比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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NHKドラマ・・・「足尾から来た女」・・・帰りたくても帰れない故郷の山河

2014-01-27 | 語り継ぐ責任 公害・被ばく・環境
NHK総合テレビ土曜ドラマ枠・・・「足尾から来た女」・・・1月18日、25日の21:00~22:13、前後篇に分けて放映されました。

いまから100数十年前、渡良瀬川の最奥、足尾鉱山の鉱毒被害が公になってからのことです。煙害は裏日光一円の山々の緑を枯らし渡良瀬川に流れた鉱毒は流域の農地や人口密集地を侵し、さらに利根川流域、江戸川流域にも広がっていきます。1902年、政府は鉱毒の沈澱地として中流域の谷中村を選び、強制立退きを迫り強行します。

物語はこの時代に谷中村に生きた新田サチという女を中心にして進みます。
2006年、谷中村は強制廃村になり村びとたちは先祖から引き継いだ村を離れていきます。その数。3000人。

田中正造・・・これが今の日本だ。家というものは人間が作り出した文明そのものだ。村もそうだ。
それを自分たちで毀している。川を汚し村を潰し、そこに住む人々を殺している。口惜しいなあ。


お前たち若いものは、生き続けて、わしらが死んだあとも、この村のことを伝えていってほしい。
新田サチは生き続けるために旅立ちます。

旧谷中村は渡良瀬遊水地に。
3300㌶、周囲30㎞、JR山手線が34㎞といいますから山手線圏内より少し小さいくらいの広大な何もない草原です。

2009年3月に訪れたときの旧谷中村の風景です。
草原の中に立札だけの神社跡、お寺跡、役場跡、人家跡があります。

2011年1月、旧谷中村を訪れたとき。
延命院の鐘から振りかえると旧谷中村の村びとたちの共同墓地跡です。廃村になったのは1906年、もう108年たっています。
・・・新しい卒塔婆とその下にお花が。


鉱毒を閉じこめた・・・広大な何もない草原です・・・谷中湖に閉じ込められた鉱毒は永遠にそのままです。
不毛の大地・・・という言葉は稔ることなき土地をいいます。
帰りたくても帰れない土地です。
いま‥・この時代に・・・重なり合う・・・もう一つの不毛の大地が見えてきます。


足尾銅山と渡良瀬遊水地、そして「田中正造」の年譜を追ってみました。
1602年 足尾で銅の採掘開始。
1877年 元小野組古河市兵衛が経営を引き継ぐ。
1885年 鉱毒被害が新聞報道。
1897年 田中正造、国会で鉱毒の害を質問演説。
1900年 田中正造、演説「亡国に至るを知るらざれば、これすなわち亡国の儀につき」
1901年 国会議員を辞す。天皇に直訴を計画するも阻止され狂人として扱われる。
1902年 渡良瀬川の流域に鉱毒沈殿、遊水地計画が。谷中村が候補地に。
1904年 田中正造が谷中村に移住。
     栃木県が堤防工事名目で堤防破壊。谷中村買収開始。地価は1/5。
     免租により選挙権(公民権)を失効。つまり村長もいなくなるわけです。
1906年 強制廃村。
1907年 土地収用法、強制執行、居住を続ければ犯罪者扱い。
1911年 北海道佐呂間町栃木地籍に移住(16戸137人)。
1912年 土地買収額を5割増しに判決。地価1/5の5割り増し?
     遊水地の工事始まる
1913年 田中正造死去。
1973年 足尾銅山閉山。
1976年 谷中湖着工、1989年完成。
1998年 渡良瀬遊水地がほぼ現在の姿に。

渡良瀬遊水地・・・2008年3月、渡良瀬遊水地を訪れてから谷中村のことに触れ、何回も訪れています。→バックナンバーのブログです。


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