Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

楽器音痴

2023年09月26日 09時22分12秒 | エッセイ


ギターを習っている友人の、その成果を披露する発表会に行ってきた。
ステージに上がり、客の前で演奏するのは間違いなく緊張するものだが、
彼はオフコース・小田和正の「秋の気配」を見事に弾き切った。

羨ましい。楽器は何にも出来ない僕はつくづく羨ましかった。
実はヴォーカルのレッスンに通い始めた最初の日、
もう11年も前のことだが、先生が
「ちょっとギターもやってみませんか」と持たせてくれた。
「左手はこうで、右手はこう動かして……」と言うのだが、
僕の両手は硬直したようにまったく動かなかった。
それを見て先生は「まあ、ぼつぼつやりましょう」と言ったきり、
以後ギターに触らせてくれることはなかった。

               

でも、心中にあるのは何かの楽器を手に歌う、
つまり弾き語りである。
何とか出来ないものかと思っていたところに新聞の広告で
光ナビゲーション・キーボードというものを見つけた。
キーに光がつき、その通り押していけばよいというのだ。
「これならいけそうだ」早速購入し、練習を始めたものの
動かせるのは右手の人差し指と中指くらい。
左手となると、いくら光が「このキーを押しなさい」と
教えてくれても、まったく動かせない。
このところキーボードは寂しげに、デスクの上に乗ったままだ。

わずかに10穴のハーモニカ、いわゆるブルースハープは少しだけやる。
先生のギター演奏で歌う時、その間奏部分に入れるのだが、
これとてほんのわずかだ。
これを覚えるのも楽譜を見てのことではない。
先生から「5の穴を吹き、6を吸う。次は4を吸い、5を吹く」
といった具合に言われて覚えているのだ。
とても楽器を扱っているうちには入らないだろう。
 
       

そう言えば、最近はヴォーカルのレッスンもすっかりご無沙汰だ。
年を取るごとに声は出なくなっているから、
レッスンで声を出さないとますます出なくなる。
楽器も出来ない。歌うこともままならない。
81歳になり、もうすっかり諦めてしまうのか。
いやだ。このまま萎れてしまうのはいやだ。そうなりたくない。
せめて歌だけは……またレッスンに通い始めることにしよう。


〝酷道〟を走ろうなんて

2023年09月16日 06時00分00秒 | エッセイ


「何と物好きな人たちだ」──失礼を承知でそう呼ばせていただこう。
車1台がやっとの細道、しかもくねくねとカーブの連続する未舗装の山道。
少しでも運転を誤ろうものなら崖下へ真っ逆さまの大惨事間違いなしだ。
これが国道だと。そんな国道ならぬ〝酷道〟をあえて走ろう
という愛好会があるというから驚く。


                   面河渓

かく言う僕も経験者の一人だ。
ただし好んで走ったわけではない。
6年前、四国へ車中泊に出かけた時のこと。
エメラルドブルーの水面、それに映える紅葉を楽しみにして
面河渓(同県久万高原町)へとナビを頼りに
高速道路から国道494号に乗り継いだが、
この494号線こそが〝酷道〟だった。
しばらくは何の問題もなく快適な走行を楽しめた。
だが、道はどんどん細くなり、
カーブが連続する山道が標高1000㍍ほどの黒森峠まで続いた。
随所にミラーが設置されてはいるが、
離合することを考えると背筋が寒くなる。
右側にはガードレールはほとんどなく、
転落を恐れ左に寄せると側溝が怖い。
ナビまでが狂ったようにあらぬ数字、方向を示し出し恐怖心を煽る。
神経が張りつめ通しだから、肩までコチコチになってくる。
紅葉は目の隅をかすめるだけ、楽しむ余裕なんてまったくなかった。


          

もちろん、〝酷道〟は四国に限った話ではなく全国各地にあるらしい。
そんな〝酷道〟を「走るだけで冒険心がくすぐられる」
「走ると生きている実感が湧き、ノスタルジーにも浸れる」
「合理的に整備された道では感じられない
地元の歴史や暮らしぶりを体感できる魅力がある」
と好んで走るファンが、全国に女性も含め約九十人もいるという。
それらの人がウェブサイト「TEAМ酷道」を開設して
体験談を発信したり、年に数回探索会を開いているそうだ。
また、今年1月には「酷道大百科」を出版したところ、
重版されるほどの人気だったというから、
「世の中には何と物好きな人たちがいるものだ」
と繰り返すしかない。
 
