信州上田の・・・六文銭の写真帳
1月12日、ふたたびの東御市本海野「海野宿」。昨年の11月29日以来です。江戸時代、德川幕府は1601年から7年かけて五街道を整備、続けて1625年中山道追分宿から分れて北信濃、上越、越中、加賀に向かう北国街道を整備。追分宿から分れて小諸宿、田中宿、海野宿、上田宿へと続きます・・・。
手ーマパークでもなくドラマのセットでもなく人が普通に生活している街村です。
街道の真ん中を流れる用水路・・・せぎ(堰)と呼ばれています。
せぎに架かる石橋は60・・・むかしのままだそうです。
街道より一段低く、設けられた水場です。緩い傾斜の水の流れをいったん堰止めて用水に。
せぎに架かる石橋は60・・・むかしのままだそうです。
街道より一段低く、設けられた水場です。緩い傾斜の水の流れをいったん堰止めて用水に。
※撮影日は1月12日。
※この稿は続きます。
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