9月30日某テレビ局開局45周年記念ドラマスペシャルを見ました。
このお話しは今から64年前にあった真実です。
物語ではありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/d1/8f5195fa97b067b96cf4711a6a87d308.jpg)
このお話しは今から64年前にあった真実です。
物語ではありません。
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今から64年前の1945年の4月から6月、太平洋戦争の末期、日本本土で一般住民を交えた唯一の地上戦のあった沖縄で戦火の中を逃げまどった7歳の少女のお話しです。父の安否を尋ねて首里から南部の真壁に姉、兄と逃避行、9歳の兄は流れ弾に当たり即死、米須海岸の砂に兄を埋め、姉とはぐれ、1人さまよい歩きます。もちろん食べるものもありません。
ふと入った珊瑚礁のガマ(自然洞窟)の中で両手両足を失ったおじいさんと盲目のおばあさんに会い数日を過ごします。6月23日、日本軍牛島総司令官の自決、沖縄戦は終決を迎え、投降を呼びかける米軍のビラ、スピーカーの声。
おじいさんは少女に一人で投降するように語りかけます。
「富子、この世でいちばんたいせつなのは、人の命(ぬち)なんだよ」・・・・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/00/7d7ec6cf8876373ff62d27d09a11cdbd.jpg)
ガマの中のオジイとオバアに作ってもらった白旗をしっかり持って歩いています。
「それをもっていけば、ぜったいに安全なのだ。それが世界中の約束だから」・・・
カメラのレンズが銃口に見えました。レンズを向かって笑って手を振りました。
「泣きっ面を見せるな。最後は笑って死ね」・・・という父の言葉を思い出したのです。
この日は1945年6月25日、沖縄守備軍司令官牛島中将が自決した二日後です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/00/7d7ec6cf8876373ff62d27d09a11cdbd.jpg)
ガマの中のオジイとオバアに作ってもらった白旗をしっかり持って歩いています。
「それをもっていけば、ぜったいに安全なのだ。それが世界中の約束だから」・・・
カメラのレンズが銃口に見えました。レンズを向かって笑って手を振りました。
「泣きっ面を見せるな。最後は笑って死ね」・・・という父の言葉を思い出したのです。
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この日は1945年6月25日、沖縄守備軍司令官牛島中将が自決した二日後です。
少女がさまよったのは摩文仁村米須(まぶに村こめす・現糸満市)・・・ひめゆりの塔のある集落、喜屋武岬(きゃん岬)から摩文仁の丘の間のあたりと思われます。この海岸には沖縄最初の慰霊塔といわれる二万体余の遺骨を集めた魂魄の塔があります。
白旗を持った少女の比嘉富子さんが体験を記録として本にしたのは1989年51歳のときです。作リ話ではなく証言ですから原作といってはいけないでしょう。脚本は比嘉富子さんの本をほとんど脚色せずに書いています。演出も、ありのまま・・・のようにです。6歳の子どもの視点に立って映像作りをしています。
6歳の子どもの目線ですからイデオロギーも論理も、プロパガンダもありません。
国と国が戦いあう、人と人が殺しあう・・・このことについても語っていません。
このことについては人それぞれが考える問題です。
比嘉富子さんがこのことを世間に公にしたのは42年後の1987年49歳のときです。
経緯について→9月20日のブログ「命どぅ宝・・・白旗の少女」
児童書です。一読してもらいたい本です。
このお話しは今から64年前にあった真実です。物語ではありません。
そして沖縄は日本の本土です。よその国の話しではありません。
そして沖縄は日本の本土です。よその国の話しではありません。
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もうずっと昔に、このあたり喜屋武岬、魂魄の塔、健兒の塔、ひめゆりの塔、摩文仁の丘と歩きました。
今も、沖縄では基地状態であることがせつないです。
この記事、大田実少将の記事、島田知事の記事は、いまも毎日閲覧があります。
戦争とは何かを考えてもらえたらと思っています。
私のブログ、写真、引用することがあればご自由に使ってください。
掲載頂くことができました。
大切な記事を拝見させて頂き短歌を詠む参考にさせて頂き感謝を致しております。
