信州上田の・・・六文銭の写真帳
4月12日、桜満開・・・ふたたびの松代城跡公園・・・
海津城から待城、そして松代城・・・明治時代に廃城・・・いまは市民の憩いの場・・・
※撮影日は4月12日。
⦅松代城物語⦆
石垣のみ残る古城の雰囲気の城址です。築城は武田信玄が北信濃に版図を広げる戦国時代、村上義清が武田との戦いに敗れ葛尾城(坂城町)を捨て、越後に逃れたのは1553年、1559年信玄は松代に対上杉勢の最前線に位置する城を白を築きます。城代は春日虎網(高坂弾正忠昌信)、築城時は茅津城、貝津城、のち海津城に。川中島の戦いでは本陣に。春日虎網は甲州石和郷の百姓出身、武田信玄の最近習、四天王。信濃国更級郷牧之島(現長野市新町)の豪族香坂氏の名跡を継いで高坂弾正忠を名乗るように。江戸時代に定本化した武田軍団の歴史を語る「甲陽軍鑑」は1575年頃よりの春日虎網の口述を筆記したものから編纂が始まったいわれます。1578年海津城で没、墓所は松代町明徳寺、甲州市恵林寺に。武田勝頼が天目山で自決、武田一族が滅亡したのは1582年。
海津城はそのご織田、豊臣、徳川の版図に変遷し、海津城から待城、松代城に、江戸時代に森、松平,酒井、真田と藩主が変わり明治期に入り廃城。
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