比企の丘

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岡部伊都子さんが亡くなられました

2008-05-03 | 語り継ぐ責任 沖縄のこと
4月29日、岡部伊都子さんが亡くなられました。この人のことはよく知りません。

岡部伊都子さんに出逢ったのは図書館の本からです。私の読書はほとんどが図書館からのものです(本を購入するのはなかなかたいへんです。3枚の図書館カードを常に持ち歩いています)。1923年生まれですから85歳でしょうか。大阪のタイル問屋さんのお嬢さん、相愛高等女学校を病気のため中退、婚約者を沖縄戦線で失います。結婚、離婚を経て執筆生活に入り120余冊の著書を残します。実家は父の死後、倒産。母の違う5人の弟妹がいたことをあとで知ります。

美形です。この人は「学歴はないが病歴がある」といってたそうですが、人の品格・容姿は学歴ではなく心の美しさできまります(・・と思います)。

沖縄からの出発」(講談社新書1992年刊)
いま再びこの方の本を読んでいます。
岡部さんは婚約者が沖縄で死んだときから「負の一生」が始まったのでしょうか。

・・・・・彼が「こんな戦争で死にたくない」といったときはびっくりして「どうしてそんなことをいうの」とたしなめた軍国少女の私であったのに。・・・・(文中抜粋)

やがて中国戦線から沖縄に転戦した婚約者は那覇市の南方の南風原村で砲撃により両足を損傷、自決したらしいとわかってきます。

・・・・・許してください。邦夫さん。わたしはあなたの思想を理解してはいませんでした。「この戦争はまちがっている。天皇陛下のために死ぬのはいやだ。国のためとか、君のためなら、よろこんで死ぬけれど」と、そういったあなたの気持ちを理解しないで、あなたに「戦死は名誉だ」といって。・・・・(文中抜粋)

この婚約者とのあいだに残された「負の遺産」が岡部さんを執筆活動に向かわせたのでしょうか。もっとも子なきは去れと婚家からかえされた女性の生きる道だったのかはわたしは知りません。
古典の世界に深い造詣を持ち、沖縄、集団自決、慰安婦、反戦、環境、差別問題に一生懸命に向き合っています。地域の人たちと裸の心で付き合う姿に胸が打たれます。いわゆる進歩的な人ではなくむしろ古風な考えの普通のオバサンだったかもしれません。ごく当たり前のことを淡々と書いています。
何か1冊読んでみてはいかがでしょうか。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
岡部伊都子さん (菜花)
2008-05-04 13:07:05
こんにちは。

岡部伊都子さん、亡くなられましたね。
私は岡部さんの本は読んだことがないのですが、大変な生涯だったのでしょうね。

これでご本人は、やっと安らかに眠れるでしょうか?

TB一つさせて頂きます。
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哀悼 (菜花さん)
2008-05-06 18:08:40
書き残したものからでしか判断できませんが、たいへん的確にものごとをつかんでいる方です。
沖縄のことでも情に流されず書いていますから説得性があります。
病のデパートのような人で学校中退も、離婚も病弱からのようです。その方が何回も訪沖して、沖縄の人と目の高さを同じにして語り合っています。
大江さんのようにビッグネームではなかったのですが足跡は大きいと思います。

TBありがとうございました。
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