比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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春の信濃路・上田・・・千曲川の狭隘な谷・・・半過岩鼻の上・・・千曲公園からの風景

2018-04-20 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
信州上田の・・・六文銭の写真帳
信州上田、千曲川が狭隘な谷間、半過岩鼻塩尻岩鼻の間を抜けるあたりです・・・※画像クリックでズームアップ。半過岩鼻のトンネルの前のトラックが停まっているところは上田川の駅、岩鼻の上は千曲公園


半過岩鼻の上、千曲公園東屋から・・・蛇行する千曲川上流、上田市街地を望む。その先は小諸、軽井沢。
ソメイヨシノ・・・眼下に上田市街地。

岩鼻の上、千曲公園東屋から・・・塩田盆地を望む。
眼下は戦国時代の1548年、甲斐の武将武田信玄と北信濃武将の村上義清が戦った古戦場です・・・「上田原の戦い」。

ハナモモ

岩鼻の上、千曲公園東屋から…千曲川の右岸に突き出ている断崖は塩尻岩鼻。その先は更級郡坂城町。戦国時代、甲斐の武田の信濃侵攻と戦った村上義清の本拠葛尾城のあったところです。遠くに善光寺平、戸隠連峰の白い山なみ。
※撮影日は4月3日。

※上田方面から坂城町に入ったところに「」という信号のある交差点があります。北国街道の間の宿「鼠宿」があったところです。宿場の雰囲気も残っています。地名の由来は・・・①むかし半過岩鼻と塩尻岩鼻の間に大きな自然堰堤があリ上田一帯は大きな堰止め湖。塩尻という地名は湖の尻、あるとき鼠が自然堰堤を食い破り上田一帯は平野になったといいます。その伝説から「鼠」という地名が。②塩尻岩鼻の上は戦国時代の烽火通信場所、それを不寝に見張る番がいたから「不寝見」。③山の根の津(集落)。地名に伝説はつきものですが・・・わたしは単純な③の説に・・・賛成。


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