Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

「また、お待ちしています」

2022年11月25日 06時00分00秒 | エッセイ


「もう止めてくれ。何でも白状するから、もうこれ以上は堪弁してくれ」
激痛に、思わずそう叫びたくなる。
ここは拷問部屋ではない。病院の診療室だ。
数カ月ごとに、がん再発の有無の検査を受けているのである。
これが拷問を受けるが如くものすごく苦痛だ。
逃れることの出来ないものだとはいえ、土下座してでも
「どうぞ、ご勘弁を」と言いたくなるほど痛いのである。

全身が硬直したように力が入る。すると余計に痛い。
看護師さんがすかさず「はい、お腹で大きく呼吸して」と言う。
その通り、腹を大きく上下させると幾分和らぐ。
しかし、それも束の間だ。またまた全身硬直状態、同時に激痛が襲う。
「このまま気を失った方がましだ」と思いはしても、
あいにく意識ははっきりしている。
「ええい、もう」と自らをののしりつつ、また腹を大きく上下させる。



こちらが、これほど苦しがっているのに医師と看護師の
やり取りには、それほどの緊迫感がない。
ごく普通、順調に検査が進んでいるような様子で、交わす口調も軽い。
また、「少し痛いですが、頑張ってください」
などと声をかけてくれるが、口振りはちっとも深刻そうではない。
それに幾分救われはするのだが、やっぱり痛い。

約30分、やっと地獄の責め苦から逃れることが出来た。
全身から力が抜け、しばらく放心状態。
首筋のシャツは冷や汗に湿っている。
「お疲れさまでした」看護師さんの声に我に返り、
「二度とやりたくないな」と言えば、
「また、お待ちしています」だと。
その笑顔が小憎らしい。

さて、肝心の検査結果だ。
医師はデータを見せながら「はい、再発はありません」と言ってくれた。
つい1時間ほど前の、あの拷問の激痛がウソのように消えた。
何と現金なことか。でも、数カ月後にはまた同じことが待ち構えている。
またまた落ち込む。ともかく、早くこの病院から出たい。
支払いをしようと自動支払機に並ぶと、
扱い慣れないと思えるご同輩がもたもたしている。
一瞬イラっ。

    

よくよく考えれば、自動支払機を扱い慣れているというのは、
何度もこの病院に来ているということだ。
胸中苦笑いしながら、そそくさと支払いを済ませた。
「また来なけりゃいけなのだろうな」と思いつつ。



原田のばあちゃん

2022年11月23日 07時05分03秒 | エッセイ


誰しも4人の祖父母がいる。
孫にとり4人すべてに可愛がってもらえれば、
これほど嬉しいことはない。
でも、おじいちゃん、おばあちゃんが早くに亡くなるなど、
いろんな理由でまったく知らない子もいるだろう。
とても寂しいことである。

       

僕もそれに近い。
父方の祖父母はまったく知らない。
一度でも会ったことがあったろうか。
その記憶さえない。
わずかに母方の祖母だけが、
幼い日一緒に住んでいたという記憶があるだけだ。
とは言っても、祖母としてのはっきりとした
記憶を持っているわけではない。
半ば強引に手繰り寄せようとしても、
確かな思い出はなかなか浮かんでこない。
祖母が孫を猫かわいがりするような、
逆に孫が「おばあちゃん、おばあちゃん」と慣れ親しむ、
そんな普通にあるはずの祖母と孫との
睦まじい光景さえも浮かんで来はしないのである。
正直なところ、祖母というより
「どこかのお婆ちゃん」との思いの方が強かった。
そんな寂しい思いさえさせる存在だった。

この「原田のばあちゃん」について、
ただ一つ、よく覚えていることがある。墓掃除だ。
祖母にとっては自分の連れ合いだった人、
つまり僕にはまったく記憶のない祖父となる人が眠る
原田家代々の墓へ小学生になるかならないかの僕を連れて行き、
掃除の手伝いをさせたのである。
西洋映画にでも出てきそうな鉄柵をぐるり巡らせた
広くて立派な墓だったようだが、原爆爆心地に近かったため、
その熱光線を浴びた鉄棒はぐにゃりと曲がり、
石壁に垂れ下がるようにして残されていた。
そんな有様をばあちゃんは、ため息交じりにじっと眺めていた。

      

原田家は代々のキリスト教である。
キリスト教では、当時はまだ土葬と決められていたから、
地面は今みたいにコンクリートではなく土だった。
そうとあって、ちょっと油断すると雑草に覆われてしまう。
ばあちゃんが繁く通ったのは、そんな理由もあった。
僕はもっぱら雑草を取り除くのを手伝う役なのだが、
手伝いになったかどうか。
そして、そんなことをしながらどんな話をしていたのだろうか、
まったく思い出せない。
そもそも、ちゃんと話なんかしたことがあったのか。 

今は火葬が許され、立派にコンクリート面となった、
その墓に原田のばあちゃんも祖父と一緒に眠っている。
そして墓は僕の父、と言うより母に引き継がれて
今は当家の墓所となっている。
本来なら、僕が守り継がなければならないのだが、
今は長崎に在住している3人の姪たちがその役を担ってくれている。
原田のばあちゃんも守られているはずだ。
ただ、姪には見も知らぬ人である。
原田のばあちゃんは、どこか寂しく、悲しい。



