信州上田の・・・六文銭の写真帳
2月5日・・・冬の信濃路・・・軽井沢町追分・・・旧中山道追分宿・・・中山道追分宿・・・江戸時代の幕府直轄五街道の宿場、軽井沢三宿(軽井沢、沓掛、追分)の一つ。中山道、北国街道の分岐点。元禄期の記録によれば旅籠71軒、茶屋18軒、商店28軒、飯盛り女200~270人の大きな宿場だったといいいます。
国道18号線・・・軽井沢方面から仮宿、追分と進むと国道から右に分かれる旧道が・・・旧中山道追分宿のおもかげの残る街並みに入ります。
旧脇本陣「油屋旅館」・・・1937年火災により焼失、再築したもので江戸期からの建屋ではない。
昭和期に芥川龍之介、堀辰雄、立原道造ら文人の愛した旅館、堀辰雄はここで逗留し、執筆した。
2012年改修・・・「文化磁場油や」に・・・二階は4月~11月営業の旅館、一階は本、アート、音楽など文化発信の場に。
堀辰雄文学記念館と入り口の・・・旧本陣(土屋家)の裏門。
昭和期に芥川龍之介、堀辰雄、立原道造ら文人の愛した旅館、堀辰雄はここで逗留し、執筆した。
2012年改修・・・「文化磁場油や」に・・・二階は4月~11月営業の旅館、一階は本、アート、音楽など文化発信の場に。
堀辰雄文学記念館と入り口の・・・旧本陣(土屋家)の裏門。
※旧本陣裏門・・・本陣は建坪238坪あり中山道では三本の指に入り広大なものであったという。維新後1993信越本線開通によりその役目を終える。裏門は他家に売却、保存されていていたものが返却され解体修復され現在の位置に。棟札から1833年建造と判明。
※堀辰雄(1904~1953年)・・・小説家、代表作「風立ちぬ」「菜穂子」、たびたび軽井沢の追分の「油屋」に逗留して執筆活動、1944年からは追分に住み1953年没。堀辰雄文学記念館は旧居。
※堀辰雄(1904~1953年)・・・小説家、代表作「風立ちぬ」「菜穂子」、たびたび軽井沢の追分の「油屋」に逗留して執筆活動、1944年からは追分に住み1953年没。堀辰雄文学記念館は旧居。
※撮影日は2月5日。
※コメント欄開いています。
自分も今年の冬に軽井沢に参りましたが、残念ながら堀辰雄記念館の前で写真を撮ってませんでした。ブログを整理してみたら、一枚足りないような気がして、検索してみましたが、この文章が出てきました。
失礼ですが、もしかしたら、堀辰雄記念館の写真をお借りしてもよろしいでしょうか。個人でやっているブログですが、著作権が大事ですので、コメントを送りました。
ご検討をお願い致します。
わたしのブログのタイトルのしたに・・・
写真、文章はご自由に。事後承認も不要。
と書いてあります。
善意で使われることを信じてのことです。
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