Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

旅をしたい

2021年09月30日 14時52分21秒 | エッセイ


     旅をしたい。強くそう思う。
     1400㌔も走らせ、夫婦で山陰へ、四国へと
     4泊5日の車中泊をしたあの頃のように、
     見知らぬ地を気ままに訪ねたいと思う。

     この忌々しい、ぐずつく体調が恨めしい。
     同じ年齢の人より丈夫だと自信のあった体から、
     力が抜け、衰えていくのがはっきりと分かるようになった。
     つれて心も滅入っていく。
     情けない。



     いつものように川沿いを歩く。
     見れば左岸はきれいに雑草が刈り取られている。
     雑草の緑が覆っている右岸だって
     1週間前は刈られ同じような状況だった。
     それが1週間もすると、こうだ。
     よく言われることであるが、
     この雑草の「生命力」「たくましさ」。
     畏敬の念さえ感じる。
     僕にもこんな「生命力」「たくましさ」が欲しい。

     1400㌔、4泊5日の車中泊をもう一度取り戻してみせる。
     雑草に励まされるかのように、
     歩調に力を込め、ピッチを速める。


    
     近くの、稲刈りを終えたばかりの田では、
     ハトやカラスがおこぼれに群がっている。
     彼らもまた懸命に生きているのだ。




サプライズ

2021年09月20日 16時46分27秒 | エッセイ


     朝の5時55分。
     こんな早くにタクシーに乗ってどこへ行くのか。
     19日・日曜日。
     今春東京の外資系会社に就職したばかりの孫娘
     そのインスタグラムを覗いている。
     3人の孫は、それぞれインスタグラムをやっており、
     朝からそれを見るのが日課みたいなもので、楽しみなのである。
     次の画像。
     うん? ここは空港、羽田空港ではないか。
     ひょっとして、福岡へ帰省しようとしているのではないか。
     妻にそう話すと、「ちょっと○○(長女)に聞いてみよう」
     スマホを取った。


     まさに、その瞬間。
     当の孫娘からLINEである。
     「じいじ、おはよう。今からママにサプライズで福岡帰る。
      (じいじが)インスタストーリー見とったけん、
     まだママには秘密にしといてねー」
     福岡へ帰ってくるという勘は当たっていた。
     だが、危ない、危ない。娘に電話していたら
     サプライズ計画を台無しにするところだった。
     よし、こちらもこのサプライズ計画に乗ってやろう。

           
    
     まず、福岡空港へ勇んで迎えに行く。
     そう伝えたら、
     「嬉しい。ありがとうございます」の返信。
     嬉しいのはこちらだ──爺、婆揃ってお出迎えだ。
     それほど待つこともなく、元気な姿を見せた。
     「お帰り」「ただいま」と交わし、家へ向かう。


     さて、これからだ。サプライズ計画が成功するかどうか。
     この計画を知っているのは、自分の弟と従妹だけ。
     この2人にもしっかり口止めしていたようだが、
     秘密が漏れていないか、ちょっと気がかりだ。

     マンションに着いた。
     マンション入り口脇のインタホンのボタンを押す。
     ほどなく「どちら様ですか」とママ。
     「○○(孫娘)だよ」
     「えっ何、○○ちゃんなの。本当に?」声が裏返っている。
     マンションのドアが開き、エレベーターで家に向かう。
     玄関を開けると、
     ママが飛びつかんばかりに我が娘を抱きしめる。
     何度も何度もハグを繰り返し、背中をポンポンと叩く。
     爺、婆はその光景を黙って見ている。
     いいなあ、親子って。
     このサプライズ計画、大大成功だったな。


     ちょうど昼時。出前を取り、4人のランチとなった。
     すると、孫娘がもう一つサプライズを繰り出した。
     「じいじ、ポポ(お婆ちゃんをこう呼んでいる)、
     明日何か用事ある?」
     2人とも「いや別に……」
     「ああ、良かった。明日は敬老の日でしょう。
     2人をランチにご招待するわ」
     社会人になった孫娘がこんなことを言う。
     こんなに成長したんだな。
     途端にお婆ちゃん、涙がポロポロとなる。
     「嬉しい。こんな幸せはないわ」 
     確かに。これほどの喜び、滅多に味わえるものではない。
     ご同様──その感動をたっぷりいただいた。