景勝地を訪ねようとすると、こういう〝酷道〟が避けられないこともあろう。
その分、素晴らしい自然が待っていてくれる。それは確かなのだが、
「TEAМ酷道の仲間になりませんか」と誘われたら、
もちろん丁重にお断りする。
ちなみに〝険道〟というのもあるらしいから、ご用心。



孫の涙

2023年09月12日 09時55分55秒 | エッセイ


次女の一人娘・ハナは、二十歳の大学三年生だ。
この子が二つになるかならない頃だったろう。
我が家の書棚に飾っていた写真を見て、突然ワアワアと泣き出した。
写真には小さな女の子を抱き、にっこり笑っている母親が写っていた。
実は、この女の子は長女の子・リサで、
当時香港に住んでいた姉を結婚前の妹が訪ねた時撮ったものだった。
だからハナとリサは従姉妹同士ということになるのだが、
まだそんなことを知るはずもないハナにすると、
自分の母親が知らない女の子を抱いているものだから、
めらめらと嫉妬心が湧いたのだろう。
この小さな、小さなやきもちに周りにいた皆が心和やかにほほ笑んだものだ。

すっかり大人になった、そのハナがやはり声を出して泣いている。
思わぬ母親の病。
検査を終えて出てきた母親を見ては泣き、
手術室に入る母親の胸に顔を寄せては泣く。
手術は約2時間かかると告げられた。
でも、もう2時間を過ぎている。
ハナは落ち着かぬ気に待合室を飛び出して手術室の前を行ったり来たりする。
ついには、手術室のドアにもたれ座り込んで母を待った。
やっと手術室のドアが開いた。
横たわる母親にすがりついて、また泣く。
麻酔の覚めない母親はかすかにうなずく。うつろな目尻から一筋。

幼い日のハナの涙、大人になった日のハナの涙。
祖父母は昔日の涙には笑い、この日はもらい泣きする。


ときめき

2023年09月03日 06時00分00秒 | エッセイ


ヒゲは濃くない。2、3日剃らなくても口、顎回りがうっすらなる程度だ。
さすがにそれ以上は放っておく気にはなれず、
まあ3、4日ごとに剃刀を使っている。
もちろん在職中は毎朝剃っていた。
それが職を退いた途端、外出する機会もうんと減ったし、
髭はもちろん身だしなみにもさほど気を遣わなくなってしまった。
妻のお供でスーパーへ買い物に行く時なんか部屋着のままで平気な顔をしている。

どこにでも似たような話があるもので、新聞の読者投稿欄にニヤッとしてしまった。
投稿者は40代独身の会社員女性で、両親と同居中だ。
この女性が心配し気を揉んでいるのが70代後半の父親。

        

現役の時は生き生きとし、70歳で退職後もゴルフをしたり、
スポーツジムに通ったりと、人生を楽しんでいるように見えた。
それが年を重ねるごとに何を言っても、
「もうすぐお迎えがくるから」と後ろ向きの発言ばかり。
食事や旅行に誘っても家を出たがらず、
出かけるのは自分の趣味と買い物程度。
高齢者講座や料理教室などを提案してもまったく興味を示さない。
おまけに何かと嫌味を言うようになった。
父にはもう一度、生き生きと生活してほしいと思う。
どう接すればよいだろうか

──こういった相談である。
これに対する、女性作家のアドバイスにもう一度ニヤッとした。

「一番簡単な方法は異性との交流。
男女を問わず、心のときめきは若返りの秘薬です。
こういう環境、つまり〝異性から見られるときめきを感じられる場〟
にいるのが大切だと思う。
それで、女性が集まってくる各種サークル、
たとえば社交ダンス教室、ヨガ教室、俳句教室などに
お父様を行かせましょう」

        

思い出した。
84歳にもなる知人はいつも「ときめき、ときめき」と言い、
日本舞踊をやったりピアノを弾きながら歌ったり、
さらにはヨガ教室にも通っていた。
時々電話すると、相変わらず元気な声が返ってくる。

退職後、外出する機会がめっきり減ってしまった僕にしても
女性作家のアドバイスに思い当たるところがある。
妻の友人たちとパークゴルフやダーツ競技を楽しんでいるが、
その日はもちろんヒゲを剃り、身だしなみに気を遣う。
また女性の方が多いエッセイ同好会に出かける時もそうだし、
月一度かかりつけの女医さんを訪ねる時も
「今日はどのシャツにしようか」と少しは気を遣う。

なるほど、なるほど。女性作家の言う通りかもしれない。
ただ、そういう場をうまく見つけ出し、
自分の思いをうまく乗せていけるかどうか。これも案外と難しい。