ブログ しばらくお休みします
前にドライブレコーダーを搭載した車が停まっている。
車体にこれ見よがしに「ドライブレコーダー搭載」のステッカー、
それも後方も撮影中とあれば、何だか自分が監視されているようで
あまりいい気はしない。そうじゃないと分かっていても、だ。
このところ、ドライブレコーダーを搭載した車がやたら多くなった。
悪質な「あおり運転」が目立ってきたからに違いない。
自分の運転ぶり、あるいは光景を撮影して楽しむ、それもあろうが、
自分があおり運転をされたら、その様子をしっかり録画しておき、
それを動かぬ証拠にしようというのが主目的なはずだ。
運転マナーの基本は、つまるところ「思いやり」と「譲り合い」だと思う。
さらに言えば、ドライバー同士の穏和なコミュニケーションが必要だ。
「どうぞお先に」「ちょっと前に入れてください」などとドライバー同士が、
運転席から相手を見ながら会話をする。そして軽く会釈し、
時にはハザードランプを点滅させて「ありがとう」の謝意を示す。
これなんかは、よく見かける光景だ。
その対極にあるのが「あおり運転」だろう。
「思いやり」「譲り合い」といったことの欠片もない。
一から十まで威嚇、恫喝である。
それだけにはとどまらない。人の命さえ奪ってしまう。
3年前の2017年6月5日、神奈川県の新東名高速道路で
起きた追突・死亡事故。
これは一家4人が乗ったワゴン車が執拗なあおり運転を受け、
挙げ句に追い越し車線に無理やり停車させられ、
そこへ後続のトラックが追突した。
これにより夫婦が共に死亡するという痛ましい事件だった。
「あおり運転」の悪質さが世間に広まったのは、
この事件が機になったと言える。
この「あおり運転」については、6月から改正道路交通法が施行され、
「あおり運転」を妨害運転罪とはっきり規定した。これには車間距離不保持、
急ブレーキ、割り込み、幅寄せ、蛇行運転など10類型が示されている。
違反すると免許取り消しとなり、さらに最大で5年以下の懲役、
または100万円以下の罰金が科せられることになった。
カー用品店を覗くと、売れ筋商品の棚には、
いまやドライブレコーダーがずらり並んでいる。
前後は言うまでもなく、最近は360°ぐるりと撮影
できるものまで登場している。
いつあおられるか分からない物騒な世の中だ。
やはり備えておくべきか。あれやこれやと品定めをしてみる。
堺雅人
大昔、小学2、3年生の頃だったろう。
映画、それも時代劇が好きな父によく連れて行かれた。
当時の時代劇と言えば、ほとんどが〝勧善懲悪〟もの。
散々いたぶられた善人が、最後は悪人を懲らしめて大団円となる。
たとえば嵐勘寿郎の「鞍馬天狗」。善人があわや、という時には必ず、
馬に乗って颯爽と現れ、悪人どもをバッタバッタと倒していく。
その鞍馬天狗の雄姿に観客はスクリーンに向かって大拍手したものだ。
テレビドラマ「半沢直樹」。まさに現代版の時代劇だろう。
今度が7年ぶりの第2作で、初回の視聴率が22%、
2回目が22.1%だったというから、
第1作の人気がそのまま続いているようだ。
東京中央銀行から子会社の東京セントラル証券に出向、
ていの良い左遷にあった半沢直樹は、
ここの企画営業部の部長となっている。
半沢直樹役の堺雅人の熱演は相変わらずで、
そこまで力を入れてしゃべられると、
こちらまで肩に力が入ってしようがない。
香川照之 市川猿之助
そんな堺に対抗するかのような歌舞伎界の役者たち。
第1作の憎まれ役は香川照之だった。
その〝顔芸〟、それと最後には半沢直樹に土下座させられる、
あのシーンは伝説的とさえ言われており、まさに勧善懲悪、
ドラマの最後を痛快に盛り上げた。
第2作の新たな敵役が、本店の証券営業部の部長・伊佐山なのだが、
その伊佐山役を演じているのが、
香川照之とは従兄弟同士になる市川猿之助だ。
これがまた、いやらしさは香川に引けを取らない。
香川同様の顔芸も圧倒的で、かつての東映時代劇の敵役スター、
薄田研二や原健策以上に憎々しい。
これも歌舞伎役者ならではであろう。
尾上松也 片岡愛之助
次週の3回目には、第1作に引き続き、オネエの金融庁検査官として
片岡愛之助が登場する。これがまたネチネチと半沢直樹に絡むはずだ。
歌舞伎界からもう一人、尾上松也もIT企業の社長役で出演している。
まるで、堺雅人の熱演に歌舞伎界上げて対抗しているかのようだ。
池井戸潤の作品は「下町ロケット」もそうだが、
最後の最後に決めてくれる。それまでがハラハラドキドキで、
まるで昔の時代劇を見ているようだ。今度はどんな結末になるのか。
半沢直樹が「倍返しだ!」とやったら、
すかさず「どうだ、まいったか!」と続けてみようか。
「親友はいるか」そう尋ねられれば、即座には答えられない。ためらう。
いったいどのような存在の友を親友と呼ぶのか。
その定義によって、答えが多少違ってくるように思う。
国語辞典で確かめてみる。
「親友」=心から打ち解けた親しい友人。
その横にもう一つ。
「心友」=よく心の中まで知り合った友人。
「親友」も「心友」もほぼ似たような友人と解釈していいのだろう。
