病室の窓越し遠くの博多湾を
大小の船が穏やかに行き交っている。
それこそ手を伸ばせば届きそうなほど
近くにあるドーム球場は、
多くのソフトバンクホークスのファンがせわしない。
ガラス一枚向こうには生命力に満ちていて、心を和ませ、
病の憂さを忘れさせる光景が広がっている。
38度、時に39度を超す高熱が続き、
駆け込んだいつもの病院の救急外来。
医師は「急性細菌性前立腺炎」と診断し、
即入院を宣告したのだった。看護師の押す車いすで病室へ。
すると、それこそいきなりこう話しかけられたのである。
「1日おき5時間の人工透析ですよ。
これではやりたいこともやれないし、
どこかへ行ってみたいと思っても行けません。
そんな日々を送らなければならないなんて、
何のために生きているのか分かりゃしません」
70歳前後と思われる隣のベッドの男性だった。
病室は命を紡ぐ場に違いなく、
「何のために生きているのか」などと
死と向き合ったかのような話にどう返したものか。
一言も返せずにいると、その男性はそれ以上何も言わず、
そのまま自分のベッドに引っ込んでしまった。
なぜ、いきなりそんなことを言い出したのか。
病室は命を紡ぐ場ではあるが、
誰しもが胸の奥底に死に対する
不安を大なり小なり隠している。
その不安が思わず出てしまったのではないか。
以来まったく言葉を交わすことはなかった。
いったん収まりかけた高熱が、ぶり返す。
入院はずるずると延びるばかりとなった。
その間に、かの男性は人工透析に不可欠なシャント
(腕の動脈と静脈をつないだ血管)の形成もうまくいき、
退院する日が見えてきて病室にやって来た医師と
交わす会話にも明るさがこもってきた。
退院当日ともなると、早朝から身支度を済ませ、
その時をそわそわと待っているのが伝わってくる。
退院すると自宅近くの病院で透析を続けながら、
懸命に命を紡いでいくことになるのだが、
それでも「退院」という言葉は「生」への希望を持たせ、
力を与えてくれるのである。
外は晴れ——窓越しの博多湾は今日も
穏やかなたたずまいであり、
ドーム球場の喧騒もいつも通りである。
これらの光景に心和ませ、心弾ませながら
17日間の入院生活を終えた。