2月2日にBS日テレが放映した、「世界の名画反逆児クールベ天使を書かなかった男」の題材に惹かれて、録画しました。
今でも忘れない絵画に、学校の教科書に載っていた、たしか「クールベの石割り?」があります。
なぜ、好きな作品だったのか、今でもわからないのですが、絵を描いていた一番上の姉が、様々な名画の解説をしてくれていた記憶があります。当時はただ聞き流していたのですが、労働の大切さがしみこんでいたのかもしれません。
その後、特にクールベを調べるという気持ちもなく、過ぎたのですが。
今回の放映で、驚きました。
クールベが、「パリコミューン」政権の美術委員会会長になったことがあること、当時の社会主義者との交流があったことなどが解説されていました。
テレビで紹介されていた作品では「追いつめられた牡鹿」、何を書こうとしていたのか。考えさせられました。
不破哲三さんは、マルクスやエンゲルスなどの文章は、時代背景とその人の思想的な発展中で読むというような内容を、話されていますが。
クールベが生まれたのは、1819年で、マルクス1918年、エンゲルス1820年とまさに、労働者階級の成長と運動の広がり、そして、科学的社会主義の理論が生まれる時期の作家ということがわかりました。
クールベは、祖国に帰れないで、酒を飲み亡くなったととの事でした。
マルクスが、イギリスのロンドンに亡命し、その状況を活用して、極貧の中、資本主義研究と「資本論」刊行へつなげていった人生とを考えさせられました。
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