代・・・だそうです。いまは「そば七」・・・臨時休業・・・ザンネン
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ang.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/aa/c93e72302ab4edab51408fd2abce96a5.jpg)
※撮影は9月19日 Panasonic LUMIX DMC-TZ85。
※小諸市・・・人口42000人、地名の由来は、コは接頭語、モロは盛り上がったところ、脆い地・・・小高い山の崩落地、村→室→諸に変化・・・など諸説ある。
※「千曲川旅情の歌」・・・島崎藤村が小諸義塾教師のときの1905年に発表した詩集「落梅集」に収められた「千曲川旅情の歌」「小諸なる古城のほとり」。のちにこの2篇を藤村自身が合わせたもの。
※島崎藤村(1872~1943年)・・・明治、大正、昭和を代表する文豪、1899~1905年の6年間を小諸義塾教師として過ごした。この間「千曲川のスケッチ」「破戒」の執筆を始め1906年上京し小説「破戒」を自費出版。「千曲川のスケッチ」に紹介された一膳めしや「揚羽屋」はいまも小諸駅近くで営業しています。
※小諸城の遺構・・・懐古園の入口に「三ノ門」、大手町に「大手門」、本町の坂を上った光岳寺の総門が「足柄門」、小諸市平原の正眼寺の山門が「黒門」。城マニアは尋ねて見てください。
※じっくりと歩きたい街です。小諸といえば「千曲川旅情の歌」に歌われた古城跡の懐古園ですが、宿場の雰囲気を残す町並みがイイ。
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