大学での運動生理学の講義だったと思うが、担任教授がこんな話をされた。
「女性は骨格も筋肉も男性の8割しかない。よって女性はか弱く、
いたわり、守ってやらねばならない。世の厳しさに晒させたり、
重い荷物を持たせるなぞ言語道断。男性諸君はよくよく心すべし」
60年ほども前、僕の中ではこの話が「男らしさ」「女らしさ」の1つの定義となった。
さだまさしのシングル盤で最大のヒット曲「関白宣言」。
1979(昭和47)年7月にリリースされ、
約160万枚のミリオンセラーとなった曲だ。
俺より先に寝てはいけない 俺より後に起きてもいけない
めしは上手く作れ いつもきれいでいろ
忘れてくれるな 仕事もできない男に家庭を守れるはずなどないってことを
お前にはお前にしかできないこともあるから
それ以外は口出しせず黙って俺についてこい
こんな歌詞がずらずらと続いている。
これに世の一部の女性たちが猛烈に怒った。
「女性蔑視、男尊女卑の歌だ」と。
この部分の歌詞だけ見れば、戦前、いや大正、明治、
はるか昔のことのようであり、「時代錯誤も甚だしい」と怒りたくもなろう。
しかも1960年代後半から70年代前半にかけては、
欧米や日本などの先進国で盛んになったウーマンリブ運動により
女性解放が声高に叫ばれ、
この曲が出た時もまだその余韻がたっぷり残っていた。
火に油を注いだように、ああだこうだと物議を醸したものだ。
大学であのように学んだ僕にすれば、
お前にはお前にしかできないこともあるから
それ以外は口出しせず黙って俺についてこい
みたいなことは当然のように思われたが、
この女性解放運動の前には、僕なりの「男らしさ」「女らしさ」の定義を
「身体の大きさ、力の強さの限りにおいては」という前提を
付け加えたものに修正せざるを得なかった。
そして現在。2016年4月に女性活躍推進法が施行され、
「企業における女性の活躍は、日本の将来を左右する重要な要素」だとして、
国を挙げて女性の社会進出を促している。そんな時代になっているのだ。
僕はと言えば、妻の買い物に同行し重いものはすすんで持ち、
帰れば掃除機をかけ、風呂掃除をし、
そんなことは当たり前だと思うようになっている。
「男らしさ」「女らしさ」というのは、議論するには
さほど意味のない時代になったのかもしれない。
ついでに言えば、あの「関白宣言」は、
忘れてくれるな 俺の愛する女は生涯お前ただ1人
と、ちゃんとオチをつけている。