比企の丘

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硫黄島・戦場の郵便配達

2006-12-10 | 語り継ぐ責任 あの戦争
土曜日だというのに最近のテレビはロクなものがない。自分勝手に編集したMDを聞きながら本を読んでいた。ふと新聞を見るとこんな番組紹介があったので見ることにした。戦記もののドラマは妙にミリタリズム(軍国主義)の高揚があり、それとボロボロに負けるのは悲しくてキライなのだが引きずりこまれてしまった。

12月9日公開の映画「硫黄島からの手紙」にあわせての放映とか。
将校もおじさんたちもワカモノたちもみんな一生懸命だったのだ。やり場のない怒りをどこにも持って行けなかったのだ。家族愛、友に対する愛がヒシヒシと伝わってきます。絶叫型ではなくオサエたドラマになっています。終わりまでお付き合いしてしまいました。



若者達よ、映画「硫黄島からの手紙」「父親たちの星条旗」ぜひ見てください。宣伝ではありません。私は見ていないのでどんな映画か知りません。見てどんなことを感ずるかは人それぞれです。戦争とは勝っても負けても悲惨なものです。チッチャな硫黄島で大ぜいの人が死にました。

硫黄島・・・東京都小笠原村 東西8㌔、南北4㌔、本州から1200㌔。
   1945年3月17日に日本軍全滅。死者21900名、生存者1023名
              米軍側    死者6821名、 戦傷者21875名


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7 コメント

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サイパンもグアムも (lohas)
2006-12-10 17:04:06
今でこそ手ごろな観光地ですが、残存する砲台の瓦礫等を見てなにか感じないでしょうか?
 60年前ここで何が起こったのか?
 そんなことを思う旅もいいのでは。

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Unknown (めんた)
2006-12-10 20:16:07
私もこの番組見てました(*^_^*)もぅー感度ぅーで゛した(*^_^*)戦争は絶対にもぅーやらないでほしい。罪も無い人たちがなぜ死ならないといけないの。お国のために勤めないといけないのって(*^_^*)只今、介護中のおばあちゃんの旦那さんも兵隊で戦争に行って亡くなりました。戦争はひさんです
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硫黄島 (自然大好きおじさん)
2006-12-10 23:22:10
最近マスコミの影響で硫黄島の名前が結構出てくるようになりました
私は映画がどんな内容か知りません
(これからみて見ようと思っています)

私は硫黄島を見る機会2回が有りました

戦後60数年 普通の一般人が硫黄島を訪れる機会はそうありません
私は東京都父島村が企画した「硫黄島の自然を知る」と言うような企画に参加して初めて硫黄島の今までの歴史.位置からその戦争中の硫黄島の置かれた重要性などを知らされました

硫黄島の戦いで日本の敗戦が決まったと思います 
あそこで沢山の方々が亡くなりました

船には硫黄島にいろいろな思いのある方々が沢山乗っていました
(その船に乗らなければ硫黄島を見る事が普通の人には出来ないからです)
戦後60数年の歴史をしみじみ感じました

硫黄島に行ったことは私には凄くいい経験だと思っています

硫黄島の戦いがあって今私達が生きていられるのだと思います

自然大好きおじさん
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訂正~~ (自然大好きおじさん)
2006-12-10 23:25:05
父島村ではなくて小笠原村でした....
ごめんなさい
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Lohasさんへ (ヒキノ)
2006-12-11 08:38:47
戦争における兵士というものはいかに美化しても最終的には弾丸と同じく消耗品なのですね。これは日米ともに同じですね。双方の戦傷者数を見てそう思いました。
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めんたさんへ (ヒキノオカビト)
2006-12-11 08:41:22
久しぶりでウルルンするドラマを見ました。
明日は草君の「僕の歩く道」がありますね。
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自然大好き (ヒキノ)
2006-12-11 09:04:16
ブログに投稿する場合、中途半端な知識はミットモナイと思いウェブ等で調べます。硫黄島は慰霊祭のときぐらいしか一般人は上陸できないので数少ない機会だったですね。小さな島ですが立地条件から見てみると補給基地としてキーポイントになっていたのでしょうか。
両軍合わせて5万人近くの戦傷者を出していますね。米軍はこれを沖縄戦に生かして沖縄戦では鉄の雨を降らして犠牲者を抑えています。ここで玉砕(全滅)した日本はさらに犠牲者を積み重ねました。
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