Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

桜 桜 桜

2022年03月28日 06時00分00秒 | 日記

晴れたら外へ
3月27日 日曜日 前日の雨・強風が打って変わっての青天。
今は桜が見頃。見逃せない。




空模様にも誘われて福岡県うきは市の法華寺の大枝垂れ桜を観賞へ。
別名・見延桜と呼ぶ、この大枝垂れ桜は、
本佛寺の信徒が半世紀ほど前、山梨県の見延山久遠寺から
種をもらい受け、半世紀を経て見事成長させたと言われる。
高さが10㍍ほどある巨大な枝垂れ桜だ。




ほかにも、あれやこれやの桜、桜。
夫婦共々、ゆるゆると春の陽気を楽しんだ。

妻を追う

2022年03月25日 06時00分00秒 | エッセイ


妻は救急車に乗せられた。
自分の車で、その後を追う。
頭の中を駆け巡る良からぬ思いが、ハンドル操作を怪しくさせる。
どうにか気を鎮めつつ妻の搬送先の病院へ急いだ。

こうだとは思いもしなかった。
土曜の夕方頃から「胸のあたりが何だか痛い」と言い始めた。
この夜は孫娘2人の合同誕生日会を行うため、
妻は孫たちが好きな料理作りに精を出していたのだが、
その途中から不調を訴え出したのだ。
ただ、横になると痛みは退く。
それで横になり痛みがなくなると、再び料理を始める。
そんなふうに繰り返し、孫たちの誕生会は無事済ますことが出来た。
         
日曜も月曜も同じだった。胸のあたりの違和感が続いた。
おそらく、胃、あるいは食道に何らかの異常が
起きているのだろうと思ったものの、あいにくの連休で病院も休みだ。
まさに悶々としながら、この2日間を乗り切らざるを得なかった。
そして、連休明けの火曜日、開院時間を待ち構え、
かかりつけの内科医に駆け込んだのだった。

診察時間がやけに長い。いやな予感がした。
すると、診察室に呼び入れられた。
「狭心症、あるいは心筋梗塞の可能性がある」
妻共々その診断にぎょっとなった。
そして、「ただ当院は専門外。他の総合病院に紹介状を書きます。
救急車を呼びますから、このままその病院で診てもらってください」
ということになったのだった。

救急車の搬送先。妻を診てくれたのは若い女医さんだった。
「心筋梗塞の可能性があります。今から、細くなった血管を見つけ、
そこを広げてステントを留置する措置をします。
2時間ほどですね。もちろん、そのまま入院していただきます」という。
待合室での、その2時間は、時計の針が止まったかと思えるほど長かった。
でも、措置を終えた女医さんの話は、7年間に7度の入院・手術経験のある
僕の胸を締め付けていた重い、重い思いをいっぺんに解き放ってくれた。 
「うまくいきました。軽い、軽い心筋梗塞でしたね。
心臓へのダメージもほとんどありませんでした。
明後日には退院していいでしょう。早く見つけられてラッキーでしたよ」

          

3日間の、妻にとり初めての入院生活から戻ると、
もう「桜が満開の季節。写真を撮りに行かなくちゃ」などと、
いつもと変わらぬ元気ぶりだ。
おい、おい、無茶はいかんよ。


あの頃

2022年03月20日 13時42分37秒 | 思い出の記


小学生の頃  隣に住む高校生の兄さんは、すごく野球がうまかった。
       僕にとり長嶋や王と同じほどのスーパースターだった。
       軟式ではあったが、県代表として全国大会にも出場、
       トロフィーだったか盾を持ち帰ったことを覚えている。
       もちろん、キャッチボールの相手もしてもらったが、
       僕の手はたちまち真っ赤になった。
       兄さんがタオルを首に巻いてランニングをすると、
       その後ろには、決まって同じ格好をした僕がいた。
       それを見て、姉たちは大笑いしたものだ。
       やがて兄さんは高校を卒業し、県外に就職。
       僕の野球熱も急速に冷めていった。
          
中学生の頃  運動会では花形だった。
       もともと足が速かったから100㍍走などの個人種目はもちろん
       クラス対抗リレー、部活対抗リレーなどにも選ばれ、
       いつも先頭を突っ走った。
       器械体操部の模範演技では、華麗な技を披露した。
       姉たち家族は、一番前に陣取り大声で声援を送り、
       鼻高々の態であった。
       だが、何事も図に乗っちゃいけない。
       勢いをかって1000㍍走にも出場したのだが、
       途中からどんどん遅れ、最後から何番目かでゴールした。
       長距離走での哀れな姿であった。

