Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

初恋の風景

2021年11月26日 06時00分00秒 | エッセイ


高校1、2年生? あるいはまだ中学生かもしれない。
並んでこちらへやってくる。
だが、女の子は足首でも挫いたのか足を引きずるようにして歩いている。
心配して声を掛けていた男の子が、やおら女の子に身を寄せた。
女の子は、照れたようなしぐさでその肩に腕を回し、
男の子にもたれかかり片足を持ち上げるようにして歩いた。
すぐ近くのマンションが女の子の住まいのようで、
女の子は肩から腕を外し足を引きずり玄関ドアへ向かっていった。
男の子は2、3歩後を追おうとしたが、
足を止め、心配そうに見送っている。
小さな初恋物語、そのように見える信号待ちの車窓からの
風景に思わず頬が緩んだ。

       

近著『はつ恋』の村山由佳は、新聞広告で
「恋をしている人にも、恋などとうに忘れた人にも、ぜひ。」
読んでほしいとのメッセージを送っている。
もう一つの初恋物語は「恋などとうに忘れた人」のはず、
70歳代の主婦の話である。
この主婦の手元には、彼からプレゼントされたブローチ、
それに一緒に撮った写真が、50年以上たった今も大事に残されている。
新聞の「人生案内」、つまり悩み相談コーナーに投稿された、
こちらの初恋はこのような話だ。
出会ったのは彼が16歳、この女性が15歳の春だった。
すぐに2人は恋心を抱くようになり、
友人たちとサイクリングに出かけた際、
2人きりとなった時に彼は、
「いずれ一緒になろうね」と言ってくれた。
だが、高校を卒業すると彼は故郷を出て大阪で就職。
出発する彼を駅のホームの陰から
そっと見送ったのが最後となってしまった。
何だか一昔前のフォークソングの世界を思わせる光景なのだが、
「その彼が今でも忘れることができません。
幾度となく夢に現れ、会いたい気持ちが募るばかりです。
これから先、どう生きていけばいいのか」というのである。

        

70歳代の主婦からこんな話を聞かされると、
たいていの人は「いい年をして」と思うに違いない。
アドバイザーの評論家・樋口恵子さんにしても「
失礼ながら、何てお幸せな70代の夢見る夢子さん」と苦笑し、
回答をためらったそうだ。
でも、恋に年齢は関係ないのも確かで、
こう書いている僕にしても、しばしば初恋の人を懐かしく思う時がある。
一途とも言える主婦の思いに応え、
樋口さんは「初恋という良き思い出を活力として、
周りの人たちを喜ばせ、幸せにしてあげなさい」と語りかけ、
やんわりと収めている。



海道を走る──関あじ、関さば、それに伊勢海老

2021年11月15日 15時21分37秒 | 旅行記


快挙! 個人的にはそう言える。
走った距離は、2日間で約640㌔だ。
数年前、4泊5日の車中泊で山陰、四国を回ったが、
この時の走行距離が1300㌔、1400㌔だった。
今回、1日当たりの走行距離がそれらを上回った。
昨年、2度の入院・手術で心身とも
嫌になるほど衰えを感じていたが、
それを吹き飛ばした感じである。


13日午前9時、1泊2日のドライブ旅行がスタートした。
もちろん夫婦連れ立ってのことで、妻は写真撮影も楽しむ。
まず、目指すは大分県の佐賀関。
言うまでもなく、ここは関あじ、関さばだ。
その味自慢レストラン『関あじ関さば館』にナビを設定した。
福岡から九州自動車道─大分自動車道をひた走ること約200㌔。
シルバーマークを張った爺さんは、平均90㌔ほどの
スピードでしか走らないから約3時間強かかる。



さて、着いた『関あじ関さば館』は、ちょっと名の知れた店で、
おまけに、ちょうど昼食時とあって、ほぼ満席状態。
名前を書いて空くのを待つ。
それでも10分ほどだったろうか。
海を前に見るカウンター席に案内された。



