信州上田の・・・六文銭の写真帳
2月5日・・・冬の信濃路・・・軽井沢町追分・・・旧中山道追分宿・・・中山道追分宿・・・江戸時代の幕府直轄五街道の宿場、軽井沢三宿(軽井沢、沓掛、追分)の一つ。中山道、北国街道の分岐点。元禄期の記録によれば旅籠71軒、茶屋18軒、商店28軒、飯盛り女200~270人の大きな宿場だったといいいます。
国道18号線・・・軽井沢方面から仮宿、追分と進むと国道から右に分かれる旧道が・・・旧中山道追分宿のおもかげの残る街並みに入ります。
東の入口の昇進橋を渡ったすぐ、追分公園・・・浅間神社境内、芭蕉句碑、追分節発祥の碑があります。
浅間神社・・・創建年は不詳ですが軽井沢町最古の木造建築であり建築様式から室町時代のものと推定。
浅間神社の隣に…追分宿郷土館・・・1985年開館。
松尾芭蕉の句碑・・・
「吹き飛ばす 石も浅間の 野分かな」・・・
・出典は芭蕉が1688~1689年名古屋から木曽路、姨捨、碓氷、江戸への旅の「更級紀行」、1793年建立。
追分節発祥の碑・・・
「碓氷峠の 権現様は わしが為には 守り神」
「浅間山さん なぜ焼けやんす 裾に三宿 持ちながら」
・追分節・・・中山道浅間三宿は流通の要衝として栄え行き交う馬子たちの口ずさむ馬曳歌を飯盛り女が座敷唄に、やがて各地に広まっていったという。
追分宿、西の入口近く・・・諏訪神社・・・
創建年不詳。1169年納められた大般若経が残り、鎌倉時代以前と推定。追分集落の氏神。
曹洞宗浅間山香華院泉洞禅寺・・・1596年上州長野原の常林寺の宗祥禅師によって開山されました。
泉洞禅寺の本堂。境内は詩人の立原道造、作家の堀辰雄らが散策したという。
浅間神社・・・創建年は不詳ですが軽井沢町最古の木造建築であり建築様式から室町時代のものと推定。
浅間神社の隣に…追分宿郷土館・・・1985年開館。
松尾芭蕉の句碑・・・
「吹き飛ばす 石も浅間の 野分かな」・・・
・出典は芭蕉が1688~1689年名古屋から木曽路、姨捨、碓氷、江戸への旅の「更級紀行」、1793年建立。
追分節発祥の碑・・・
「碓氷峠の 権現様は わしが為には 守り神」
「浅間山さん なぜ焼けやんす 裾に三宿 持ちながら」
・追分節・・・中山道浅間三宿は流通の要衝として栄え行き交う馬子たちの口ずさむ馬曳歌を飯盛り女が座敷唄に、やがて各地に広まっていったという。
追分宿、西の入口近く・・・諏訪神社・・・
創建年不詳。1169年納められた大般若経が残り、鎌倉時代以前と推定。追分集落の氏神。
曹洞宗浅間山香華院泉洞禅寺・・・1596年上州長野原の常林寺の宗祥禅師によって開山されました。
泉洞禅寺の本堂。境内は詩人の立原道造、作家の堀辰雄らが散策したという。
※撮影日は2月5日。
※追分宿の散策は続きます。
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