Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

悔恨

2020年06月30日 05時19分20秒 | エッセイ
          
決して犬は飼わない。そう心に決めている。
嫌いなわけではない。苦くて、辛い記憶が甦ってくるからだ。
    
    幼い頃、我が家も白いかわいい子犬を飼っていた。
    まさに僕の遊び相手であり、その日もいつものように
    じゃれ合うようにして遊んでいた。
    ところが、何をどうしたのか自分でもよく分からないのだが、
    突然、柔道の巴投げみたいに子犬を投げ飛ばしてしまったのだ。
    叩きつけられるように床に落ちた子犬は「きゃん」と鳴き、横たわったまま。
    僕は「ごめんなさい、ごめんなさい」泣き叫びながら、抱き上げた。
    でも、子犬はもう起き上がらなかった。
    自分の内に潜む残虐性におののき、
    今でも胸の中の悔恨と悲しみが消えることはない。
    だから、犬は遠くから眺めるだけにしているのだ。

そんな僕が今、気になってしようがない犬がいる。
このブログで5月9日に紹介した「マナ」だ。
あるいは殺処分されかねない保護犬だったのを、
新しい飼い主に引き取られ、今はその家で安穏に暮らしている。
それでも最初の頃は、「人への警戒心が強く、こうやって外に出るのも、
川沿いのこの砂場で遊ぶ時くらい」なのだという話だった。

    確かに最初に出会い、たまたま行き違った時なんか
    尻尾を垂れ、顔はうつむき、上目遣いでこちらを見る、
    そんな様子がひどく怯えているように見えたものだ。
    その後、会うたびに「マナちゃん」と呼び掛けるなどして、
    こちらから徐々に距離を縮めていくようにしたら、
    次第に人慣れしてきたような様子を見せるようになってきた。
    ブログで使用した走り回る写真、これはまさに目の前のことであり、
    以前は絶対に見られなかった光景だ。

それが、コロナによる外出自粛─緊急事態宣言を機に、
「マナ」を見かけることがなくなってしまった。
ブログで出した5月9日以降、一度も見かけていない。
どこかへ引っ越してしまったのか。なにぶん、飼い主の方の家も分からない。
ただ、「今日はいるかも……」と遊び場の砂場に目を凝らすだけ。
その砂場も、梅雨に入り川の水かさが増し、随分小さくなってしまい、
以前の3分の1ほどの広さしかない。
これでは「マナ」はとても走り回ることができないだろう。
もう「マナ」には会えないのではないか。そう思うと、やはり寂しい。
            
    taka-satouさん家の「雪」ちゃん、
    それにsasukechanさん家の「ソニア」ちゃん、
    今日も元気にしていますか。保護犬ゆえ、随分辛い思いをしたのでしょうが、
    心優しいtaka-satouさん、sasukechanさんと巡り合えたのは幸いでした。
    今は、それぞれの家庭で慈しまれ、大切にされ、大変に幸せそうです。
    お2人のブログを欠かさず、それも以前にさかのぼって読ませていただくと、
    「雪」ちゃん、「ソニア」ちゃんが少しずつ
    馴染んでいく様子がよく分かり、何だか心和む思いをさせられます。
    「マナ」に会えない寂しい日々を「雪」ちゃん、
    それに「ソニア」ちゃんが慰めてくれている。ありがとう。 
    これもブログのおかげ。始めてよかったと思う。



母に抱きしめられた幼き日~その写真

2020年06月29日 05時48分59秒 | 思い出の記
        梅雨もクレーン車たちも一休み



    あの写真はどこへ行ったのだろうか。
    僕が1歳になるかならないか、そんな幼児の頃、泣きじゃくる僕を
    母が膝に乗せ、抱きしめるようにあやしている、あの写真だ。
    僕のおちんちんがぴょろりとのぞき、小学生くらいになると姉がそれを見せ、
    大笑いしながらからかった、あの写真だ。
    今でもはっきりと、しっかりと覚えている、あの写真だ。