僕はあじ、さば、それにブリの刺身盛り合わせ、
妻はさばだけの関さば定食を、それにもう一品、
あじフライを注文した。
量的には食べきれないほどになったが、
あじフライは1枚を2人で分けて食べ、残り3枚はお持ち帰りとし、
夕食のお供とすることにした。
さばのぷりぷり感、あじの生きの良さをたっぷり堪能。
3時間かけて来た甲斐は十分にあった。


                          (妻撮影の夫婦岩)

店内に夫婦岩の写真が飾ってあった。
店員さんに尋ねると『ビシャゴ岩』だという。
店から10分ほどの黒が浜にあるというので、
ちょっと寄ってみた。
日の出時、太陽がこの夫婦岩の背後に昇って行き、
カメラマンには格好の絵となるそうだ。


さて、佐賀関から佐伯港へ向かう。
港に何か撮影に適したものが見つからないか、と妻が言う。
臼杵、津久見を経由して約1時間。
途中、太平洋セメント大分工場があり、道路脇に車を止め、
鉄の構造物でいかつい表情の工場を撮影した。
いつの間に、暮れかかり佐伯港へ急いだが、
撮影するのに格別なものはなく「日の出時がいいよ」
との情報だけを得て、予約していた近くのホテルへ入った。


さて2日目。5時に起き出し情報に従い佐伯港へ。
だが、車に乗るとフロントガラスにポツポツと雨しずく。
見上げると、雲が覆っているようだ。
日の出は無理かなと思いつつ、一応佐伯港へ向かう。
日の出を待ってみたが、やはり無理だった。
ホテルへ引き返し、朝食にする。


次の行先は大分県南の蒲江だ。
ここに波当津海岸がある。
海水浴場、あるいはキャンプ場として
住民に親しまれているようだが、
写真愛好家には砂紋が撮影ポイントだそうだ。





                     (砂紋の写真は妻撮影)


海から山へ─波当津海岸から藤河内渓谷に向かう。
この渓谷は祖母・傾国定公園に位置し、
巨大な花崗岩の一枚岩をはじめ無数の甌穴群が続く、
四季折々の自然が楽しめるところだ。
今は紅葉シーズン。
楽しみにして向かったが、残念!少し早過ぎたようだ。
一方で無数の甌穴群を流れる透き通った水の素晴らしさに言葉なし。



                     (上2枚は妻撮影)

再び蒲江に戻る。
この旅行の最大の目的である伊勢海老をいただくためだ。
大分県佐伯市─宮崎県延岡市の海道筋は、
毎年伊勢海老漁が解禁になる9月から11月の3カ月間、
「東九州伊勢えび海道」祭りが行われており、
新鮮な伊勢海老が堪能できるのだ。



僕らの行先は蒲江IC近くの蒲江インターパーク。
まず直売所で伊勢海老やサザエ、ヒヨキ貝、
それにサバ寿司を買い、それを焼き小屋に持っていく。
そこで伊勢海老を2つにしてもらうなどして、
屋外で自分で焼くわけだ。
やはり伊勢海老からだ。
まずミソをいただく。そして、ふっくらとした身の部分、
ああ、やっぱり旨い。身をこさげるだけこさぐ。
あと、焼き立ての貝類に移る。これがまた旨い。

   少しばかりの干物など海産物を買って、ICへ車を向けた。
   自宅までおよそ300㌔。
   何度もSA、PAに寄りながら、夕暮れの高速道路を走り続けた。




すまない

2021年11月12日 06時00分00秒 | エッセイ



2つ違いの兄が、50を待たず独り身のまま他界したのはいつだったか。
「○○叔父さんの命日、分かりますか」
 長崎の姪からの、突然のLINEはそれを尋ねるものだった。
「先日、父の墓参りに行き、墓石を見たら
叔父さんの命日だけが記されていないんですよ」
「えっ、おかしいな。ちゃんと刻まれていたはずなんだがね」
「それが、どう探してもないんです。
一人だけ、寂しいじゃありませんか。
命日が分かれば、お参りもしてあげようと……」


長崎にある当家の墓には、両親はもちろん、
姪の父親である長男、次女の姉、
それに三男のこの兄も入っているのだ。
姪は自分の父の墓参りに行き、墓石に刻まれた
それぞれの命日をなぞっていて叔父のだけがないのに気付き、
なぜだろうと思ったらしい。


