Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

老いる

2021年05月28日 11時26分00秒 | エッセイ

      目覚め、スマホを手にするとLINEが着信になっていた。
      誰が、何事だろう。
      開いてみると、友人が一本の動画を送っていた。
     「これを見よ」とだけで、何のコメントもつけていない。
      その動画の人物には見覚えがある。
      アラン・ドロンだ。
      85歳の年老いた現在の顔が、どんどん若返っていく。
      人はこれほど変わっていくのか。
      いささか侘しくなるような、そんな動画である。
      アラン・ドロンに続いて、
      ブリジット・バルドーやエリザベス・テーラーといった
      名だたる女優さんたちが次々に出てくる。
      顔はかすかに覚えているが、全部は名前が出てこない。
      いずれも、随分な変わりようだ。

     

     友はこの動画を朝の6時35分に、
     どんな思いで送ってきたのだろう。
     私より年下ではあるが、それほど大きな年の差ではない。
     この動画に互いの姿を重ね、ほろ苦い思いをしているのであろう。
     そして、「あなたは、どう」と冷やかしているのかもしれない。

          

      スマホを握る手を見て、爪が伸びているのに気付いた。
      何ともだらしないことである。
      コロナによる緊急事態宣言下、出社は自粛中とあって、
      人に会うこともない。友人たちと歓談することも控えている。
      すると、つい身だしなみが疎かになってしまう。
      コロナのせいばかりではない。
      加えれば、年のせいもある。
      年を取ると、身だしなみに無頓着になってしまう。
     「なぜ、そんな服装をするの」しばしば妻からたしなめられる。

      見かけの哀れさ、心持の哀れさ。
      笑いながら、老いを吹き飛ばさなければならない。


「・358」

2021年05月26日 17時00分00秒 | エッセイ

      プロ野球は25日から交流戦に入った。
      セ・パ両リーグのトップ選手の競演が楽しみだが、
      ちょっと新聞で打撃10傑を見てみると、
      セ・リーグの首位打者は菊池涼(広島)で「.342」、
      パ・リーグは吉田正(オリックス)で「.331」だ。

          
      
      ところで「・358」という、野球選手の打率に似た
      数字に心当たりがあられるだろうか。
      実はこれ、全国的に人気のある車のナンバーなのだそうだ。
      ご存じのように、車のナンバーは別途手続することで、
      自分が希望する番号を取得することができる。
      それで、自分の、あるいは家族の誕生日をナンバーにしたり、
      あるいは何かの思い入れ、思い出などに絡んだ
      数字を選んだりする。
      運転していて、周囲の車のナンバーからあれこれ想像するのも、
      秘かな、結構な楽しみの一つである。


      では、なぜ「・358」が人気なのか。
      その理由はさまざまに言われている。
      「釈迦が悟りを得たのが35歳8カ月」
      「風水では38は創造性を高める数字とされ、
      また5は財運アップの数字〝ご縁〟(5円)につながる」
      「聖書では358は聖なる数字。666が悪魔の数字」
      「西遊記では、沙(3)悟浄、孫悟(5)空、猪八(8)戒が
      三蔵法師を護る=車を災厄から護る」
      等々、要するに「358」は好運な
      ナンバーとされているわけだ。
      そうとあって、何と名古屋では抽選になるほどの人気らしい。


                   
 
      5月25日、かかりつけ医に予約が入っている。
      向かう車中、並んで信号停車している前の2台を見て驚いた。
      両車のナンバーが共に「6688」と同じなのである。
      家族なのかと思ったが、地名が違うし、
      間もなく両車は左折、直進とそ知らぬふりして別れていった。
      両車には、「6688」にどのような思いがあったのだろうか。
      同じ思いが込められていたのか、
      あるいはまったく別の理由があったのか。
      残念ながら「・358」車は見当たらなかったが、
      「6688」に、ひととき楽しめた。

          
      
      かかりつけ医で、左腕にブスリ。
      コロナワクチンの第1回接種を、特に副反応もなく済ませた。
      この時世の中、ある意味記念すべき日である。
      車のナンバーは「・525」とするか。
      もっとも新車を購入する計画はないが……。



「移り気」で「浮気」な

2021年05月21日 06時00分00秒 | エッセイ


     梅雨入りを待っていたかのように、
     庭の片隅に置いた鉢植えの紫陽花が花を咲かせた。
     時折、小雨がパラパラと降りかかる。
     ああ、やはり梅雨時を盛りとする紫陽花には雨がよく似合う。
     無論、何事にも加減というものがあり、
     雨であっても篠突く雨が紫陽花を叩いたのでは風情を失くす。
     紫陽花には雨露が花弁に丸く転がるような、
     そんな小糠雨が程良いのだろう。

           

     だが、紫陽花のあの可憐な美しさに騙されてはいけない。
     見た目の美しさの裏には、なんとも怖い本性を隠している。
     花の色はコロコロと変わっていく。
     それで花言葉が「移り気」「浮気」なのである。
     さらに、別名が「七変化」「八仙花」とさえ……。

