Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

妻の友は我が良き友

2023年05月26日 06時00分00秒 | エッセイ


毎月第2水曜日は、定例のゴルフ親睦会だ。
集合したのは総勢9人。うち7人が女性で、日ごろ何かにつけ
LINEで語り合う妻の友人、70歳を過ぎたお婆さんたちだ。
そんなご婦人たちが集まればどうなるか。
ご想像通り、僕ともう一人のご主人は彼女たちの賑やかさ、
いや気迫に気押されてしまう。
でも、何事も慣れというものがある。
それもいつの間に気にもならなくなり、
今ではこの日が待ち遠しいような……そんな会になっている。 



ゴルフ会と言っても距離が5㌔も6㌔もある
ゴルフ場でラウンドするわけではない。
僕らのコースは全長わずか712㍍、
一番短いパー3のショートホールは22㍍しかないし、
パー5のロングホールも長くて81㍍だ。
普通のコースの7分の1ほどの可愛いコースで、
『パークゴルフ』と呼ばれている。
ここでラウンドするのにドライバーやアイアン、
それにパターといった10数本のクラブは一切いらない。
スティック1本、ティーショットも寄せもパットもこれでよい。

だが、侮るなかれ。
コースは上りあり下りあり、右ドッグレッグ・左ドッグレッグありの、
結構ややこしいコースなのである。
特にグリーン周りには随所に意地悪くOBゾーンの罠が仕掛けられており、
ここに2度、3度とはまり込むと大きくスコアを崩してしまう。
せっかくグリーンオンしたボールが傾斜によってスルスルとOBゾーンへ。
「下手くそ」思わず自分を罵ってしまいたくなる、
本当に厄介なコースなのだ。



とあって頭を使う。まずはティーショットの力加減だ。
下りのショートコースを強く打ちすぎると
グリーンを突っ切って間違いなくOBゾーンに転げ落ちる。
ドッグレッグとなっているロングホールだと
1打目の置きどころを考えなければならない。
要するにコースを読み、的確な加減で打たなければならないのである。
これは結構〝頭の体操〟になる。

それと、全長712㍍と言っても約3000歩は歩く。
僕らは昼食を挟んで2ラウンド回るから、
だいたい6000歩のウオーキングになるわけだ。
ここでプレーしている他のグループを見ても、
やはり僕らみたいな高齢者がほとんど。
同じように「心身の健康維持のため」と、やって来るのだろう。

  

「お~、ナイスショット」「ええっ、それってイーグルですよね。すごいな」
「残念、OBになってしまいました。次のホールでバーディーといきましょう」
などと、まるで何10年も前の日々を思い出したように
表情豊かにはしゃぎ、また悔しがる。
そして、1ラウンド回り終えた後の昼食時は、お婆さんたちの雑談会となる。
あれやこれや呆れるほど話題豊富で男2人は完全に蚊帳の外に放り出される。
今や妻の友は我が良き友である。
彼女たちと何の屈託もなく楽しむパークゴルフ。
身を心を揉みほぐしてくれる。 



ワイドパンツ

2023年05月24日 08時29分05秒 | エッセイ


物差しを手にした風紀係の先生が、
校門付近で登校してくる男子生徒に目を光らせていた。
「必要以上に細くしたズボン(今時はパンツと言うらしい)をはいた生徒はいないか」
その視線は、まるで罪人を咎めるかのように厳しかった。
物差しで計り、学校が定める裾幅以上に細くしていたら厳重注意となり、
以後そのズボンでの登校を禁じられた。

       

1950年代に青春時代を過ごした人は覚えているはずだ。
あの細くした『マンボズボン』。
もともとはマンボを演奏する人たちがはいていたのだが、
流行に敏感な若者は「いかしている」とばかり誰彼となく細くした。
高校生も例外ではなく、学生服のズボンを細くするようになったのである。
いつの時代にも流行というものはあるのだから、
目くじら立てることもないと思うのだが、先生たちにすればそれは
「素行の悪い若者が好んではくもの」と見え、
さらに悪いことに細くしたズボンは〝反抗の象徴〟
なんて言われたものだから、「べからず」となったのだろう。

ファッションは時代とともに移り変わる。
60年代にはやはり細身のアイビールックやモッズスーツが、
さらにヒッピー族が現れると裾を広くした
いわゆる〝ラッパズボン〟が若者を中心に流行した。
これらは、やはり細身のものであったが
80年代にはまるで真逆のソフトスーツの時代となった。
上下ともダボダボ。今見れば「なんとまあダサい服」とも思えるのだが、
当時はそれが流行の最先端だったのだ。

