4月7日、秩父札所34ヶ所23番「音楽寺」を尋ねました。
※前回は音楽寺と秩父困民党について紹介しましたが、今回は音楽寺のみ紹介します。
松風山音楽寺・・・そのむかし、観音堂を開いた十三賢人がこの山の松の梢に吹く風の音を菩薩の慈悲の音に感じて「音楽寺」と名づけたという。開基は824~824年ころ。観音堂は15世紀末頃はこの山の頂上あたりにあり16世紀初め現在の場所にという記述が風土記にあるそうです。
この丘陵一帯はかつて西武グループが開発した270㌶の大アミューズメント公園「秩父ミューズパーク」(現埼玉県・秩父市運営)。音楽寺を英語にすればミュージック・・・でも関連はないようです。
観音堂の右サイドの山道・・・小鹿坂峠の古道を辿ると旧観音堂の跡地、十三地蔵尊の石像が。
5~6分です。ぜひ足を延ばしてください。
秩父札所を開創した十三権人です。権人とは・・・この場合、権現。権化と同じ意味で仮(権)の姿をとって衆生を救う人のこと。十三権人は・・・閻魔大王・倶生神・花山法皇・性空上人・春日開山・醫王上人・白河法皇・長谷徳道上人・良忠僧都・通觀法印・善光寺如来・妙見大菩薩・蔵王權現・・・ソウソウたるメンバーです。実際は無名の修験者、行脚僧が十三権人のまた代理人(仮の姿)として開創に奔走したと思います。秩父札所は古文書によると15世紀末ごろにすでにあったようです。
「小鹿坂峠」の古道を引き返すと秩父市街が眼下に、その向こうに武甲山。
桜で有名な古寺です。山桜だけになっていました。桜満開のころまた来たい。
※前回は音楽寺と秩父困民党について紹介しましたが、今回は音楽寺のみ紹介します。
秩父市街を東に望む荒川左岸の長尾根丘陵、小鹿坂峠の中腹に音楽寺があります。遠くに見えるのが二子山(883m)。
松風山音楽寺・・・そのむかし、観音堂を開いた十三賢人がこの山の松の梢に吹く風の音を菩薩の慈悲の音に感じて「音楽寺」と名づけたという。開基は824~824年ころ。観音堂は15世紀末頃はこの山の頂上あたりにあり16世紀初め現在の場所にという記述が風土記にあるそうです。
この丘陵一帯はかつて西武グループが開発した270㌶の大アミューズメント公園「秩父ミューズパーク」(現埼玉県・秩父市運営)。音楽寺を英語にすればミュージック・・・でも関連はないようです。
観音堂・・・三間四方の方形造り。回廊が広い。
千社札(せんじゃふだ・・・せんしゃふだ)の貼られた観音堂。
※千社札は御朱印をいただいてから貼ること。他の札の上に貼る、剥がしにくい接着剤で貼る、文化財建造物に貼るは論外。
千社札(せんじゃふだ・・・せんしゃふだ)の貼られた観音堂。
※千社札は御朱印をいただいてから貼ること。他の札の上に貼る、剥がしにくい接着剤で貼る、文化財建造物に貼るは論外。
観音堂の右サイドの山道・・・小鹿坂峠の古道を辿ると旧観音堂の跡地、十三地蔵尊の石像が。
5~6分です。ぜひ足を延ばしてください。
秩父札所を開創した十三権人です。権人とは・・・この場合、権現。権化と同じ意味で仮(権)の姿をとって衆生を救う人のこと。十三権人は・・・閻魔大王・倶生神・花山法皇・性空上人・春日開山・醫王上人・白河法皇・長谷徳道上人・良忠僧都・通觀法印・善光寺如来・妙見大菩薩・蔵王權現・・・ソウソウたるメンバーです。実際は無名の修験者、行脚僧が十三権人のまた代理人(仮の姿)として開創に奔走したと思います。秩父札所は古文書によると15世紀末ごろにすでにあったようです。
「小鹿坂峠」の古道を引き返すと秩父市街が眼下に、その向こうに武甲山。
桜で有名な古寺です。山桜だけになっていました。桜満開のころまた来たい。
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