決して犬は飼わない。そう心に決めている。
嫌いなわけではない。苦くて、辛い記憶が甦ってくるからだ。
幼い頃、我が家も白いかわいい子犬を飼っていた。
まさに僕の遊び相手であり、その日もいつものように
じゃれ合うようにして遊んでいた。
ところが、何をどうしたのか自分でもよく分からないのだが、
突然、柔道の巴投げみたいに子犬を投げ飛ばしてしまったのだ。
叩きつけられるように床に落ちた子犬は「きゃん」と鳴き、横たわったまま。
僕は「ごめんなさい、ごめんなさい」泣き叫びながら、抱き上げた。
でも、子犬はもう起き上がらなかった。
自分の内に潜む残虐性におののき、
今でも胸の中の悔恨と悲しみが消えることはない。
だから、犬は遠くから眺めるだけにしているのだ。
そんな僕が今、気になってしようがない犬がいる。
このブログで5月9日に紹介した「マナ」だ。
あるいは殺処分されかねない保護犬だったのを、
新しい飼い主に引き取られ、今はその家で安穏に暮らしている。
それでも最初の頃は、「人への警戒心が強く、こうやって外に出るのも、
川沿いのこの砂場で遊ぶ時くらい」なのだという話だった。
確かに最初に出会い、たまたま行き違った時なんか
尻尾を垂れ、顔はうつむき、上目遣いでこちらを見る、
そんな様子がひどく怯えているように見えたものだ。
その後、会うたびに「マナちゃん」と呼び掛けるなどして、
こちらから徐々に距離を縮めていくようにしたら、
次第に人慣れしてきたような様子を見せるようになってきた。
ブログで使用した走り回る写真、これはまさに目の前のことであり、
以前は絶対に見られなかった光景だ。
それが、コロナによる外出自粛─緊急事態宣言を機に、
「マナ」を見かけることがなくなってしまった。
ブログで出した5月9日以降、一度も見かけていない。
どこかへ引っ越してしまったのか。なにぶん、飼い主の方の家も分からない。
ただ、「今日はいるかも……」と遊び場の砂場に目を凝らすだけ。
その砂場も、梅雨に入り川の水かさが増し、随分小さくなってしまい、
以前の3分の1ほどの広さしかない。
これでは「マナ」はとても走り回ることができないだろう。
もう「マナ」には会えないのではないか。そう思うと、やはり寂しい。
taka-satouさん家の「雪」ちゃん、
それにsasukechanさん家の「ソニア」ちゃん、
今日も元気にしていますか。保護犬ゆえ、随分辛い思いをしたのでしょうが、
心優しいtaka-satouさん、sasukechanさんと巡り合えたのは幸いでした。
今は、それぞれの家庭で慈しまれ、大切にされ、大変に幸せそうです。
お2人のブログを欠かさず、それも以前にさかのぼって読ませていただくと、
「雪」ちゃん、「ソニア」ちゃんが少しずつ
馴染んでいく様子がよく分かり、何だか心和む思いをさせられます。
「マナ」に会えない寂しい日々を「雪」ちゃん、
それに「ソニア」ちゃんが慰めてくれている。ありがとう。
これもブログのおかげ。始めてよかったと思う。