     翌20日。敬老の日。
     ちょっとしゃれたレストラン。
     親、子、孫の4人が幸せの、
     サプライズのテーブルを囲んだのだった。



返信のない電話

2021年09月18日 13時08分47秒 | エッセイ


     「おかけになった電話は、現在使われておりません」
          090 ●●●7 ●8●●
     どうして、この番号を押したのか。
     返信があるはずもないと知っていながら、
     なぜ、この番号を押したのか。

         
    
     電話の持ち主は、ひと月ほど前天上の人となった。
     仕事上の付き合いから始まり、一線を退いた後も
     互いにいたわり合いながら、食事をし、お茶を共にした。
     スマホの通話履歴を見ると、4月5、6日、2日続いている。
     コロナウイルスの感染拡大もあり、なかなか会うこともできず、
     たまの電話で互いの状況を確認し合っていた。
     4月のこの日、彼は入院中だった。
     「大したことはないよ。近々退院できるから、
     コロナの状況さえ良ければ、メシでも食おうよ」
     元気そうな声だった。
     これが彼の声を聞いた最後だった。
     次に彼の消息を知ったのは新聞紙上だった。


     スマホの電話帳には、彼の番号が残っている。
     残したままにしている。
     誰それの電話番号を探していると、彼の名前に目が止まる。
     もう削除「すべき」か、あるいは削除「する方が良い」のか、
     微妙な心の揺れ幅に、それをためらう。
     そう言えば、スケジュール帳にも裏に
     彼の直筆で自宅住所を書き加えた
     名刺をはさんだままにしている。
     これもどこかにしまい込む「べき」なのか、
     あるいはしまい込んだ方が「良い」のか、
     やはり踏ん切りをつけないままにしている。

     そして。まだ、ひと月ではないか。そう思った時、
     思わず、目に止めた彼の電話番号を押していた。
     ほんの小さな、小さな心の片隅に、
     「もしかしたら、返信が……」
     そんな馬鹿なことを思う自分にあきれながら。


    
     岩手県大槌町の海を見下ろす丘の上に
     白い電話ボックスが置かれている。
     「風の電話」と言う。
     庭師の佐々木格さんが亡くなった従兄ともう一度話をしたいと
     設置したのが始まりで、後に東日本大震災で死別した家族へ
     残された被災者が思いを伝える電話として、
     今も設置されているのだ。
     電話線がつながっているわけではない。
     この「風の電話」を訪れた人は、
     亡き人に電話機に向かって自分の思いを語り、
     あるいは備えつけのノートに書くのである。
     つまり、心の中で天上の人と語り合う電話なのである。

   
     もう一度、スマホの電話帳を見る。
     この電話番号はもうしばらく削除せずにおこう。
     この電話番号を見ると、
     心の中でなにがしかを語り合えるかもしれない。
     満足に別れも告げられなかった彼と──。



爺・婆つれづれ④

2021年09月14日 06時00分00秒 | エッセイ

      おーい 彼岸花

     福岡空港近く、と言っても滑走路の南端近くにある当家から
     一般道を走って小一時間、宮若市を訪ねた。
     目当ては犬鳴川河川公園である。
     細君が『福岡県だより』の片隅に、
     彼岸花が川沿いの土手一面に
     咲き誇っている写真を見つけたのだ。
    
         

     写真撮影をいちばんの趣味としているから、
     見逃すはずがない。
     「体調はどう?」と一応尋ね、
     「大丈夫なら行ってみたいのだけど」と続けた。
     尋ねるまでもなく行く気満々だ。
     こちらも家にくすぶってばかりいては、
     ますます爺くさくなってしまう。
     自然が活力剤となるのも確かだ。
     「じゃ行くか。9時出発にしよう」と応じた。
     久山から犬鳴峠を越え、ナビ風に言うと
     「みちなり」に走り続け、宮若市に入った。

