11月17日、中国残留孤児訪日調査・・・今年は一人・・・64歳・・・曲美琴さん・・・来日。
太平洋戦争の敗戦当事の旧満州、生後四ヶ月(推定)、翌1946年春、母親の友人を介して吉林省長春市の中国人の養父母に預けられたという・・・まさしく孤児です。
中国残留孤児訪日調査・・・それは1980年故山本慈昭氏らを中心にする訪中調査団が中国を訪れ315人の孤児らに面接、1981年第1次訪中調査に47人が来日したことから始まります。以来28年目、今年は一人です。
もちろん一人・・・ゼロになっても終わったわけではないでしょう。
曲美琴さん・・・13歳のころ友だちから「あなたはもらわれてきた日本人の子だ」といわれて、養父母に問いただしたが答えてくれなかったそうです。ようやく昨年寝たきりになった養母(96歳)に「私は日本人ではないか」と問いただたところ認めたてくれたといいます。
医者として育ててくれた養父母、家族もいるようです。すでに老境に達しています。日本語もできないでしょう。それでもこう記者会見で話していたそうです。
「やっと祖国に帰ってきた」、「数十年来の夢が実現して感動している」「日本に帰るのが本望」と。
山崎豊子の小説「大地の子」では主人公の中国残留孤児陸一心が大地の子として中国に残る決心をしますが、この方は日本に帰ることを強く望んでいるようです。何がそうさせているのか、わたしには不明ですが。
※記事は朝日新聞切抜きから。
兄ではないかと名乗り出た茨城県の男性とは確認する材料がなくDNA鑑定することになったようです。
11月28日まで滞在し、帰国する。
次の資料は中国残留邦人について詳しい資料が載っています。
中国残留邦人・資料 中国帰国者問題同友会
補記・・・2010年1月26日(毎日JP)
厚生労働省は26日、DNA鑑定の結果「曲さんと茨城の男性について兄弟の関係は認められない」と発表した。曲さんは「今後も肉親が見つかることを期待しています。茨城県の男性に妹が見つかることを祈っています」、男性は「諦めないで肉親を探して欲しい」と語ったといいます。
※コメント欄オープン。
敗戦当時私は9歳、危うく孤児になるところだったかもしれません。
そんな想いから日中平和友好会に入会して、帰国者の人たちのお世話をしている方たち(今も続いています)のお仲間にも入れていただき、ほんの少しお手伝いの真似事もしました。
日本の生活に憧れて帰国した人たちも、いろんな問題を抱えて大変な様子も垣間見ました。
僅か4ヶ月では、中国人として成長したことでしょうね。でも多分、肉親への想いから日本に帰国したいのでしょうが、今の日本が暖かく迎える状態ではないかもしれません。遠縁の女性も中国に又帰って行きました。私も含めて、外国人になじめない体質があるように思います。
毎日拝見しております。
ユズ、我が家はいただいて楽しんでおります。レモン、昨年は摘果せず56個。今年は4個、大きくてきれいなレモン色になってます。
曲さんは新聞のお写真よりやわらかい感じでステキな方でした。一緒に来られたご主人もとってもステキな方で、りっぱなお仕事をされてて日本語少し話されます。お孫さんもいらっしゃるそうで、お幸せにお暮らしのご様子でした。
永住帰国をと、お二人で嬉しそうにおっしゃっておられましたが、今の日本ではご苦労されるのでは?と心配です。妹さんを捜し続けていたお兄さんと名乗り出た方とDNAが一致して本当のご対面になると、日本での暮らしがあたたかいものになると思い、ご兄弟であることを切に祈ります。曲さんは28日午前中国へ戻られたそうです。(A新聞28日夕刊)
おおぜいの在留邦人が永久帰国していますが、いろいろな本で帰国後の生活の難しさが語られています。
中国人として育ったことから人生観、価値観も日本人と違うこともあるでしょう。
様々な問題を抱えていますがうまくいかなかったことに対して彼らを攻める資格は誰もありませんね。こうした環境においた戦争の責任を責任の位置にあったものが誰一人とっていないのですから。
曲さんの望郷の思いが何であるか。人の口には戸は立てられぬ、子どものときから周りの人から耳に入っていたでしょう。養い親はそのことを言わないのは日本も中国も同じでしょうね。
もう一つ文化大革命で辛い思いをしたはずです。
医師に育ててくれたという養父母も偉いですね。
日本に帰国しても医師の資格は取れません。生活保護しか道はないでしょう。子どもさんも中年でしょう。
戦争の責任の重さがひしひしと感じ取れます。
そしてそれが間違ってますよということは・・・いえません。
ただ静に見守りたいです。
戦争の残した負の遺産です。
http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/59d7e9187f75b3198f6d2a15e55355a6
心の空洞は埋めきれない、日々生きるも、同じか?
満州の侵略も、開拓民の悲劇も、平岡ダムなどの強制労働も、歴史の世界に入る年月が経ちました。
私たちにできることは歴史を客観的に見る、次の世代に考えかたを伝えたい・・・そう思っています。