       

実を言えば当時買ったスーツ数着が今もクローゼットの中にある。
もう何年、いや何十年も着ていないのだが、
決して当時を懐かしんでいるのではなく、
なぜか処分しないままになっている。
仕事から離れてしまってからスーツを着る機会はほとんどなくなった。
細身の三つ揃えなどもあるが、これとて先々用なしだろう。
終活を考えなければならない年齢だ。
これらの服をどう始末していこうか。

そんなことを思いながら新聞のチラシに何気なく目をやると、
「ワイドパンツ」という文字が見えた。
添えられている写真は幅広のズボンだ。
街を歩くビジネスマンの多くは、今も細身のスーツを身に着けているが、
流行に敏感な年ごろの若者たちは幅広のズボンをはき、
上はTシャツか開襟シャツ様なゆったりしたものを着ているのをよく見かける。
      
        

たちまち、クローゼットにしまい込んでいる
あのソフトスーツに思いが飛んだ。
「ワイドパンツが流行りというなら、
あのダボダボのズボンもはけるのではないか」
すぐに引っ張り出してみた。
年相応に脂肪がついたせいでウエストがきつくなってしまったが、
それでもはけないことはない。
だが、高校生の時ズボンを細くした、あのわくわく感は出てこない。
逆に「いい年をして」と嘲られてるような気ばかりするのだ。
やめた。年相応の身なりをしていれば、それでよいではないか。
挙げ句、思いは終活へと戻っていくのである。



首を傾げながら歩く

2023年05月21日 09時50分49秒 | まち歩き


        

道路脇に立っている看板。「求人募集」とある。
一目で「社員を募集しているのだな」と分かるのだが、
どこか引っかかる。
「求人」と「募集」は同じ意味合いを持っているのではないか。
看板には「求めたい」職種、「募集したい」職種も書いているのだから
「求人」あるいは「募集」だけでよくはないのか。
この会社の担当の方、申し訳ない。
難癖つけているのではありません。
ちょっと気になっただけです。ご了解を。



釣具屋のシャッターに「トラウト」と書いてある。
今時、「トラウト」と言えば、大谷選手と並ぶ
エンジェルスの強打者が瞬時に思い浮かぶ。
さて、釣りとどんな関係が?
釣り竿なんかほとんど握ったことはないし、浅学菲才の身。
なぜ、釣具屋に「トラウト」が? さっぱり分からない。
さっそく調べてみた。
(分からないことがあれば、すぐに調べるのは我ながら良き習性)
分かった。こう書いてあった。
「トラウトにはたくさんの種類がある。一般的に知られている魚は
ヤマメやイワナ、ニジマスなど。もう少し大きいサイズになると
サクラマスが有名」つまり川魚の1種類の総称らしい。
また一つ勉強しましたね。



ウオーキングコースにしている川沿いの小道。
椅子が3脚きちんと並べてある。
この場所は橋の下だから日中でも陰になる。
川沿いのそよ風も心地良いに違いない。
これから暑くなる一方。うまい涼み場にしたものだ。
そう思って周りを見ると、割れた空き瓶などが散らかし放題。
さては、誰それ(若者の仕業と決めつけるつもりはない)が、
酒盛りの場所にしつらえたのではないか?
そう思いたくはないが、たちまち興ざめしてしまった。



晴れたら外へ

2023年05月15日 09時00分47秒 | 出歩記


久しぶりに糸島半島へ。
前日の雨はすっかり上がり、暑いくらいの青空に。
夫婦岩で名の知れた二見浦近く。
青い空高くへ舞い上がった少年が歓声を上げていた。


同じ糸島半島の志摩野北の海沿いには二階建てのロンドンバス。
廃車がカフェに変身し、若い人たち、家族連れの人気スポットに。



他に廃車となったスクールバスを利用した古着屋さんも。


さて、釣果はどうだろう? 近くの海岸で釣りを楽しむ人もいる。


所変わって日本経済大学のイングリッシュ・ガーデン。
白鳥のヒナは、孵化して1カ月ほどとなり、すっかり大きくなった。
母鳥のそばを離れ、自由に泳ぎ回っている。
巣に上がって温まると、亀さんがいた。
「良いお天気で」あいさつを交わし、しばしの休憩。