     

     街のあちこちに招き猫みたいなものが立っている。
     調べてみると、市のイメージキャラクターとなっている
     『追い出し猫』と言うもので、その昔、
     寺を荒らすネズミを退治した
     猫の伝説に由来しているという。
     表裏両面に顔があり、片方の顔では睨みをきかせて
     災いを追い出し、もう一方では、
     笑顔で福を招くという縁起物である。
     コロナ禍の真っ只中とあって、
     睨みをきかせる顔の猫の前で
     写真撮影する夫婦連れの姿を見かけた。



     さて、肝心の河川公園の彼岸花である。
     ない、ない、咲いていない。
     土手にポツンと1、2本あるだけだ。
     何だ、『福岡県だより』にすっかり騙されてしまった。
     だが、よくよく考えれば悪いのはこちらの方ではないか。
     考えてみると、『福岡県だより』の写真のように
     彼岸花が土手を埋め尽くすように咲くのには
     まだ早いということが分かろうというものだ。
     案の定、写真に添えられた小さな記事には
     「見頃は9月下旬~10月上旬」とあった。
     細君はと言えば、
     「まだ早いのは分かっていたわ。今日は下見のつもり」
     すまし顔だ。


        腹を立てることもない。
        気晴らし、気晴らし。それで十分でないか。

             





爺・婆つれづれ③

2021年09月07日 15時44分45秒 | エッセイ

           パラリンピック

     見合せば、2人とも目がうるうる。
     見る間に涙がこぼれてくる。
     「これに感動しないのでは、人ではないわ」
     「うん、うん」
     テレビに目を戻す。
     東京パラリンピック最終日の女子マラソン(視覚障害)。
     ゴールの国立競技場に入ってきた
     西島美保子さんに釘付けになる。
     日本選手団最年長の66歳と聞いて驚いた。
     「危ない!」思わず声が出る。今にも前のめりに倒れそうだ。

           

     すでに30分ほど前には、16年のリオ大会(銀メダル)の
     雪辱を果たし、見事金メダルを獲得した
     同じ福岡県の太宰府市在住・道下美里さんが、
     栄光のテープを切っている。
     西島さんは、そのリオ大会で無念の途中棄権しており、
     西島さんにしても東京大会が雪辱戦だった。
     「頑張れ、頑張れ。もう少し、もう少し」
     爺・婆がテレビ越しで大声援を送る。
     「やった、やった」完走。3時間29分12秒の8位だ。


     細君、友人たちにグループLINEする。
     どなたも70歳前後のお婆ちゃま方。
     どうやら皆さんたち、テレビをご覧になっていたようだ。
     返ってくるのは、まさに感動、感動、また感動であった。
     そして、自らをこう鼓舞される。
     「障害を持ちながら66歳になっても3時間半走り切る。
     対して、私たちってどこかが少し痛いくらいで、
     ぐずぐず言っている。実に情けないわね。
     西島さんに頭を小突かれた気持ちだわ」

         

     また、このパラリンピックでは数々の名言が聞けた。
     50歳で日本のパラリンピック金メダリストとして
     最高齢記録を更新した杉浦佳子さん。
     自転車競技で2冠を達成し笑顔交じりにこう言った。
     「最年少記録は2度と作れないけど、
     最年長記録ってまた作れますね」
     何と言う逞しさだ。
     今度のパラリンピックは、どの競技の選手を見ても
     ただただ「恐れ入りました」と頭を下げるほかなかった。

     「失ったものを数えるな。残された機能を最大限に活かせ」
     パラリンピックの父と言われる
     ルードウィッヒ・グットマン博士の言葉だ。
     東京パラリンピックで、まさにその姿を見せつけられ、
     爺・婆は2人して感涙にむせんだのだった。