JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

元千葉一区 日本共産党衆議院議員 柴田睦夫さんのしのぶ会

2013年09月23日 | Weblog


今日は、柴田睦夫さん(日本共産党元衆議院議員)の「しのぶ会」でした。会場いっぱいの、さまざまな方々が参加されました。
 いつあっても、どこかはずかしそうに、そして、「どう元気かい」と声をかけて頂きました。゛ぶれない・不屈の信念」を持った方だからこそ、まったく、気さくで、あたたかい方なのでしょう。

 志位和夫委員長はベトナム出張と重なり、挨拶文が紹介されました。
不破哲三さんも、「メッセージ柴田睦夫さんの思い出」に文を寄せています。
 

 柴田睦夫さんのご逝去にたいして、ご遺族のみなさまに、あらためて心からの哀悼の気持ちを申し上げます。
 今日の「しのぶ会」は、あいにくと海外出張と重なり、出席できません。書面をもって、ごあいさつにかえさせていただきます。
 柴田睦夫さんは、「含羞の巨人」といわれ、誰からも愛されるおおらかな人柄をたたえた、私たちの大先輩でした。
 弁護士として、国会議員として、民衆の立場に立って張り続けてきた正義の論陣、朴訥とした語り口ながら胸にしみる演説は、私の心にも深く残っています。
 柴田さんが、初当選したのは、1972年、私が高校生の時でしたが、わが千葉県からも日本共産党代議士誕生の報に、喜びと興奮をもって新しい時代の到来を感じたことを思い出します。それ以来、日本共産党船橋市議会議員も務めていた私の父との交友もあり、私にとって、柴田さんは、たいへん身近な存在でした。
 柴田さんの衆院議員としての戦績は5勝2敗。日本共産党にとって難しい逆風が吹いている情勢のもとでも、革新の灯をともしつづけてくることができたのは、柴田さんの政治家としての魅力によるところが大きかったと思います。
 私は、1993年の総選挙で、柴田さんの後を引き継ぎ、多くのみなさんのお力で国会に押し上げていただきましたが、その時にも、柴田さんを先頭に営々として築いてきた千葉県の革新の伝統に、深い感謝の気持ちをもったものでした。
 柴田さんは、国会議員を退かれた後も、さまざまな形で、私たちを励まし続けてくださいました。私が、千葉県で演説をしますと、いつも柴田さんが笑みをたたえて応援に来てくださったことを、忘れることはできません。
 柴田睦夫さんは、千葉県の革新運動、民主的法曹界、日本共産党国会議員団の活動に、大きな足跡を残されました。その活動に心からの敬意と感謝をこめて、お別れのごあいさつといたします。
2013年9月23日  ハノイにて
     日本共産党幹部会委員長・衆議院議員 志位 和夫

「柴田睦夫さんをしのぶ会」にお集まりのみなさんへ
                                 不破 哲三
 いま、私たちは、日本共産党の゛第三の躍進4の途上にありますが、私も柴田さんも゛第一の躍進゛のなかで衆議院の議席を得た仲間でした。
 私は一足先に一九六九年一二月の総選挙が初当選でしたが、柴田さんが当選した七二年一二月選挙は、文字どおり日本の政治を変えた大躍進でした。なにしろ、六九年の解散前には衆議院四議席だった日本共産党が、三年後三九議席、野党第二党に進出したのですから。
 当然、全体として議会経験の少ない議員団でした。しかし、何事にも智恵と力を尽くして大胆にぶっかり、物価・公害問題、小選挙区制問題、ロッキード問題、原潜放射能問題などあらゆる問題で、当時まだ絶対多数を誇った自民党を野党の先頭に立って追及し、゛国会は変わったという世評を高めたものでした。
 数年後には、危機におびえた支配勢力が逆流の反攻を開始しました。そのなかでも、他の野党がどう崩れようと、また内外どんな局面にぶっかろうと、゛ぶれない党゛の真価を発揮して、「日本共産党ここにあり」の奮闘をしました。
 それが、柴田さんと腕を組んでたたかった七〇年代、八〇年代でした。
 あの時代を共に過ごした仲間が年ごとに少なくなり、その訃報がすでに三分の二を超えたというのは、本当にさびしいことですが、今回の新たな躍進も、柴田さんをはじめ、あの時代の多くの仲間の奮闘があってこそのものだというのが、私自身の体験的な実感です。
 その時代にくらべても、自民党政治のもとで日本が落ちこんでいる危機はけた違いに深刻で、政治の変革で日本の新しい進路を開く必要性はいよいよさしせまったものとなっています。
 柴田さんとともに最初の躍進と逆流を経験した二〇年近いたたかいの日々を思い返し、柴田さんへの右岸の思いを深く心に刻みながら、いま開始された゛第三の躍進゛を、逆流を許さない本格的で持続的なものにするために、残された者として力を尽くさなければ、と思っています。