13番待合所

2023年05月12日 06時00分00秒 | エッセイ


「いい加減にしないか!」そう自らをののしりつつ、今日もやって来た。
来ざるを得なかった。
目的の場所には案内板を見なくとも行ける。
何せ、この8年間で前立腺がんに始まり、
たびたびの膀胱がんなどで9度も入院し、
この1年ほどは毎月通い詰めている「勝手知った」病院なのだ。
13番待合所はどこにあり、どう行けばよいか、
足の動くまま任せればよい。
そこ13番待合所は今日も混み合っていた。

         


国立病院機構の医療センターには、22もの外来診療科がある。
案内板にはそれぞれの診療科に番号がふってあり
「13」というのは泌尿器科の外来受付である。
泌尿器科の待合所とあってか、他の診療科に比べて高齢男性が多い。
1人ポツンと物思いげに座っている人もいれば、
奥さんや娘さんが付き添っている人もいる。
息子さんらしい人が付き添っている人は稀であり、
「年を取れば妻や娘の世話になることが多いのだな」と心中思い知らされる。

診療までに随分と時間がかかるのは常だ。
この科には4人の医師がいるが、
4人が同程度数の患者を診ているかと言えば、そうではない。
なぜか1人の医師に多く偏っているのだ。
僕の担当医師がそうで、40半ば、まさに中堅の働き盛りとあって
多くの患者を担当させられているのではないかと思う。
「大変だね。昼食を取る暇もないでしょう」などと労ったりもするのだが、
「まあ適当に」と笑うばかり。
そんな風で、この医師にはいつも
「混雑中」「予約1時間遅れ」といった表示が灯る。

こんな状況だから、どうやって時間をつぶすか大変だ。
話し相手となる付き添いがいればまだしも、
1人で来院してきた人はもっぱら辛抱強さ、我慢強さが頼りだ。
自分の体が不調なのは誰もが分かっている。だからここに来ているわけで、
それがどんな病気なのか少しでも早く知りたいのである。
その時を1人でじっと耐えながら待つ、やり切れないような時間であり、
スマホをいじっている人が多いのは、
多少なり気を紛らわそうとしているのだろう。
それでも耐えかねて受付の女性、あるいは看護師さんに
「あとどれくらい待てばいいの?」などと詰め寄ったりする。
彼女たちはその対応をちゃんと心得ており、
「あとこれくらいでしょう」などと決め付けたような言い方は決してしない。
そうならないケースが多く、
それだと余計に患者を苛立たせてしまうからだ。
だから、「お待たせしてすみませんね。
何せ、患者さんをたくさんお持ちの先生なものだから。
急いでいただくよう電話を入れておきますから、もうしばらくお待ちください」
とやんわりなだめるのである。
もちろん電話はポーズだ。
本当にそうすると、今度は医師を苛立たせてしまう。

        

この日の僕は、9時半にまず正面玄関に入ってすぐの
再来受付機で受け付けを済ませ、
そのまま採血・注射・処置センターで採尿してから13窓口へと回った。
それから検査に呼ばれたのが11時20分だったから、
来院してからおよそ1時間50分待ったことになる。
この検査にかかった時間が約30分。
その検査結果を待ち、診察に呼ばれたのはさらに30分後だった。
格別の異常はなく、来月の予約日時を決め、
これでこの日の検査・診察を終えたのである。
会計を済ませ病院を出たのは1時半だったから4時間ほど病院にいたわけだ。
これに往復の所要時間を加えると、6時間程度を要したことになる。

平常はこのようなことだが、手術のための術前検査となればさらに時間がかかる。
レントゲンやCT、場合によってはMRI撮影が入り、
ほかに心電図も取ったりする。
少しでも不整脈が出ようものなら今度は循環器科へ回されるのだ。
それぞれに待ち時間があるので、
すべて終えるのに半日は覚悟しなければならない。
2015年からこれらを幾度となく経験している。
とあって、耐えるすべも身についてきた。
本を読んだり、スマホをいじったり、たまには病院内を
あちこち歩き回ったりして何とか凌ぐことができるようになっている。

幸い、この2年ほどはがんの再発は免れているが、
それでも検査のため月1度は通院しなければならない。
顔見知りとなった看護師さんもたくさんいる。
幾分気も楽になっているが、それでも通院するたびに
「いい加減にしないか!」と叫びたくなる。半ばむなしく。