今、手元にはA4の紙を半分に折ったものよりやや小さい角形7号の、
茶の封筒があり、その中に僕の若き日、中学生~社会人に成り立ての頃の日々が、
実に無造作に重なって入っている。
50枚ほどの写真。ほとんどが白黒で時代を表しているが、
なぜアルバムにきちっと貼るなどして大事に保存せず、
封筒にぽんと放り込み、それをまた書類入れの中に紛れ込ませていたのだろう。
            
    中学生の頃の写真は、器械体操部の仲間と一緒に写っているものが多いが、
    その中に2つ上の兄がいる。
    白線のある学帽をかぶっているから高校生だったのだろう。
    この兄は、中学の同じ部の先輩でもあったから後輩たちの何かの催し、
    何だったか思い出せもしないが、それに飛び入り参加したようだ。
    寡黙な兄だったが、写真では後輩たちと肩を組み、楽しそうに笑っている。

高校、大学も大半が器械体操部の仲間たちと一緒だ。
競技大会でのもの、皆で小旅行したものなどが懐かしさを誘う。

    そして、入社式の写真は同期生7人が前列に並び、
    後ろには会社のお偉いさん方が新入社員より多く整列している。
    54年も前、新調の紺の背広に白のポケットチーフが初々しい。
    また10日間ほどの新入社員研修の際、寺で座禅を組み、
    同期生たちと近くの山にハイキングを楽しむ写真などもある。

どうして、ここに入れていたのだろう。
平成7年に亡くなった母の葬儀の日の写真が封筒の中にあった。
当家は男4人、女2人の兄弟姉妹だ。僕はその一番下。
長男、次男、それに長女、次女、そして僕。
写真には5人が並んで写っている。一人欠けている。
中学生の時、部活の仲間と一緒に写っていた三男、2つ違いの兄がいない。
実は、彼はすでに母より5年早く他界していたのだ。
長兄、次兄とは10歳以上離れているが、
この兄とは2歳違いだから小さい頃からいつも一緒に遊んだ。
50歳ちょっと手前の若さだった。
             
    1人欠けているとはいえ、兄弟姉妹が一緒に写っている写真は
    おそらくこの1枚だけだろう。
    母の葬儀というのに、なぜか皆笑顔である。
    あれから25年たつ。残っているのは長女と僕の2人だけになった。
    その姉も長年闘病生活を続けている。

あの写真は、この中にはない。もう一度見てみたいと思うが、もう無理だろう。
おそらく、母の手元にあったのではないかと思うが、
亡くなった際、家財道具を整理するのに取り紛れ行方知れずになったのだと思う。
二度と見ることは出来ないという少しばかりの寂しさはあるが、
あの写真の情景はこの年齢になっても、脳裏にしっかり焼き付いている。
実物を見ることはできなくとも、悔やむことはない。
僕を抱きしめ、あやしてくれた母。
あの写真は今、母の胸にしっかりと抱かれているはずだ。そう思う。


それでも 焦らず、慌てず

2020年06月28日 14時11分49秒 | 車からの風景
    およそ300㍍の道を行くのに、場合によっては10分ほどもかかる。
    歩いてでも十分に行けるに違いない距離を車でこれだ。
    確かに朝のラッシュ時ということもある。
    だが、わずか300㍍ほどの間に交差点が4カ所あり、
    その都度赤信号で止まってしまうのでは、どうしてもこうなる。

国道3号線を、分かりやすく博多駅方面から北へ走れば、
間もなく石堂大橋の交差点になる。

写真では、もう一つ先の交差点がそうだ。

    ここで最初の赤信号にかかる。左折すると、福岡市の中心市街地である
    天神方面へ向かう通称・昭和通りに入る。
    昭和通りは幹線道路の1つだから、こちらから左折する車だけでなく、
    右からの直進車がいるし、対向車線からの右折車も合流する。
    それで、まずここで混み合う。
    2つ目の信号は左折して40㍍ほど先だが、その前にもう動けなくなる。
    ゆるゆると進み、やっと2つ目の小さな交差点に行き着けば信号はやはり赤。

