比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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青春18きっぷ・・・飯田線の旅・・秋葉街道に沿った・・・水窪(みさくぼ)駅

2020-08-16 | 鉄道と駅 東海・北陸編
・・・彩風人の写真帳・・・
青春18きっぷ・・・乗り鉄、駅鉄の旅です。
青春18きっぷ・・・JR全国各社がが売り出している特別企画乗車券。JRの各駅列車、快速列車に1日乗り放題、5回使用可、12050円。
今回はJR東海道線からJR飯田線、JR中央線を・・・コロナ禍戒厳令の出る前の三日間の急ぎ旅・・・
今日で3日目、最終日、豊橋から飯田線で195㎞の辰野駅まで、辰野駅から中央本線で209.8㎞の新宿まで、合計500㎞に及ぶロングトラベル。

飯田線の始発駅「豊橋」から74㎞「水窪駅」(浜松市天竜区水窪町地頭方)。中部天竜駅から佐久間駅、トンネルを潜って水窪川の谷に入り相月駅、城西駅、向市場駅、水窪駅に至ります。線路はこの駅から西にトンネルを潜りふたたび天竜川沿いの大嵐駅に向かいます。

島式1面2線ホーム。上り豊橋駅行き11:05発特急伊那路」373系が停車します。

1955年佐久間ダム竣工により、佐久間駅~大嵐駅間が水没して、新線が設置され開業。中部天竜駅管理の無人駅。1日の乗客数45人。

特急電車を見送ってふたたび下り天竜峡駅行き11:06発普通電車213系に乗って出発。
※撮影日は3月27日。

水窪町・・・1889年静岡県の遠州最北部、秋葉街道沿いの奥領家村、相月村、地頭方村、山住村の4ヶ村が合併して奥山村に、1925年町制施行、水窪町と改称(旧領家村の集落名)、2005年浜松市に合併、天竜区水窪町に。合併時の人口3000人。領家、地頭方の名の通り平安時代に荘園があった場所。水窪の名前は沖積地の作った小さな盆地。古くから信州と浜松、豊川をつなぐ塩の道の中継地、宿場として栄えた。平安時代から伝わる西浦の田楽は国の重要無形民俗文化財。信州とは青崩峠を挟んで秋葉街道で結ばれている。
秋葉街道(水窪側からは信州街道)・・・長野県茅野市からはじまり杖突峠、高遠。分杭峠、大鹿郷、地蔵峠、遠山郷、青崩峠を越えて水窪町に至る秋葉街道(国道152号線)は遠州春野町の本宮秋葉神社への信仰の道であり、塩の道(交易の道)であり、武田信玄の軍道でもあった。この道は中央構造線と呼ばれる地質境界線上にあり諏訪盆地のフォッサマグナから秋葉街道に沿って南に向かい水窪あたりまで並行してる、中央構造線はここから豊川方面に向かい、伊勢湾、三重、奈良大和盆地、四国、九州を横断する。青崩峠の名のとおり変成岩を主にする崩落しやすい地質帯で国道152号線は車道としては分断されて開かずの酷道。東側に国道474号、草木トンネル、兵越峠(武田軍の道?)があるが?

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