「白旗の少女」の事も知っていましたが、このドラマでより当時の事情がよくわかりました。
「命どぅ宝」と富子さんに言った老夫婦の心の中からの言葉を私たちは、いつも忘れてはならないと思いました。
児童書ですから辛い話しを子どもにも読めるように書いています。
テレビより本のほうがずっといいような気がします。
比嘉さんは本を書いたときは51歳、大学に行ってたそうです。行動的な人ですね。
本の記述では「おじいさんとおばあさんとの約束だから・・・あの場所は誰にも教えない・・・」
それ以上のことは本人しかわかりません。
私もshizukataさんと同じように気になります。アメリカ兵にとって軍人より怖いのは民間人です。兵士の制服なら軍人とわかりますが民間人は銃器を持ってるかどうかわからないからです。これは今も同じでアラブで民間人を攻撃してしまうのはそういうことからです。ガマの中で焼き殺されたか救出されたかは富子さんはわからなかったでしょうね。このことで一生負い目を背負ったような気がします。
集団自決で生き残った人が語らないのはそういうことです。
レンタルビデオも出るでしょう。
ジーンと来て涙が出るドラマでしたよ。
とっても素晴らしいドラマでした。
ジーンと来ました。
おじいさんが子どもに「命の大切さ」を言って聞かせる言葉、どこでも通用する言葉です。
沖縄の人は明るくて屈託のない人が多いですね。
日本軍の人も国に妻子を残してきたイイ人でしょうが、ああいう場合みんな人が変わってしまいますね。
おじいさんの言葉・・「命どう宝」・・・「親から貰った命」・・・昔から語り継がれた言葉です。
写真を巡る勝手な論争が起こりそれを避けるため手記を表したといってます。
もちろん恒久平和のために。
イデオロギーを展開しない映像・・・「禁じられた遊び」「二十四の瞳」・・・これでじゅうぶんに思いは訴えられます。
ビデオが出るでしょう。ぜひ見てください。
録画して見直しています。
満州でも置き去りにされた子どもがいっぱいいます。富子さんのように生きた子、生きられなかった子、いっぱいいたでしょう。
富子さんはこんなことがもう永久にないようにこの手記を綴ることにしたそうです。
おじいさんのお話のところだけでも読み聞かせしたいお話しです。
戦争物は見るのが辛すぎて、本もテレビもこれまで避けて通ってきたのですが、
ヒキノさんのブログを読み始めてから、
もう逃げていちゃいけない!と思い始め、
少しずつ書物を読んだりするようになりました。
今回は、残念ながらこの番組を見る事ができませんでしたが、
ぜひ本を購入して、事実をきちんと受け止めたいと思っています。
紹介してくださって、ありがとうございます。
ふんどしの白旗を作って持たせてくれた老夫婦はどうなったのでしょうか。
火炎放射器で焼かれてしまったのでしょうか。気になって
涙が出ました。戦争の犠牲者はどこでも子供や民間人。
今でも戦争の犠牲者が世界にはたくさん出ている。愚かなる動物
それは人間。
孫と同じ年の富子ちゃんの体験した事は、衝撃的で涙なしでは見ることができませんでした。
戦争とは、人の精神を狂わせてしまうのですね。
心もなにもかも無くしてしまうのですね。
比嘉富子さんが生き延びたのは、戦争を知らない私たちに伝えるために魂の後押しがあったのではないかと思いました。
孫と再度、一緒に見たいと思います。
ヒキノさんありがとうございます。
この番組を、記事で紹介して頂いてありがとうございます。
人は、この様な環境に追い込まれてしまいますと
我が身や家族以外のことは、構って居られなくなってしまうのですね。
ガマに姉達を探し回っている時に、石を投げ付けられて
追いやられる場面など、悲しくなってしまいました。
でも最後にガマで出会ったおじいさん、おばあさんが
優しい人で本当に良かった…。
八木優希ちゃんの富子役も、とても良かったです。
(へな爺)
見ることは出来ませんでしたが、
比嘉富子さん、
いのちが助かって良かった。
悲しい思いや、辛い思いを
いろいろされたことと思いますが……。
作り事ではない、一人の少女の人生を、「見せていただく」想いでした。
あんなに過酷な・・・・と思うでしょうが多分、事実はあれ以上だったのではないでしょうか。戦争を知らない世代の方たちが、どれほど見てくれたか解りませんが、どうか高視聴率であって欲しい、そして、コマーシャル抜きの再放送をして欲しいと思います。
自分たちを守るはずの日本軍人に殺されそうになった・・・・・本当に殺されて今、何もいえないで無念の眠りについている人だってどれほどいることか!
戦争の悲惨さ、恐ろしさ・愚かさをはっきり前面に押し出さなくても、充分に伝わったと思います。
ヒキノ様のお陰で、見せていただきました。有難うございました。