比企の丘

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秋の文化の日 益子町の陶器市・・・三年前の登り窯は今

2014-11-13 | 道をゆく 関東
11月3日、3年ぶりに焼き物のふるさと益子町の陶器市に行ってきました。
前に訪れたのは2011年5月、東日本大震災から2ヶ月後、あのとき訪れた登り窯も気になっていました。

2009年11月3日に訪れたとき見た登り窯。

2011年5月3日に見た登り窯。

見事に復活していました。

登り窯の年次アーカイブです。この登り窯は城内坂を登りつめたあたり、通りに面した陶器店の庭の奥にあります。益子を訪れたときぜひ見てください。こうして登り窯が元気になったところを見て嬉しかったです。

益子の陶器》瀬戸、有田と並んで益子は焼物のふるさとですが、その歴史は浅く約160年前。幕末に近い江戸末期、大塚啓三郎なる人が茨城県笠間で笠間焼きを修業、領主(黒羽藩主)の後援でここに窯を築いたのが1852年。1855年御用窯に。日常雑器を量産、鬼怒川水運を利用し江戸で販売、明治期になってもおおいに栄えたといいます。
益子焼の名前が全国的に広まったのは民芸運動の陶芸家濱田庄司(のちに人間国宝)が1930年ここに定住するようになってから。陶祖は大塚なる人ですが濱田庄司は中興の祖といえます。
益子焼・・・あくまでも日常雑器です。ボッテリとした釉薬の重くて壊れやすい土物です。


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