そんな「親友」は、高校生、大学生、あるいは社会人になり立ての頃、
確かにいたように思う。
「人は常に友達を失い続けている」
──ニューヨーク大学医学部のアイリーン・レバノン教授が、こう言っている。
日々の生活の中で楽しい時間を共有したり、悩みを打ち明けたりできる、
そんな心許し合える友人を持つことの大切さは言うまでもない。
さらに固い絆で結ばれた友、これこそ親友と呼べる友人であろうが、
そんな友を持っている人ほど健康で長生きしやすい。
いろんな科学的調査がそう裏付けているとあれば、
「人は常に友達を失い続けている」とは、何とも心寂しい話である。
現実を見れば確かに、学校を卒業したり、会社を定年退職したりすると、
その都度、そうした友人たちが減っていく。
高校生、大学生、あるいは社会人になり立ての頃、
確かにいたように思う僕にしても、「今はいるのか」と聞かれれば、
過去の話の中に収めそうになるのだ。
また結婚したり、転職したりした時なども、一人、また一人と
友達としての付き合いが失われていくことを
多くの誰もが経験し、感じているはずだ。
それなのに、年を取るにつれ新しい友達をつくることは難しくなる。
子どもの時は、公園で知らない子と知り合い、一緒に遊べば、
たちまち友達となってしまうのに、大人になるとそう簡単ではない。
それと、学校というのはゆっくりと、自然に親密さを生み出してくれる
まさに友達育成の場なのである。
大人には、学校のような場は少ないし、そんな場に身を置くだけの
時間的な余裕も失われてしまう。
こう理屈を並べると、友達のいない孤独な老人ばかりになってしまう。
先のレバノン教授は──
「大人になってから友達をつくろうとすると、
まず『友達が少ないことは問題だ』とか『もっともっと友達をつくらなければ』
といったことを過剰に意識してしまう。
それは〝不名誉な事実〟として強迫観念みたいなものになりかねず、
そうなると、ますます友達ができにくくなる」
「現実には、友達がまったくいないという人はいない。
友達がいない、少ないことで強迫観念に陥る必要はまったくないのだ。
あまりにも理想的な友人関係、つまり親友というものを
強く思い描き、追い求めすぎてはいまいか」
こんな風にも言っている。
要するに「もう少しリラックスした友人関係でいいのではないか」
そういうことであろうか。
そう言われると、少しは気が楽になる。そのような人は何人かいる。
その人たちは、親密な社会的つながりを感じさせてくれる。
彼らを親友と呼ぶ。それで十分だ。あまり難しく考えないことにしよう。
開園は朝の9時。10分過ぎには着いた。福岡市動植物園だ。
ここに来たのは孫が3、4歳の時だったか。
その孫は、今はもう23歳だから20年ぶりくらいの再訪になる。
市営の動植物園とあって、65歳以上の高齢者は入場無料。
それを簡単にパス出来る老夫婦が2人でやってきたのだ。
年寄りが、孫を連れてくるでもなく、2人で動物園にやってきたのには、
もちろん理由がある。チンパンジーを見たい、
もう少し詳しく言うと、大暑になったのを機に飼育員さんが手製の氷を
チンパンジーにプレゼントするそうで、氷を口にしたチンパンジーを
写真に撮りたいということなのだ。
この氷のプレゼントは7月23日にツキノワグマ、25日にニホンザル、
そして26日にチンパンジーの番になったわけだ。
このイベントの開始は10時。すでに開始前から多くの人たちが集まっていた。
やはり小さな子が一緒の家族連れが多い。
まず、飼育員さんがえさ場にキャベツやピーマンなどの野菜を置く。
そしてバケツで成形した氷、この中には果物類が詰められている。
これを野菜類とは別に、やはり2カ所に置いた。これで準備ОKだ。
さあ、チンパンジーの入場。氷に一目散かと思ったらそうではなかった。
けたたましい叫び声を出しながら見物客の方へ
体当たりでもしようかという勢いでやってきた。
間には仕切りのガラス板1枚、思わずのけ反った。
威嚇まがいの挨拶なのかもしれない。
それを済ませ、ようやく氷の方へ向かった。
氷を抱え込むようにしてかじりついている。
どうやら、氷そのものが目当てではなさそうだ。
本当の目当ては氷の中にある果物類か。それをなかなか取り出せずにいる。
それで時折癇癪をおこし、またまたけたたましい叫び声だ。
このチンパンジー舎のすぐ近くにキリンの親子がいる。
母親は「リンダ」と言い、子どもは2月に生まれたばかりの「ニコ」だ。
ニコはオスで、名前は市民に公募してつけてもらった。
サイが2頭、角突き合わせている。「大丈夫かな」と思ったら、
ちゃんと説明板があった。
「ケンカをしているのではなく、これも遊びの1つ」なのだそうだ。
このサイは南アメリカ生まれのミナミシロサイと言い、
サイの中で最も体が大きい、そう説明があった。
ちなみに2頭は、2歳のオスとメス。どちらがどうかは分からなかった。
隣接して植物園もある。いろんな花々に体も心も癒された。
昼間に咲いている「月下美人」には驚いたが、開花調整によるのだという。
人間はそんなことまでやっているのか。
歩いた歩数は8051歩。ウオーキング代わりでもあった。