信州上田の・・・六文銭の写真帳
秋の姨捨・・・黄金色の棚田の風景です。
耕して天に至る・・・
棚田としては緩傾斜地形です。数万年前の筑摩山地の三峰山(1113m)の火山活動によって流れ出た土石流堆積物地形といわれています。他説もあり。
「観月の姨捨」として平安時代初期から「古今和歌集」「枕草子」「更級日記」で有名ですが、治山治水のため棚田が築かれたのは中世末期から近世はじめ。現在25㌶、2000枚、1枚あたり平均125㎡。水源は更級川の源流、江戸時代の前期に最上部の奥に溜め池が造られ造成を重ね灌漑池が6面あります。
「観月の姨捨」として平安時代初期から「古今和歌集」「枕草子」「更級日記」で有名ですが、治山治水のため棚田が築かれたのは中世末期から近世はじめ。現在25㌶、2000枚、1枚あたり平均125㎡。水源は更級川の源流、江戸時代の前期に最上部の奥に溜め池が造られ造成を重ね灌漑池が6面あります。
耕して天に至る・・・
19世紀末の中国清代の政治家、外交官、武官の李鴻章が日清戦争終結の下関条約のため来日した際、艦上で瀬戸内海に浮かぶ島の段畑を見てつぶやいたといわれますが定かではありません(孫文の言葉という説もあります)。「貧なるかな」と続けたとか・・・「宜なるかな」といったという説があり・・・「勤勉なるかな」と感嘆したともいわれています。中国には日本より大規模の「階田(中国には棚田、段畑という言葉はない)」があるので、この説は?です。
※撮影日は9月10日。
★「田毎の月」で有名な棚田は長楽寺の寺領の「四十八枚田」を指すのだそうです。★姨捨棄老伝説について・・・深沢七郎著の小説「楢山節考」で有名。
※コメント欄オープン。
改めて前のページ9/30.10/1.10/2.10/3をコラボしながら、
「姥捨て・稲穂黄金・名月棚田」を拝見しています。
「耕して天に至る・・・・・」の解していますが、
▼ 耕して 天に至りて 黄金波
一方秩父石間の
▼ 耕して 天に至りて 逆さ堀り
これを「天と地の違い・雲泥の差」とでも、言うのでしょうか。
先人は、よくここまで傾斜地を平らにしたものです。
姥捨ての地が、名月の里、「楢山節考」の姨捨棄老伝説の地とは知らぬ仏のお富さんでした。
ゆっくりと時を忘れていたい空間です。
芭蕉も一茶の愛した姨捨の棚田、田毎の月・・・
一度、ぜひ、尋ねてみてください。
、
段畑・・・秩父栃本で見ました。傾斜地で山に尻を向けて耕す。
姨捨・・・ジックリ駅のベンチに座ってボケーッと眺めたい。