比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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良書を世に送り出した・・・小宮山量平さん・・・「千曲川四部作」

2012-04-16 | 惜別
長野県上田市・・・JR長野新幹線、第3セクターしなの鉄道・・・上田駅の東口を出るとロータリーの左側に「若菜館」という鰻屋さんがあります。ずいぶんむかしのことですがここの三階(だったかな?)小宮山量平の・・・理論社の出版物・・・今江祥智の優しさごっこ、灰谷健次郎の「兎の眼」、倉本聡の北の国から・・・など知ってる本が並んでいました。

素晴らしい本を出版する理論社の社長小宮山量平さんのことを知ったのはそのときからです。
そのあと数年後に読んだ本が・・・「千曲川 四部作」


小宮山量平さんが4月13日に亡くなったことをラジオで永六輔さんが話していました。日曜日の朝日新聞で今江祥智さんが追悼文を書いていました。

小宮山量平(1916年~2012年)95歳、天寿を全うしました。上田市で酒屋の十一男として生まれ2歳のとき母が亡くなり望月町の母方の祖母に育てられ10歳のとき父が亡くなり、ほどなく家業が倒産、叔母、叔父の住む東京へ。小学校卒業後、第一銀行に入社、渋沢敬三監査役(渋沢栄一の孫)の給仕になったことがその後の人生の指針になりました。大倉高商(現東京経済大学)夜間部、アカ活動で検挙・転向、釈放後、給仕の先輩の父(本富士署特高警察主任)の世話で 私立興亜商業学校に編入、中学校卒業資格取得、東京商科大学(現一橋大学)に進学・停学・復学・卒業。旭硝子入社、23歳で徴兵検査、陸軍二等兵として帝國陸軍第七師団(旭川師団)に入営、幹候(予備士官学校)を経て少尉に、北海道釧路郊外天寧で終戦を迎え、上田市に帰郷、姉の嫁ぎ先である上田駅前の鰻屋「若菜館」の養女と結婚、31歳。

「千曲川四部作」は生い立ちから青春、兵役、終戦までを書いた2500枚の大作。1997年81歳から2002年まで、5年の歳月を費やして書かれた20世紀からの遺言ともいうべき作品です。

この人には天性の笑顔(愛称フクチャン)があったようです。これが人を和ませ自分を助けます(人に助けられます)。渋沢敬三との出逢い・・・渋沢財閥の御曹司、終戦後の大蔵大臣、財閥解体、自らの渋沢財閥も財産税で解体させてしまいます。民俗学、人類学などの研究者のパトロン、数百億円を研究者たちに援助したといわれます。窪町小学校時代に近所に住む鈴木貫太郎(退役海軍大将、元侍従長)と顔見知りに、鈴木貫太郎はポツダム宣言の受諾時の総理大臣、御前会議の演出者といわれています。渋沢敬三はアカで検挙され第一銀行の職を失いながら大学入試に成功した量平に(金品ではなく)モンテーニュの「随想録」を、鈴木貫太郎は「天空海闊」と書いた色紙を、本富士署の特高主任は「天空開豁」と書いた色紙を贈ってくれます。。旭川の師団では陸士出身の陸大入試を控えた士官に二等兵の身でありながら社会科学の講義をします。予備士官学校時代、同郷(屋代・・・現千曲市)の先輩、山田乙三大将(敗戦時の関東軍総司令官)に私的に面談、日米もし開戦すればと問われ日本は負けますと答えます。商科大学の出身ですから日米の戦力比(1:74)など十分すぎるほど知っていました。
第四部でこう書いています。
・・・今更のように惜しまれる命の散華であった。せめてあの東京大空襲以前に《天の声》があったなら、欲を言えば昨秋のレイテ沖海戦の直後に、そして第二次の学徒動員の前後に、「戦争の完遂に関する声明」ではなく「戦争終結の詔勅」の如きものが発せられたら・・・
兵役の部分が全体の1/3を占め軍隊のことを知らない人には不明の部分があるかもしれません。戦争や兵役の賛歌ではありません。「サヨナラダケガ人生ダ」と口ずさみ入営した筆者は何の巡りあわせか中国戦線にも南太平洋の戦線にも派遣されず敗戦を迎えました(次兄は硫黄島で戦死)。多くの人への鎮魂の思いがあったかもしれません。
戦後、仲間たちで作っていた季刊雑誌「理論」に発表した「楯に乗って還れ」という文が連合軍総司令部(GHQ)により全文削除(Delete)命令を受けました。理由は左翼でも右翼でもなく共産思想でもなく軍国思想でもなく、今度の戦争を肯定するものでもなく否定するものでなく、ただ人間による人間に対する加虐の状況が追求されているという理由でした。以来、沈黙を守り一編集者、出版人の道を歩み始めるのですが、数十年ののち「青春への虐殺」の重みが「千曲川四部作」の執筆に向かわせたのでしょうか。

佐久望月の幼少時代の幼馴染み、第一銀行時代の上司・同僚、大蔵高商の仲間、アカ仲間、ブタ箱仲間、商科大学の仲間、軍隊の仲間・・・出逢いの人すべてから学んでいきます。いい人に出逢える・・・特異なものを持っていた人のようです。

一出版人のサクセスストーリーではありません。昭和史を垣間見るような大河小説です。図書館で借りて読み直していますが、蔵書にしたい本です。

量平さんが1947年に創設した理論社、編集者・発行者というものは黒子(影の人)です。一般に名前の知られたかたではありません。社名だって知られていないかもしれません。でも数々の作者を育て世に送ってきました。
その理論社も書籍業界の荒波のゆえか2010年に倒産して新しい会社になりました。
若い世代の心を育て指針になるような本を世に送りだしてもらいたいものです。

少し長いブログ文です。書くほうも疲れましたが読むほうも疲れると思います。ゴメンナサイ。


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