「にいちゃん」と呼ぶ姪

2022年11月17日 11時38分46秒 | エッセイ


「○○にいちゃん 助けて」
夜の8時頃だったか、長崎の姪からの電話は悲鳴に近かった。
「どうした。何があったんだ」
「母が車にはねられて亡くなりました」
僕にとっては6歳上の2番目の姉である。
しばらく会っていなかった。
最後に会ったのは1年ほど前だったか。
長崎へ出張した際、いつものように姉の小さな喫茶店に寄った。
こうして時々顔を合わせるのは、長崎と福岡、離れて暮らす
互いの無事を確かめ合う意味合いもあった。





この姉は若い頃から苦労続きで、ついには女手一つで一人娘を育て上げた。
そして、一流の大学に進んだ孫息子を何よりの心のよりどころに、
やっと平穏な暮らしを取り戻していたのだ。
その喫茶店に寄った際、大学の休暇で帰省していた
その子に何度かあったことがあったが、
確かに姉が自慢したくなるような好青年だった。
幸せそうな姉に、こちらも癒されるような気になったものだ。

その姉が亡くなったのだと。
「救急車で病院に運ばれ、手当てを受けたのですが駄目でした。
家に連れて帰りたいし、その後どうしたらよいのか……」
姪も母と同じように独り身であり頼るべき人がいなかった。
姪とは姉が実家に戻って来た際、一緒に暮らしていたこともある。
姪にすれば、僕を兄みたいに思っていたのであろう。
だから、電話してきた時も「○○にいちゃん」と呼んだのである。

仕事上関係のあった長崎の葬儀場へ電話を入れ、
ご遺体を自宅へ運んでもらう車を用意してもらい、
葬儀については姪が直接相談するよう手配した。
葬儀で気丈に振る舞う姪、
その側に一人息子が母を支えるように立っていた。





あの夜から、もう15年経つ。
姉の期待、見込み通り孫は大手の広告会社を経て、
自ら起業し時代に乗ったビジネスを手広く展開している。
そして、母である姪を長崎の総責任者に据えているのである。
そんな親子を見れば当家の墓に眠る姉も幸せであろう。

またまた姪が、今度はLINEで呼びかける。
「○○にいちゃん お元気ですか」
親子二人、厳しいビジネスの世界に挑んでいるようだ。




古都巡り ④

2022年11月11日 10時07分44秒 | 旅行記
4、5日は京都市内を散策した。
順不同で振り返ってみた。


まずは清水寺。やはり京都きっての観光名所とあって、
人出がすごい。相変わらず着物姿の外国人客が目につく。
ただ、そのたたずまいが何となくしっくりこない。
外股だと日本では「品がありません」となる。
裾の乱れをもう少し気にしてください。
いたらぬことに気を回す。

夕陽を浴びる三重塔


伏見稲荷神社へは京都駅から2駅。真ん前に着くから便利だ。
ここは、やはり千本鳥居。ここをくぐりご利益を願う。




それから東福寺に回る。紅葉の名所だが、残念ちょっと早かった。


ここには薩摩藩の菩提所となっている即宗院がある。
その庭に少しばかりの紅葉。
また、明治維新で戦死した薩摩藩士を供養する
西郷隆盛直筆の「東征戦亡の碑」が建立されている。


さて、安楽寺という所を訪ねようとしたものの
スマホのナビではなかなか見つけ出せなかった。
すると、目の前に法院然があった。
苔むした山門はなかなかの風情である。


ここからだと銀閣寺(慈照寺)が近い。
哲学の道を辿れば、すぐであった。


もう1カ所行きたいところがあった。
南禅寺だ。もう日が暮れかかっている。
タクシーで乗り付けた。


南禅寺の水路閣


南禅寺境内から見た夕月


この旅最後の訪問となったのが西本願寺だった。




若い夫婦に幸あれ!



4泊5日。よく歩いた。
一日1万7000歩から1万8000歩いている。
少々疲れた。これからは年齢を考え、
ゆるりとした旅をしようと思う。




古都巡り ③

2022年11月10日 09時18分00秒 | 旅行記


鹿 鹿 鹿 鹿……
初めての奈良は、東大寺も春日大社も法隆寺も、
そんな名だたる寺社をまともに訪れることも出来ず、
もっぱら鹿とたわむれるそんな旅に終始した。
それでも満足、満足。








これほどすり寄ってきて、鼻でお尻のあたりを小突き、
せんべいを催促する。せんべいを両手高くに掲げると、
頭をびょこん、ぴょこんと下げ、「お願い、ちょうだい」と
これまた催促する。
そんな仕草がいちいち可愛いのだ。



小、中、高校の修学旅行生は特に鹿君には人気で、まとわりついて離れない。
彼らは露店でせんべいをよく買うことを鹿君たちは知っており、
それで彼らを標的にし、追いかけ回すのだ。
ただ、うまくせんべいをやらないと執拗に追いかけられ、
女の子なんか悲鳴を上げることになりかねない。
 
          

また妻のバッグから少しだけのぞいていたビラが
食いちぎられるということもあった。
このようなこともご用心だ。

鹿なんて動物園に行けばいくらでも見られる。
ごもっとも。でも、これほどすり寄られると可愛いんだな。
といった具合で、奈良公園の鹿たちとたわむれた一日となった。



もっとも、11月3日のこの日は祝日。
観光客であふれ東大寺も南大門あたりまで。
肝心の大仏さんの拝観も諦め、
ミュージアムに展示してあった両手を拝むにとどまった。




南大門にある金剛力士像


春日大社にはまったく近づけなかった。

わずかに京都へ戻る道すがら夕暮れの興福寺を訪れた程度だった。






奈良はもう一度訪ねなければならない。