比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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陶芸の街・・・益子を行く

2011-05-08 | 道をゆく 関東
5月3日、焼物の里「益子」の陶器市に行ってきました。
駅のそばの駐車場に車を停めてブラブラと・・・藍染め屋さんを覗いて、街の中心部の城内坂に。

古い街ですがここだけは道が拡張されて、歩道、さらにお店までのあいだにアプローチがありそこにいろんな陶器が陳列されています。小さな小路の奥の空き地にも陳列場があり、共販センターの大陳列ブースまで楽しく歩けます。


《益子の陶器》瀬戸、有田と並んで益子は焼物のふるさとですが、その歴史は浅く150年。幕末に近い江戸末期、大塚啓三郎なる人が茨城県笠間で笠間焼きを修業、領主(黒羽藩主)の後援でここに窯を築いたのが1852年。1855年御用窯に。日常雑器を量産、鬼怒川水運を利用し江戸で販売、明治期になってもおおいに栄えたといいます。
益子焼の名前が全国的に広まったのは民芸運動の陶芸家濱田庄司(のちに人間国宝)が1930年ここに定住するようになってから。陶祖は大塚なる人ですが濱田庄司は中興の祖といえます。
益子焼・・・あくまでも日常雑器です。ボッテリとした釉薬の重くて壊れやすい土物です。

登り窯・・・ここにも地震の影響が・・・焚き口が瓦礫の山になっていました。

〇〇はにわ店」です。茶碗や小鉢も並んでいましたからはにわだけではなさそうですが。

(益子焼と関係ありませんが)わたしのスーヴェニール。
「縄文のヴィーナス」ミニレプリカ。600円。

モデルは縄文時代(15000~3000年前)の土偶。1986年長野県茅野市米沢埴原田という地籍、棚畑遺跡、環状住居の中央でほとんど完全な形で発掘。27cm2.14kg。4500年前と推定。
何の目的で・・・その意味はわかりませんから省略。

ただ・・・そのおおらかなエロティックさに感動

このあと、笠間の陶器市も見ようと行ってみたが駐車場の大渋滞で断念、栃木県野木町の野木神社にお参り,ついでに御神木で営巣している猛禽(フクロウ)を見たかったがすでに夕闇迫り、目視できず。3時間かけて帰宅。オツカレサン。

過去ログ→2009.11.08・・・焼き物の里・・・秋の益子陶器市に行く


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