先々週の7月20日(日曜日)、音楽評論家・湯川れい子さんのお話を聞きました。某町の某グループの企画した講演会です。
そのときの話は7月21日にエントリーしましたが今日はそのときの話と重複する話です。
7月27日深夜(正しくは28日早朝)、某テレビ局の「わたしが子どもだったころ」というシリーズ。深夜番組ですから録画してあとからの視聴しました。
子ども時代の湯川れい子さんの話です。
18歳年齢の違う兄が徴兵で戦争に向かう前、母や妹のために口笛を吹きながら防空壕を掘っていってくれます。
出かける前に兄は宵の明星を指差しながら
「おぼえていてね、あれが兄ちゃまだよ」といったそうです。
兄はフィリピンで戦死。この兄が吹いていた口笛の曲が「Sleepy Lagoon」というアメリカのスイング・ジャズであることがわかったのは終戦後、ラジオでFEN放送を聞いているときだったそうです。
戦争はすべての環境をガラッと変えます。日本が大戦に突入しなければ湯川さんは裕福な高級軍人のお嬢様として過ごしたかもしれません。人の思想は学問からではなく環境に大きく作用されるものかもしれません。靖国神社に祀られている軍神の妹が「女性九条の会」会員として活動している、わかります。
たいへん優秀なかたです。大学や語学、音楽の学校で学んでないようですが作詞家として数々の名曲を作詞、外国の名曲を訳詞、評論家として海外のポップスを日本に紹介しています。
兄の遺していった口笛の曲が音楽活動の原点になったのでしょうか。
湯川さんの著書も少し読んでみようと図書館で立ち読みしました。当たり前のことをごく自然に書いています。
たとえば育児の話です。「赤ちゃんが泣いても飛んでいかないのは人間だけ」とある動物園長がいったそうです。戦後のアメリカナイズされた育児思想からだそうです。オンブしない、ダッコしないもそうですね。すべてアイコンタクトがないのです。アイコンタクトのない人間関係って悲しいですね。
そのほかいろいろのことが書いてありますがすべて当たり前のことです。ゆっくり読んでみたい本です。
そのときの話は7月21日にエントリーしましたが今日はそのときの話と重複する話です。
7月27日深夜(正しくは28日早朝)、某テレビ局の「わたしが子どもだったころ」というシリーズ。深夜番組ですから録画してあとからの視聴しました。
子ども時代の湯川れい子さんの話です。
18歳年齢の違う兄が徴兵で戦争に向かう前、母や妹のために口笛を吹きながら防空壕を掘っていってくれます。
出かける前に兄は宵の明星を指差しながら
「おぼえていてね、あれが兄ちゃまだよ」といったそうです。
兄はフィリピンで戦死。この兄が吹いていた口笛の曲が「Sleepy Lagoon」というアメリカのスイング・ジャズであることがわかったのは終戦後、ラジオでFEN放送を聞いているときだったそうです。
戦争はすべての環境をガラッと変えます。日本が大戦に突入しなければ湯川さんは裕福な高級軍人のお嬢様として過ごしたかもしれません。人の思想は学問からではなく環境に大きく作用されるものかもしれません。靖国神社に祀られている軍神の妹が「女性九条の会」会員として活動している、わかります。
たいへん優秀なかたです。大学や語学、音楽の学校で学んでないようですが作詞家として数々の名曲を作詞、外国の名曲を訳詞、評論家として海外のポップスを日本に紹介しています。
兄の遺していった口笛の曲が音楽活動の原点になったのでしょうか。
湯川さんの著書も少し読んでみようと図書館で立ち読みしました。当たり前のことをごく自然に書いています。
たとえば育児の話です。「赤ちゃんが泣いても飛んでいかないのは人間だけ」とある動物園長がいったそうです。戦後のアメリカナイズされた育児思想からだそうです。オンブしない、ダッコしないもそうですね。すべてアイコンタクトがないのです。アイコンタクトのない人間関係って悲しいですね。
そのほかいろいろのことが書いてありますがすべて当たり前のことです。ゆっくり読んでみたい本です。
※コメント欄オープンしています。
・URL無記入のコメントは削除します。
・URL無記入のコメントは削除します。
嘆かわしいことです。アメリカナイズされた結果がもたらしたものです。
人間は、環境に大きく作用されるものなのでしょうね。
兄の遺した口笛・・・なかなかいいお話でしたね。
保護するときは徹底的に保護する、巣立ちのあとは過保護にしない。
もちろん90%以上は正しい育児ですが。
今日の犯罪事情・・・何かおかしいですね。
有名な作詞家として存じ上げておりましたが、
お兄様の遺された口笛について初めて伺いました。
私も本を読んでみようと思います。
有り難うございました。
yahooの検索で「湯川れい子 兄」と打つと、次の記事が出てきます。
https://fujinkoron.jp/articles/-/678
okoさんのお父様と同じフィリピンで戦死されていることから紹介しました。