「分かりますか。分かれば、ちゃんと
刻んであげたいと思っているんです」
だが、「ありがとう」と言ったきり次が出てこなかった。
「平成4年」だったことははっきり覚えている。
それなのに月日をどうしても思い出せないのである。
「年始め、1月か2月だったように思うんだけどね。
確か何かに控えていたはずだ。調べて分かり次第連絡するよ」


そう請け合ったのだが、探せどもそれが見つからないのである。
他に分かる人といえば、ただ一人、いちばん上の姉がいる。
だが、あいにく長年の闘病生活中だ。
兄の命日を聞くなんて、とても無理だろう。
何としても控えたものを探し出さなければ——
身内の、それも年が近く小さい頃からいつも
一緒に遊んでいた兄の命日を覚えていないなんて。
恥じ入り、情けない思いをしながら半月ほど経ってしまった。

       

「叔父さんの命日、刻んでありました。
雨風ですっかり痛み、消えかかっていたんですよ」
姪の今度のLINEは、私の心をほんの少し軽くしてくれた。
「平成四年に間違いありませんでした。
月日はよく分からなかったのですが、
今度業者さんにきれいにしてもらいますから、
大丈夫、分かるでしょう。また連絡します」

「ありがとう、ありがとう、ありがとう」
許せない自分をなだめつつ、震える指先で返信した。



男子 厨房に入る

2021年11月09日 06時00分00秒 | エッセイ


    「父は仕事が忙しく、休日は疲れているのか、
    よく寝ていました。
    ところが、2か月前から休日の夕飯を
    調理してくれるようになりました。
    キッチンに立つ父の姿を初めて見た時には、
    『明日は大雪が降るのではないか』と
    思うほど、驚きました。
    父は買い物に行き、献立を考え……(中略)
    家族が笑顔で食べている姿を見て満足そうな表情です。
    これからも父の手料理に期待しています」


新聞に載った、この中学生の投稿が何とも微笑ましく、
ほのぼのとした気持ちにさせられた。
子供はこの中学生と妹の2人のようだから、
父親は40歳代だろうか。
2か月前、何がこの父親を突き動かしたのだろうか。
 
        

数日前の同じ新聞には『モラハラ夫』の特集が組んであった。
中年以降の男性には、
「仕事優先。家庭は二の次」「炊事、洗濯、それに育児は女の仕事」
といった未だに一昔前の男尊女卑の思いが残っているという。
かく言う僕にも、そんな思いがいくらか残っているのは否めない。
それでも、随分〝改心〟し、配膳、食後の食器洗い・片づけといった
ことなど〝妻の領域〟を手伝うようになっている。


ただ、料理を作るまでにはまだまだ届かない。
たまにスクランブルエッグを作ってみるが、
焦げ付いたり、ポロポロになったりで、後片付けに手こずる始末だ。
チキンライス風なものに挑戦してみたが、
ごはんがぺちゃぺちゃと柔らかく、うまくない。
せいぜい、まあまあと言えるのはインスタントラーメンだろうか。


あの中学生の投稿を読み、あのお父さんは
どうやって料理を覚えたのだろうかと思う。
こっそり料理教室に通ったのではあるまいか。
実際、定年後奥さんに先立たれ料理教室に通った知人がいる。


「男子厨房に入るべからず」
そんなことに胸を張る時代ではなくなったのは確かだ。





手をつなぐ

2021年11月05日 09時39分00秒 | エッセイ


妻と手をつないで歩いたことがあるだろうか。
険しい山道で、手を差し伸べ
「よいしょ」と引いてあげたことがあっただろうか。
記憶の中をどんなに探しても見つからない。


  腕を組んで歩いたこと、
  これは付き合い始めの頃の記憶の中にちゃんとある。



でも「手をつないで歩くこと」と、
「腕を組んで歩くこと」には、
愛の音階に違いがあるように思える。


  なぜか今、無性に手をつないで歩きたいと思う。

     愛をこめ、感謝をこめ。
     勇気をもって。