武州川越・・・物見遊山・・・小江戸といわれる由縁はこの「蔵造りの街」を見ればナットク!
川越藩・・・関八州の西北を固める要衝です。藩主は徳川家ゆかりの側近が勤めます。松平信綱(知恵伊豆)は三代・四代将軍の有能なブレーン。玉川上水、野火止用水(伊豆殿堀)の総奉行。後を継いだ柳沢吉保(五代将軍綱吉の側用人)は三富新田の開発で有名(現所沢市、三芳町)。今風に言えば農地開発です。江戸時代の殿様は百姓から搾取するだけではなかったのです。
蔵の街・・・江戸時代の町屋。耐火建築。写真は片側は二階入母屋平入り。通りに面した町屋は切妻平入りですが横町に面したところだけは入母屋になっています。このような江戸時代を偲ばせる美しい街並みは川越だけでしょう。
第八十五国立銀行。1876年(明治11年)設立、1918年(大正7年)改築。現在も現役で埼玉りそな銀行川越支店が営業しています。明治・大正のモダンな雰囲気。赤い郵便ポストもレトロです。この街には電柱がありません。自動車の規制をやってくれればもっとイイのですが。城下町ですから道も狭いししかたないですか。
「時の鐘」です。江戸時代の時報です。いまは川越に残ってるだけです。初代は江戸時代初期、現在のものは四代目1894年(明治26年)。高さ16m。オートメで6時、12時、15時、18時と一日4回時を刻むそうです。
「時の鐘」が3時を知らせています・・・「帰ろう」
川越藩・・・関八州の西北を固める要衝です。藩主は徳川家ゆかりの側近が勤めます。松平信綱(知恵伊豆)は三代・四代将軍の有能なブレーン。玉川上水、野火止用水(伊豆殿堀)の総奉行。後を継いだ柳沢吉保(五代将軍綱吉の側用人)は三富新田の開発で有名(現所沢市、三芳町)。今風に言えば農地開発です。江戸時代の殿様は百姓から搾取するだけではなかったのです。
蔵の街・・・江戸時代の町屋。耐火建築。写真は片側は二階入母屋平入り。通りに面した町屋は切妻平入りですが横町に面したところだけは入母屋になっています。このような江戸時代を偲ばせる美しい街並みは川越だけでしょう。
第八十五国立銀行。1876年(明治11年)設立、1918年(大正7年)改築。現在も現役で埼玉りそな銀行川越支店が営業しています。明治・大正のモダンな雰囲気。赤い郵便ポストもレトロです。この街には電柱がありません。自動車の規制をやってくれればもっとイイのですが。城下町ですから道も狭いししかたないですか。
菓子屋横丁の一画。映画のセットみたいです。
昭和初期には70数軒の菓子屋さんがあったといわれますが現在は20数軒。楽しいです。
東京都下から来たという中学生たち。社会科学習でしょうか。麩菓子でチャンバラをしています。
昭和初期には70数軒の菓子屋さんがあったといわれますが現在は20数軒。楽しいです。
東京都下から来たという中学生たち。社会科学習でしょうか。麩菓子でチャンバラをしています。
「時の鐘」です。江戸時代の時報です。いまは川越に残ってるだけです。初代は江戸時代初期、現在のものは四代目1894年(明治26年)。高さ16m。オートメで6時、12時、15時、18時と一日4回時を刻むそうです。
「時の鐘」が3時を知らせています・・・「帰ろう」
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