    ここで2度目の信号待ちとなる。

次の交差点は何と目の前10㍍ほど、目と鼻の先だ。
なぜ、こんな短い区間に2つの交差点が重なるようにあるのか。
ここがちょうど都市高速の呉服町出入口になっているためだ。
右側の都市高速出口から、特に朝のラッシュ時ともなると、
乗用車はもちろんバスが次々とこの一般道へ降りてくる。
一般道からの車、それに高速道路からの車、それを仕分けるには
どうしても交差点が必要ということなのだろう。

ここで3度目の信号待ちになる。

    この先、150㍍ほど先に蔵本交差点がある。
    東西に走る昭和通りと、博多駅とウオーターフロント地区を
    南北に結ぶ大博通り(県道43号線)がクロスしている交差点だ。
    この交差点を直進すると天神地区、左折すると博多駅方面になる。
    当然交通量も多く、伴って事故が多発しやすい交差点でもある。
    ある損保会社による全国「危ない交差点」ランキング最新版では
    5位にランクされている。要注意の交差点だ。

    ここで4度目の信号待ち。

このルートをもう何年も走っているが、4カ所の交差点をすべて赤信号になしに
素通りしていくことは、出来っこないと分かっている。
朝のラッシュ時を避けて走ってみたこともあるが、
うまくいっても2カ所は赤信号で止められる。
ここを抜ければ、あとはスムーズに走れる。
天神地区まで赤信号は多分1度だけで済むはずだ。
会社指定の駐車場がゴール。家を出てからおよそ45分間である。

    試しに帰りは別のルートにしてみた。所要時間は35分間。
    行きと帰りとでは10分間の差。やはり、あそこの10分なのだろう。

ただ、行きのルートを変える気はまったくない。
すっかり馴染んでおり走り易いのだ。それが安心感につながっている。
45分かかったといっても、出勤時間には十分余裕がある。
焦らず、慌てず、のんびり構えて走ることにしよう。
それが安全運転にもつながる。何せ後期高齢者なのだから……。

ナルシスト

2020年06月27日 05時33分46秒 | エッセイ
         スタイリッシュな多々羅大橋


     本州と四国を結ぶ本州四国連絡橋は、「瀬戸大橋」「明石海峡大橋」、
     そして西瀬戸自動車道「しまなみ海道」がある。
     この多々羅大橋は「しまなみ海道」を構成する橋の1つ。
     広島県尾道市の生口島と愛媛県今治市の大三島をつなぐ。
     本州側から4番目がこの橋で全長1480㍍の斜張橋だ。
     スタイリッシュなフォルムで人気が高い。
                          (2017年11月撮影)

      ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂

カーオーディオで聞くのは、たいてい自分の歌だ。えっ、と思われるかもしれない。
プロでもない爺さんに自分のアルバムがあるはずはない。そう思われるだろう。
だが、自分のCDを作るのは大して難しくない。
カラオケボックスに行けば、CDを作れる機能がちゃんとある。
普通に自分の歌いたい曲をいつも通り歌えばよい。
それをちゃんと録音しておき、さらに録音したものを
指定のCDに落とし込むだけ。
CD1枚に3曲入るから、それを3枚、4枚作り、
今度はPCを使って1枚に編集すれば9曲、12曲入りの
アルバムらしきものになるわけだ。

    もっとも、所詮はそのへんの歌好き爺さんの戯れ、
    アルバムなぞと胸を張れるものではない。
    妻はもちろん娘や孫、まして他人様が乗り込んできた時には絶対に流さない。
    自分1人、秘かに楽しむだけのものだ。
    そのような意味では、少しばかりナルシストの気があるのではないか、
    自分ながらそう思ってしまう。
             
