朝日の花びら
都市高速の合間からのぞいた朝日がカメラの中ではじけていた
いきなり、「うぐっ」ときて、口をこじ開けるあけるように
ばっと飛び出してきた。
そして、白っぽい体をくにゅくにゅとくねらせ、
教室の床を這いずり回っている。
「こんにちは、回虫君」。
クラスメイトのほとんどが、回虫やサナダムシといった
〝虫持ち〟だったから、気味悪がりもせず、ワイワイ言って取り囲み、
むしろ面白がっていた。
先生の方が、それこそおっかなびっくり、
僕らが見ても明らかにへっぴり腰で、
皆が「先生、早く」とはやし立てると、イラっとしたのか、
箒の扱いも荒っぽく、回虫を塵取りに掃き入れ、
廊下にドタドタとけたたましい足音を響かせたのだった。
担任の先生が女性だったことを思い出したから、
これは3年生か4年生の時の話である。
なぜ、〝虫持ち〟の子が多かったのか。理由ははっきりしている。
終戦間もないこの当時、まだ化学肥料はさほど普及しておらず、
農家はもっぱら人の糞尿を堆肥にして使った。
その中には寄生虫の卵が潜んでいたから、その卵は、
キャベツや白菜の葉っぱの間に移り住むことになったのである。
もちろん調理する時にはきれいに洗い流す。
だが、100%というわけにはいかない。
しぶとく野菜にしがみついている奴がいて、それら生き残った卵は、
人の口から体内へと侵入し、本来は僕らの栄養となるべきものを横取りして、
すくすくと成虫へ育っていくのだ。
ほとんどのクラスメイトが、そんな経験をしているものだから、
回虫がいきなり飛び出してきても大して驚きもしないのだ。
ただ、先生たちにすると、笑い話で済ませるわけにもいかず、
子どもたちに定期的に虫下しを飲ませるなどして、
〝寄生虫一掃作戦〟を展開、化学肥料が使われ出したのと相まって
回虫君を見かけることは少なくなっていった。
その頃はまた、寄生虫だけではなく服の縫い目には
シラミが列をなして隠れていたし、髪の毛を指ですくと、
シラミとその卵がぽろぽろとこぼれ落ちてきた。
それで生徒が一列に並び、次々に頭から白いDDTを振りかけられたものだ。
そんな時代だった。
僕と妻との間には、『3秒ルール』なるものがある。
決して他人様にお薦めするものでなく、
あくまで僕と妻2人だけに通用するルールだ。
年を取ると、体のあちこちに不都合が出てくる。
「膝が痛い」「腰が痛い」などというのは、
〝年寄り病〟に認定されているに等しく、
また口、喉周りにも何だかだと機能不全が起きてくる。
食事中にポロポロとこぼす。あるいは菓子なんかを食べると、
小さく噛み砕いたものが、いつまでも喉にまとわりつき、
時に咳を連発させることがある。
餅を喉に詰まらせる、これに対しては、主に年末年始に注意警報が出る。
誤嚥性肺炎というのも年寄りにひどく偏った病気で、
高齢者の死因の上位に座る。
妻と2人の食卓。箸でつまんで口に入れようとしたご飯が、ぽろりと床に落ちる。
すかさず妻が言う。「3秒ルールよ」。
僕は急いで、床に落ちた一塊のご飯を拾い、何のためらいもなく口の中に放り込む。
妻の判定は「セーフ」。何のことはない。
「床にこぼしても、3秒以内であれば何の害もないから、拾って食べてよし」
そういうルールなのだ。
何せ、〝寄生虫の卵付き野菜〟を食べて育ち、生き残ってきた世代である。
これしき、何ということはない。
20年、いや30年ほども前になる。ある医師と知り合いになった。
僕より一回りほど年長だったと思う。
雑談ついでに、あの回虫騒動の話をした。医師曰く。
「僕は経験がありませんが、確かによく見聞きしましたね」
えらく淡々と話す。まあ、よい。問題はそのあとだ。
「ところで、あなたの世代、突然死のリスクが高いのですよ」
死はまだ遠い話の40半ばの人間に、医師たる者が何たることを……。
「それって、回虫に栄養分を横取りされたからですかねぇ」
少しばかりの怒りを笑いの中に押し込んだ。
「いや、いや、いや」手を振りながら、
「そもそも幼少期が食糧難だった世代なんです。
つまり栄養不足だったんですね。
青ばな垂れた子が多かったでしょう。これもタンパク質の摂取不足です。
突然死が多いのは、この幼少期の栄養不足が一因らしい。
ところで、あなたご兄弟は?」
「兄3人に、姉2人の末っ子です」
「なるほど、そうだとお母さんのおっぱい、あまり飲めていませんね」
「さあ、どうでしたでしょう。よく覚えていませんね」
「おっぱい、大事なんだがなぁ」
医師のつぶやきに、早々に退散することにした。
すでに後期高齢者の保険証をいただく身。
『3秒ルール』のお世話になること、さらにしきりである。
「そいでんですね、先生。僕、まだ元気に生きとります。
何せ、回虫に鍛えられましたもんなぁ」
そうつぶきながら、また1つ年を取る。