Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

コロナ完治

2023年08月30日 09時49分54秒 | 思い出の記


コロナの後遺症に苦しんでいる人も多いと聞くが、
そのような方には何だか申し訳ないような気もする。
確かに「陽性です」と宣告されはした。
咳に鼻水とあれば、コロナと疑われてもしようがないが、
3月に罹った肺炎に比べ症状は比べものにならないほど軽かった。
あの時は腹筋が痛くなるほどのひどい咳だったし、
熱も38度を超えた。
それを思えば、今度は熱もないし
「軽い夏風邪だろう」なんて思えるほどのものだった。

咳・鼻水が出始めたのは盆休みに入った13日頃からだったろうか。
病院も休みに入っていたから手元にあった咳薬でしのいでいた。
そして休み明けとなった17日、病院へ行き
「軽い咳と鼻水があるのですが……。熱はありません」そう告げると、
途端に女医さんの顔つきが険しくなった。
「はい、コロナの検査をします。別室へ移ってください」容赦なくそう告げ、
そして10分後、「やはり陽性でした」と思いもしない宣告をしたのだった。

症状が出始めたのが13日頃だから、すでに5日間ほど経過していることになる。
「あと5日間、特に症状がひどくならなければ大丈夫でしょう」と言い、
咳・鼻水薬を出してくれた。
もちろん、しばらくは外出禁止。
家ではマスク着用、妻とは出来るだけ離れて生活すること……
などの注意事項を言い渡された。

薬を服用すると、咳・鼻水も治まっていった。
5日後、先生にそう告げると「もう大丈夫でしょう」今度は完治宣告だ。
この間、何の苦痛もなく、幸い妻もいつものように元気いっぱい。
「コロナってこんなもの」と拍子抜けするほど。
幸いだったと言うほかないだろう。



エレジー(再掲)

2023年07月03日 22時09分50秒 | 思い出の記


73歳だった。その早い葬儀の日の夜、僕は一人、
7、8席ほどが並ぶ小さなスタンドバーで
あがた森魚の『赤色エレジー』を歌った。
地方の新聞社に在職した14年間、
その大半を直属の上司として若き日を導いてくれた恩人に対する、
子供じみてはいても、僕なりの心を込めた追悼であった。

赤色エレジー
        恥ずかしながらブログ主本人の歌唱です

順調に歩んでいた入社来5年目のあたり、突然のポスト替えだった。
途端におかしくなった。
新たなポストが性分に合わなかったとでも言うか、
仕事にまったく気が乗らなくなったのである。
挙句、ミスを連発、後に聞かされたことだが懲戒解雇寸前までいった。
そんな時、この人は照れを隠すかのように僕から視線をそらし、
ボソボソとこう言ったのだ。
「一つのことをやれる奴は、何でも出来るものだ。
前のポストであれだけ頑張れたではないか。自信を持って前に進め」
ペラペラと言葉を並べた説教じみたやり方ではない。
言葉自体も人の心を動かすには平凡に過ぎる。
なのに、この人が持つ佇まいが、
言葉に乗り移ったかのように僕の背中を強烈に殴打したのである。

昭和4年生まれ。少年飛行兵を志し訓練に励んでいる最中に終戦を迎えた。
生まれたそんな世相がそうさせるのか、
それとも持って生まれたものなのか。
あるいは相まったものなのか。
どちらにせよ、昭和初期のどこかもの悲しく、憂いを身にまとい、
口数は少なくとも、そのずしっとした佇まいそのものに
何かを語らせるかのような人だった。

言われたように、苦しいながらも前へ前へと進むうちに
自信を取り戻すことが出来たのである。
それが80歳になった今、大過なく暮らせている僕を作ったのではないか。
そう言えば大げさと思えても、
この一事が今日の礎になったのは間違いないことだと思う。
救われたから言うのではないが、そんな彼をますます尊敬し、
単純に好きになっていった。

たまたま2人とも早帰りだったある日、
部屋を出たところで一緒になった。
「どうだ」と一言。「はい」とためらうことはなかった。
黙って後に続いた。彼は酒豪の類、対する僕は下戸に等しかった。
それなのに、しばしば「どうだ」と声をかけてくれるのである。
何軒か回り、最後に落ち着いたのが、
客は僕ら2人だけの件のスタンドバーだった。
格別の話をするでもなく、淡々と時を過ごした。いつものことだった。

思い出したように、カウンターに100円玉を置き
「おい あの歌を歌ってくれ」と言った。
流れてきたのが『赤色エレジー』である。
僕はあわててマイクを取り、歌詞ブックを見ることなく歌った。
間中、グラスをじっと見つめ続ける、
その人の体をどこか物憂げなメロディー、歌詞が包み込む。
そして歌が終われば、手酌でぐいっ。その夜もそうであった。





爺と孫のデュエット   I don't wanna talk about it

2023年06月30日 09時49分16秒 | 思い出の記

もう8年ほど前になる。
僕は72歳、この孫娘は高校3年生だったと思う。
僕が通うミュージックスクールの生徒発表会に
「一緒に出ないか」と誘ったら、2つ返事でOKしてくれた。
そして、先生の指導で練習を重ねた。
高校で合唱部だったこの子は、ハモル部分は自分で考えたりして、
結構良いものにしてくれた。


