比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

秋の信州・・・塩田平・・・青木村・・・古代東山道・・・癒しの宿「沓掛温泉」

2017-12-19 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
秋・・・11月21日、東信州・・・塩田平・・・青木村・・・ぶらり歩き・・・
国道143号線から左の分かれて県道181号線、保福寺峠方面へ、途中県道12号線、鹿教湯温泉への分かれ道、その分岐点あたりに沓掛温泉があります。
県道12号線はその先で県道177号線、野倉、別所温泉方面へと分かれます
保福寺峠(標高1351m)・・・古代の官道「東山道」の難所、松本の覚志の駅錦織の駅から保福寺峠を越えて浦野(青木村)の駅へ、亘理(今の上田)の駅へ。
むかしの沓掛村、村の名前の由来は保副寺峠の下、旅人が草鞋を脱いで休息したところ、崩(くつ)れた崖(かけ)などの説がある・・・。明治の大合併で青木村に。

信州上田の・・・六文銭の写真帳

湯宿三軒、共同浴場一軒・・・静かな山の湯です。
共同浴場「小倉乃湯」・・・
※入口の板書に寄れば・・・9世紀中期,清和天皇第四王子貞保親王が信濃国の国司(滋野親王)に下向していて眼病を患い湯治したという。
目の前に見える山が京都の小倉山に似ていて、それを偲んで小倉乃湯と名付けた。
貞保親王が下向して信濃国司になったいう確証は何もないそうだ。
いずれにしても平安時代以前の古い古い山の湯であることはまちがいない・・・ようだ。


共同浴場の共同洗い場です。村びとはここで洗濯、野沢菜洗い、水稲の種籾浸湯などを・・・少額ですが有料です。
源泉かけ流しです。洗い物しなくてもお湯は流れっぱなしです。

薬師堂です。滋野親王の伝説によるものです。
※撮影は11月21日。

保福寺峠・保福寺街道・・・東信地区と中信地区を繋ぐ幹線街道、古くは東山道、江戸期に入り松本藩の参勤交代の道、江戸への人流、物流の路、そのため沓掛温泉は大いに賑わった。飛騨山脈を日本アルプスとして世界に紹介したウエストンは1891年この峠を人力車で越えて上田から松本へ。ウエストンの碑がそこにある。明治時代の1890年標高1040mの青木峠に明通トンネルが開削され、この街道の使命が終わり、さらに1976年三才山トンネルが開通すると青木峠の幹線道路の使命も終わった。

※コメント欄オープン。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