信州上田の・・・六文銭の写真帳
初冬の中山道・・・「是より南 木曽路」の碑から贄川宿・・・平沢間の宿・・・奈良井宿・・・福島宿、さらに南へと進んできました。
中山道42番「妻籠宿」。
「妻籠宿脇本陣 奥谷」・・・林家・・・
妻籠宿脇本陣・・・林家・・・屋号「奥谷」・・・。
現在の屋敷は明治維新後、木曽五木の禁制が解かれて檜の使用が自由になったあとの1877年に総檜造りで建てられたものです。1967年公開、国の重要文化財。裏の土蔵には木曽の民俗史料、島崎藤村関係の資料などが保管。展示されています。
向かって左にPC造りの歴史資料館があります。1955年発足の南木曽町博物館は妻籠宿本陣、脇本陣、歴史資料館を合わせて構成されています。
島崎藤村の詩集「若菜集」(1896年発表)の中の「初恋」の一節です。
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
「初恋」の中でうたわれた女性像は、脇本陣奥谷の林家へ嫁いだ馬籠宿大黒屋の娘おゆふさんと目されていますが、藤村は9歳のとき故郷をはなれ上京していますから幼き日の思い出でしかおゆふさんを憶えていません。
※撮影日は11月27日、
※コメント欄オープン。
「家は総体、ヒノキ造り、天井はウズラ目・・・・」
どこかで聞いたような文句ですが、
木曽の林は禁じられて、立派なヒノ木が育ったわけですか。
青森のヒバ、 秋田の杉 木曽のヒノキは、
学校で教わりました。
ヒノキは本当に艶があり、香りがとてもいいですね。(ヒノキチオール)
、
脇本陣奥谷を見るとその構図が見えます。総檜造りは禁制の五木が解除してから作りました。御禁制の時代は木1本の盗伐で首1つ飛んだそうです。
ヒノキ・・・肥沃な山林、多雨、夏冬の寒暖差が大きい、多くの自然条件があるようです。
林業専門の伝統校、鷹巣農林、秩父農林、日田林工、木曽山林・・・だんだん衰退していってます。残念です。