比企の丘

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8月は長い長い月でした・・・映画「日本でいちばん長い日」を見に行きました

2015-08-31 | 語り継ぐ責任 あの戦争
ようやく8月が終わります。体温を上回る酷暑の日が続き長い長い月でした。
8月はいまから70年前、「8月6日広島原爆の日」、「8月9日長崎原爆の日」、「8月9日ソ連参戦の日」、そして「8月15日ポツダム宣言受諾・無条件降伏、天皇が終戦の詔勅を放送した日」と、日本という国の存続の岐路に立った月です。

8月20日、映画「日本でいちばん長い日」を見に行きました。

1965年大宅壮一編の名で出版された「日本でいちばん長い日」(文藝春秋社刊)というノンフィクション小説を映画化したものです。最初に映画化されたのは1967年。今回は再映画化。

映画は鈴木貫太郎という元海軍大将が首相に指名されるところからはじまり、ポツダム宣言の受諾を決める御前会議、天皇の聖断、玉音放送、それを阻止しようとする青年将校、阿南陸相の自決、玉音放送で幕を下ろします。

なにしろ70年前のことですから、わからないことばかりです。歴史的事実を点として、それをつなぐのは調査した人、書き起こした人の推論、イメージです。以前に読んだ本ですが、ツマビラかに読んでみようと文庫本をネットで買って読んでみました。なおさらわからなくなります(章ごとに細かい注解がほどこされています)。原作を数回、映画も数回見なければ、オボロげながらもわかってきそうのありません。

日本でいちばん長い日」という本・・・は終戦後間もなく文芸春秋社入りした半藤一利(編集者、編集長、専務取締役、相談役)が社内で太平洋戦争と昭和史の勉強をはじめ「太平洋戦争を勉強する会」という勉強会を立ち上げ、元軍人、戦争体験者を呼んで話を聞く会を続けたことかきっかけで生まれた本です。そこで1963年8月の雑誌「文芸春秋」に「日本でいちばん長い日」という大座談会の記事を掲載しました。そこで一冊の本にして見ようということになり、みんなで取材を重ねて半藤さんが書いたのだそうです。敗戦から20年後の1965年のことです。初版本が大宅壮一編となっているのは諸般の事情があったものと思われます(半藤さんが一社員であった、営業上の理由・・・大宅壮一が当時の著名のジャーナリストであった)。それから30年後の1995年の再販では大宅壮一の序文ではじまり著者は半藤一利となっています。

原作はプロローグ・・・7月27日の「ポツダム宣言」受諾を要求された日ではじまり、本章は8月14日正午から8月15日正午まで、宮城御文庫の御前会議、3:3の票決から天皇の聖断、青年将校の宮城乗っ取り計画(宮城事件)、近衛師団長惨殺放送会館乗っ取り計画阿南陸相の自決、録音盤による天皇の玉音放送がはじまりすべてが終わります。

終戦後の昭和30年代、文藝春秋の社員たちの勉強会から生まれた本。終戦前夜の事実に立ち会った人たちへの聞き取り(軍関係、官関係、宮内庁関係、報道関係、50数人に及ぶ)、調査と検証が行えたことがリアルな臨場感を伝えてきます。

敗戦間際の日本をどう収束させるかの大役を担った主役はだれか・・・映画では阿南陸相を軸に進めていますが、かつての天皇の侍従長、鈴木貫太郎首相か、あくまでも徹底抗戦を主張する陸軍の終局を図るために自決する阿南陸相か、わたしには重臣会議において首相に推され固辞する鈴木に対して天皇が懇願したということから(貞明皇后も懇願したといいます)、主役は天皇ということも考えられると思います。

本は何回も読み直してみたいと思います。映画も見直してみたい。

※「終戦の詔勅」漢文訓読体の文章は難解です。近い機会に現代語文体にしてと見たいと思います。大まかな原案は内閣書記官長迫水久永が御前会議のメモから起草、漢学者川田瑞穂、東洋思想家安岡正篤らが補修を加え閣議で確定、天皇の裁可をえたものといわれます。

※関連した本・・・角田房子著「一死大罪を謝す 陸軍大臣阿南惟幾」(新潮社 1983年刊)
           半藤一利著「 あの戦争と日本人」(文芸春秋 2013年刊)

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