比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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2021年みちのく桜前線・・・「北のまほろば」をおもい・・・最終章

2022-01-30 | 道を行く みちのく
                                       、
2021みちのく桜前線・・・弘前城から龍飛埼までの旅を終えて・・・津軽のことを思いました。
むかし津軽のある町に行った。ご主人がが留守でおじいちゃんが出てきて言葉がわからず途方にくれたことを思い出します。
それから津軽のいろんな人との出逢いがありました。

2021年4月の弘前公園から・・・岩木山が見えます・・・
津軽の人は畏敬の念をこめ「お岩木山‣お岩木様」と呼びます。


司馬遼太郎が津軽のことを書いた「街道をゆく 北のまほろば」を読み直しています。
まほろば」とは古事記に書かれた日本武尊の歌・・・倭は国のまほろば 畳づく青垣  山隠れる 倭しうるはし・・・から引用の古日本語。「真秀場、真秀等間」などと表記され・・・「豊穣の地」の意味。
津軽が「まほろば」であるか「けがち(飢餓)」の国であるか・・・
司馬さんは津軽が「まほろばの地」であるという思いを深くして、この書を書き進めています。

もうずっとむかし三内丸山遺跡を訪ねました。三内丸山は5900~4200年前の縄文遺跡です。久慈の琥珀、糸魚川の翡翠、諏訪の黒曜石、能登の漆器、栽培植物の種子などが出土。
縄文時代の人たちの息吹きが聞こえてきそう。
栗の大丸太の高楼があります。何を意味するか。ボランテアガイドの方に訊きました。「いま、その当時のことを知ってる人は誰もいないのです。イメージで考えてください
司馬さんはこんなイメージを描いています。
・・・ひとびとは、丸木船に乗って、海で漁をする。おえると、この高楼めざして帰ってきたにちがいない。夜、誰かもどらない者があると。「高く、火を焚け」といったのが長老だったにちがいない・・・

亀ヶ岡遺跡(木造町・現つがる市)で1886年出土した後期縄文時代(BC1300~BC400年)の遮光器土偶・・・のレプリカです。重要文化財、国立博物館蔵。イヌイットのサングラスに似た目、ふくよかな乳房、臀部、太腿。
何のためにか・・・宇宙人、アラハバキ神、シュメールの女神・・・諸説ありますがワカリマセン。
司馬さんの街道をゆく北のまほろば」では津軽の考古学研究家が「アートです」とつぶやきます。

けがち(飢餓)の国」・・・記録された年表によれば江戸時代初期から現代にいたるまでの330年間に約60回、5年に1回の凶作。天明の大飢饉では餓死者は10万人を超えたと伝えられています。
それでもひとびとは強かに生きてきました。
津軽の夏の祭り「ねぶた」は鎮魂の祭り。

津軽平野と岩木山と岩木川が瞼に浮かびます。
司馬さんが「北のまほろば」と名づけたことがわかってきます。


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2 コメント

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津軽 (縄文人さんへ・・・ヒキノ)
2022-04-07 19:21:45
社会人のころ津軽からの季節労務者と付き合いました。地吹雪の冬は出稼ぎに出ます。吉幾三の「津軽平野」の歌詞の通りです。
社会人を卒業してから個人的に津輕を尋ねました。奥さんも温かく迎えてくれました。
津軽弁はほとんど分かりませんので心の会話です。

そんなことを思い出しています。
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今晩は・・・。 (縄文人)
2022-04-07 18:32:07
奥さんの姿?であろう、後ろ姿、画像の一端に、今回のように正面を向いて映っている。
日本全国主要な観光場所征服するのではないでしょうか!
   いいですね・・・・!!

  ▲ ヒキノさん 日本列島 漫遊記
         お岩木山や お二人一緒 (縄)

これからも漫遊を続けられ観光地を紹介してください。
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