このナルシストの語源はギリシャ神話に由来する。
登場するのが絶世の美少年・ナルキッソス。そのナルキッソスが水面をのぞくと、
そこに映っていたのは当然のことながら絶世の美少年だ。
ナルキッソスはたちまちその美少年、つまり自分自身に恋をしてしまうのである。
こんなギリシャ神話を由来とし、自己愛の強い人を
ナルシストと言うようになった、こういう話である。

    自分の歌を1人秘かに聞き、ニンマリするなんて
    我ながら気色悪い気もするが、「自分をほめて何が悪い」
    なぞと開き直り、すまし顔をしている。

実は、このナルシストには共通する特徴があるそうだ。
「根拠のない自信を持っている」「自分の話にしか興味がない」
「何にでもチャレンジする」「目立つことが好き」などだ。
うーん、当たっていそうな、そうではなさそうな。
「根拠のない自信」これはずばり言い当てられている。
先ほどの歌の話。ほとんどが聞きかじりで覚えたものだ。
それをミュージックスクールの先生に聞いてもらうと──
「こりゃ、困りましたね。あちこち音符も休符も間違っている。
これを直すには時間がかかりますよ」そういうことになる。
それなのに、「うん、これはうまく歌えている」なんて思い、
CDを作るのだから、これはまさに「根拠のない自信」以外何物でもない。

    「何にでもチャレンジする」これはそうかもしれない。
    70歳になってからヴォーカルのレッスンに通い始めたなんてことは、
    やはり一つのチャレンジに違いない。
           
そして、出勤する時は必ず玄関脇の姿見で全身を改める。
「うん、なかなか決まっている」と確認してから車に向かう。
これは「目立ちたがり」と表裏一体なのだと思う。
やはり、少しばかりナルシストなのだろうか。

いい女 

2020年06月26日 05時30分59秒 | まち歩き
            
   久しぶりに、2月末以来だから実に4か月ぶりにバスと地下鉄に乗った。
   車で街中へ出るのは、ちょいちょいあるが、
   公共交通機関を利用するのはそれほど月日が開いていた。
                        
珍しく定刻通り来た12時50分のバスに乗り、13時09分発の地下鉄に乗り換えた。
こんな時間だからバスも地下鉄も乗客は多くない。
ソーシャルディスタンスを保つには十分で、
しかも見回せば皆さんきちっとマスクを着用されている。
そうとあってか、いつものようにスマホを熱心にいじっている人たちを、
束の間コロナを忘れた安心感がふわり覆っている。

                     
   
   それは帰りのバスでのことだった。
   16時23分発の地下鉄から16時40分のバスに乗り継いだ。
   どちらも行きの時より、乗客はやや多め。
   それでも、“密”というほどではまったくなく、
   またマスク着用の人ばかりとあって、
   やはり、コロナがちょっと遠のいたかのように思えた。

ただ、座れる席はなく降車停留所の2つ前まで吊革をしっかり掴んでいた。
ようやく席が空いた。やれやれ。
そして、無意識に目が前に立っている若い女性に向いた。
薄いグリーンのTシャツ、黒のジーンズ、足元はadidasのグレーのサンダル、
そして黒のベースボールキャップ。
そこまで見ていたのだから、しっかり観察していたのだろう、
そう言われても仕方ない。反論はしない。
あれっ、この女性、何だか体の動きが妙だ。
吊革に掴まりながら、遠慮がちに体を揺らしている。
バスの揺れと合わせた動きではない。
すぐにピンときた。髪を透かしてイヤホンの黒いコードがちらり見える。
やっぱり。何か音楽を聞きながら、体を緩く動かしているのだ。
何だか、いい雰囲気。思わず、「かっこいい」と叫んでしまった。
もちろん声には出さず。

   同じ停留所で彼女が先に降りた。すると、ぱっと帽子を取る。
   薄い茶のロングヘアがはらり。風に吹かれ背へなびいた。
   またまた「かっこいい」──鼻の下が少し伸びたろうか。
   コロナを忘れた平和なひと時。我ながら呆れ、苦笑しつつ妻の元へ急いだ。