信州上田の・・・六文銭の写真帳
昨年の秋の浅間山麓プチドライブです。
国道18号線、仮宿あたりから浅間山麓に向かって軽井沢町大字長倉字大日向地区へ。
今日の浅間山は雲ひとつなく噴煙も上がっていません。高原野菜キャベツ畑が広がります。
浅間おろし つよき麓に かえりきて
いそしむ田人 たふとくもあるか
☆ここ大日向はあの大戦後、旧満州国(現中国東北部)の開拓植民地から帰国した長野県南佐久郡大日向村の引揚者が1947年(昭和22年)入植、開拓を始めた地。同年10月に昭和天皇が開拓民激励のために訪れた(行幸)。昭和天皇の歌(御製)碑が建っています。行幸(巡幸)・・・昭和天皇はあの大戦の終わった2年後の1947年から1954年までに沖縄を除く全国46都道府県に巡幸の旅にまわっています。その心の中はワカリマセン。あの大戦の「開戦の詔勅」「終戦の詔勅」を発した人として「深い悔恨」と「反省」の言葉を国民に発したいと思っていたといいます(田島道治初代宮内庁長官「拝謁紀」より)。
浅間おろし つよき麓に かえりきて
いそしむ田人 たふとくもあるか
※撮影日は2019年10月23日です。
※大日向・・・軽井沢町長倉字大日向・・・あの戦争の前の1937年長野県南佐久郡大日向村(現佐久穂町)の村民2133人のうち664人が満蒙開拓団として渡満、入植して大日向分村を作ったが、1945年敗戦により解村、新京収容所で酷寒と飢えのため300人余が亡くなり帰国した人327人、1947年ここ長倉の不毛の原野に開拓団として入植した人165人。軽井沢町大日向は南佐久郡大日向村の人たちの第三のふるさとです。《参考》クリック→2014年11月4日のブログ・・・「浅間山麓・・・南佐久大日向村の第三の故郷・・・軽井沢大日向と・・・アサマキスゲ」
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