さて、本番の日。
前ぶりは英語が得意なこの子がぺらぺら。
爺さんは何と言っているのかさっぱりだった。
ところどころ怪しいところもあったが、
そこはしょせん素人。お許しねがいたい。
途中でやめないで最後までお聞きください。



寂しさこらえて

2023年05月06日 06時00分00秒 | 思い出の記


あれからもう20数年。
あの日のことを思い出せば、今でも涙が出そうになる。

妻と向かい合っての夕食。
2人とも何かを思う風に一言もせず、箸の動きも鈍い。
そんな重苦しいような空気を妻が破った。
「やはり、迎えに行きましょう」
思いは同じだった。
「急ごう」僕も箸を投げ出すように、車のキーを握った。

                

まだ2歳にもならない僕らの初孫、可愛くてたまらない女の子。
その子に間もなく弟が出来る。
僕らの長女である母親は、そのため入院中だし、
父親も長期の出張中とあって、この子は独りぼっちで
祖父母との生活を強いられていた。

ある日、親しくしている知人宅に遊びに連れて行った。
その家には、少し年上の女の子がいて結構遊び相手になってくれ
本人も楽しそうだった。
その姿を見てからか、知人が「泊めたらどうか」と言い出した。
「どうしよう」とためらった。
「大丈夫だろうか」との思いの中には、
一晩だけと言っても孫を手放す寂しさがあったのである。
でも、楽しそうにしている姿に負けた。
この子をおいて帰宅したのだった。

「迎えに」車に飛び乗り夜道を急いだ。
知人宅に着き「おーい、おいで。帰るよ」と呼びかけると、
笑顔いっぱいで飛んできた。
妻が抱き上げ、僕は友人に礼を言うのもそこそこに
今度は我が家への道を急いだのである。

        

そして、いつものようにこの子を真ん中にして寝床に入った。
この子の小さな親指は小っちゃなお口にあった。
クチュクチュとさせながら懸命に眠ろうとしている。
でも、目は閉じていてもなかなか寝付かない。
そんな様子を見て、ひどく切なくなった。
この子はきっと寂しいのだろう。
「いつもはママとパパに包まられるようにして寝るのに、二人ともいない。
でも私が泣けばじぃじとばぁばが悲しむだろう。だから私は泣かない。
親指をママとパパと思って我慢しよう」
まだ2歳にもならない幼い子。
独りぼっちの寂しさに一生懸命耐えようとしている。
そんな風に見え、思わず涙がポロリと流れ落ちた。

あの日以来、この子が泣いている姿を見たことがない。 

   


エレジーは弾かないで……

2023年05月03日 12時45分05秒 | 思い出の記


        

孫のTо shiの部屋には、2本のギターが壁に立てかけたままだ。
その黒塗りの1本は僕が買ってやった。
あれは、彼が小学5年生の時だったか。
母のサヤカと一緒にやってきて、「ギターをやりたい」と言い出した。
てっきりクラシックギターかと思ったが、
「エレキだよ」と言う。
「あんなのやると不良になるぞ」とたしなめたものの
若い頃、ビートルズにしびれた爺さんは内心ニヤッとした。
「ねえ、お願い」と気を持たせつつ、
渋々という態度でОKしたのだった。

早速、楽器店にやってきた。
「Toshi君、こっちへ来て」サヤカが呼ぶ。
「このギターだって。これでいいわね」
「うん。いい、それでいい」黒塗りのギターを見て、
Toshiの気持ちはもう、このギターを
ギンギン、ガンガンかき鳴らしているのかもしれない。
「それでは」店員は奥へ引っ込み、ギターをケースに入れてきた。
「じゃボク、これ背中に担いでみて」
おっ、格好良いではないか。
小学5年生だからギターが体を隠してしまっているが、
それでもちょっとしたギタリスト風情だ。
あくまで、ひいき目に見ての話だが……。
「お父さん、お願い」サヤカに促されて支払いを済ませた。
「じぃじ、ありがとう。じゃまたね」
それだけ言うと、Toshiはもう背中を向けた。
「おい待て。ジュースでも……」そういう暇さえなかった。
ギターを担いだToshiの後ろ姿は、
爺さんのささやかな思いを蹴散らかし、
仕方なくそれを目で追うしかなかった。
「お父さん、ごめんなさい。ありがとう」
サヤカもあわてて後を追った。
この街いちばんの繁華街を照れもせず堂々と小走りする。
図々しいようでもあり頼もしくもある。まったく。

         

彼が高校生になった時、ステージ上で彼がギターを弾き、
僕が歌う機会が2度あった。祖父と孫の共演である。
素直に嬉しく、また心弾むひと時であった。
加えて、1度はビートルズの『Something』だったからたまらない。
この時間を作ってくれた彼がいとおしくて、いとおしくて……。

高校3年生の学園祭では、友人たちとバンドを組み精一杯弾けた。
だが、それが最後だった。なぜか彼はギターをやめた。
寂しくはあるが、あえて理由は聞かないでいる。

早いもので彼は間もなく25歳の誕生日を迎える。
そして、僕も年を取ってしまった。