     もう5年、いや6年前だったか、6月に夫婦で鎌倉を訪れた。
     鎌倉と言えば、やはり紫陽花だ。
     鎌倉には、それぞれに由緒ある神社仏閣が多くある。
     その厳かさの中に、紫陽花が品を漂わせて咲き、
     しっとりとマッチする。
     それに多くの人が魅かれ、やって来るのである。
     北鎌倉駅から円覚寺へ、さらに「あじさい寺」と呼ばれる
     明月院へと巡る。
     ここは日本古来の姫アジサイが主で青一色。
     〝明月院ブルー〟と言われるだけあって、
     さすがの眺めだった。
     院内の重々しい静けさ、それに紫陽花がひっそりと
     彩りを添えている。
     だが、この青い花の色は、もう一つの花言葉
     「冷酷」「無情」を連想させる。

          
                            明月院で
     
     さらに鎌倉駅から江ノ島電鉄で長谷寺へと向かった。
     明月院の紫陽花が青一色だったのに対し、
     こちらは色とりどり、さまざまな種類の紫陽花が見事だった。
     色とりどりのさまが、「移り気」「浮気」へとつながっていく。
     なんとも気の毒な花言葉である。

                                    長谷寺で

      福岡にも近場に紫陽花の名所は数々ある。
      これからが本格シーズンであり、観賞へ出かけたいところだが、
      コロナが両手を広げて待ったをかける。
      うかうかすると、見逃がしかねない。
      何と言っても「移り気」「浮気」な花なのだ。
      待っていてはくれないかもしれない。
                    

父母の秘密

2021年05月18日 06時00分00秒 | 思い出の記

     管の中の血は、確かに父と母から受け渡されたものである。
     それは2人の親の長い人生の業にも似て、
     真っ赤であったり、どす黒かったり、
     あるいは管にへばりついて固まったりしている。

        
     
     まだ小学生にもなっていなかった頃、
     8つ上の姉は路面電車の停留所近くにあった
     一軒の家に私を連れて行った。
     出迎えたのは母であった。
     母はなぜ、父や兄弟姉妹が暮らす家とは違う
     ところに1人いるのだろう。
     かすかな、たったこれだけの記憶で、小学も高学年になると、
     父と母は一時期、別居していたのだと分かった。
     ただ、どんな理由だったのか未だに知らない。


     兄や姉たちが、「どうして」なんて教えてくれるはずもなく、
     兄や姉たち自身も胸を痛めていたに違いない。
     姉が私を母の所に連れて行ったのは、
     自分も母に会いたさに父には内緒で私の手を引いたのであろう。


     思えば父と母はあまりにも境遇が違う者同士だったと思う。
     父は長崎高商(現・長崎大学経済学部)の出身なのに、
     対する母は尋常小学校、あるいは高等小学校の出である。
     また父方は天理教、母方はキリスト教であり、
     結婚した際父がキリスト教に転宗し、
     母以上に熱心なキリスト教信者になっている。
     私たち子供は、そんな父の強い宗教観の下で育てられている。
     もう一つ。父の家系は下戸なのに、母は酒豪の家系であった。
     母もそうで、夕食時の食卓に杯が置かれるのは母の席だけだった。
     そんな違い過ぎるとも思える2人が、
     どうやって知り合い、結婚することになったのか。
     そして2人は本当に仲睦まじい夫婦だったのか。

        
    
     窓から見える博多湾は、晴れた日には
     青空と陽の光を眩しく反射するが、
     今日は雲が厚く垂れ込め、空と同じにどんよりと佇んでいる。


     父母から受け継いだ私の血もただの一色ではない。
     その血を見て、両親のさまざまなことを思い描く。
     なぜ別居していたのかなんて、
     今更知ってもしょうのないことではあるが、
     子は子なりに親のことを知りたいと思うものである。


     2人は今、同じ墓の中にいる。
     仲良くしているだろうか。
     「末っ子が余計な詮索はやめなさい」
     父も母も苦笑いしているかも知れない。



老いた眉

2021年05月16日 13時37分31秒 | エッセイ

      ベッドに仰向けになり、何をするでも、考えるでもなく
      ただ、ボーっと天井を見つめ、眉を指でスーッと
      伸ばすように引いたら、1本抜けてきた。
      その2センチほど、やや長めの眉を
      目の前に持ってきて、じっと見つめると
      それは間もなく抜け落ちるであったろう老いた眉だった。

          

      毛にも生え変わるサイクルがあり、
      ある期間がくると抜け、
      また新しい毛が生えてくる。
      だが、年を取るとそのサイクルが狂い、
      抜け落ちないまま長く伸びてしまう。
      老人に長い眉の多いのはそのためらしい。

      すでにその一人になった身。
      抜け落ちきれずにいたこの眉を、知らぬうちに
      指で引き抜いてやったわけだ。
      見れば、やっぱりみすぼらしい。
      全体にピンとした張りがなく、
      真ん中あたりには傷がある。
      もう少し強く引いていたら千切れていたかもしれない。
      指で引いた時も、抜けたという感覚、
      たとえば、ちかっとした痛みさえせず、
      ただ、親指と人差し指につままれて抜けていた。

        

      なぜ、こうも毎年入院を繰り返さなければならないのか。
      ほとほと嫌になる。
      だが、病棟のあちこちには私以上に
      苦しんでおられる方がたくさんいる。
      少しばかりの苦痛で済む私は、
      こう愚痴れるだけ好運なのかもしれない。
      入院すると、いつもこう同じことを思う。

      北部九州も梅雨入りした。
      窓越しの空はもちろん厚い雲がどんより覆っている。
      雨はそれほど強くはないが、
      それこそしとしとと降り続いている。
      鬱陶しくはあるが、ここを過ぎれば真夏の陽が降り注ぐ。

      そんな自然の理を思いながら、無事退院した。