           
高校生の頃  同学年にちょっと気になる女の子がいた。
       同じクラスではなかったが、通学バスで時々一緒になった。
       その彼女は、地元ラジオ局のパーソナリティーみたいな
       ことをやっていて、番組でリスナーからリクエスト曲を求めていた。
       彼女の気を引きたい一心で、ハガキを送った。
       その曲は高英男の「雪の降る町を」だった。
       高校生が何でこんな選曲を……。後になり我ながらあきれた。
       もちろん、この曲がかかることはなかった。
       しばらくして彼女は滋賀県へ転校していき、
       あの番組を聞くこともなくなった。

          
大学生の頃  ある朝登校すると、学内いたるところに、
         あの独特の文字のビラが貼ってあった。
       「昨夜機動隊が学内に突入!」「大学の自治を蹂躙!」
       この文字を見ただけで激しい渦に巻き込まれることになった。
       なぜそんなことになったのか——そんなことはどうでもよかった。
       ただ機動隊という権力に大学の自治が踏みにじられた。
       その怒りだけに突き動かされた。
       長期のストライキにも突入し、街頭デモでは機動隊の盾に
       バシッとはさまれもしたが、へこたれることもなく
       街中で気勢を挙げた。
       だが、しばらくして学生会館の運営を巡り、
       学生自治会と大学側が対立、
       団体交渉中に大学側が機動隊へ救助を求めた結果が
       ああなったのだということを知った。
       そして、このままストを続ければ4年生は単位が取れず、
       卒業が危うくなる。そんな話も流れ出した。
       流れは急速に変わった。僕ら4年生が学生集会で
       スト解除を求め、僅差で勝ったのである。
       逆に2、3年生で固めていた自治会執行部の諸君は涙を流した。
       僕らが卒業すると、ヘルメット、ゲバ棒、火炎瓶などが登場し、
       学生運動は一気に激しくなっていった。



愛 幸福

2022年03月15日 15時45分18秒 | エッセイ


「まさに あなたの季節です。ミモザさん。お美しい」
「おほめいただき、お恥ずかしい限りです」
「雲一つない、この青空の下、その黄が黄金色に輝いている」
「それで思い出しました。3月8日は国際女性デーでしたね」
「女性へ日頃の感謝の気持ちを込めて、花束を贈る日だとか」
「特にイタリアでは私たちミモザが贈られるんですよ」
「なるほど、ミモザは愛や幸福を呼ぶ花と言われていますからね」
「ところで、あなたは?」
「いえいえ、自分の名さえ思い出せない老木ですよ」
「何を仰います。シャキッとしたその立ち姿、なかなかですよ」
「ええっ、そう言われると照れますね」
「確か昨年はもう少し枝葉を茂らせていらっしゃった……」
「そうなんですよ」
「それがどうして?」
「実は、側を流れている川に遊びに来るシラサギたちの休み所だったんです。
カラスもそうでした。それはそれで結構なことなんですが、
ほれ、下を通る人に思いもかけず糞爆弾を投下してしまうんです」
「あれ、まあ」
「それで管理をして下さっているおじさんが通行人のことを慮って、
鳥たちがとまれないよう枝葉を払い、ご覧のようなありさまに成り果てました」
「お気の毒様と言うべきなんでしょうかね。
でも、それはそれで立派な佇まいでいらっしゃいますよ」
「お褒めいただき恐縮しますね。頭上でお天道様も笑っていらっしゃる」

「ところで、この空のずっと西の方では悲しい出来事が起きていますね」
「プーチンとかいう大統領、正気の沙汰とはとても思えないわ」
「領土欲なんでしょうかね。人間の欲というのは
一つ間違えばとんでもないことを引き起こしますね」
「どうであれ、お年寄り、子ども、それに女性、
これら弱い人たちがなぜ、これほど泣かなければならないのか」
「青年は命を落とす」
「こんなことは分かり切っているのに、なぜ戦争を仕掛けるでしょうか」
「愛や幸福を呼ぶ花・ミモザをプーチンへ贈りましょうか」



エール

2022年03月12日 11時15分52秒 | エッセイ

大学の構内を歩くのは、何十年ぶりのことであろうか。
母校ではないが、大学はやはり大学の香りを漂わせており、
しばし懐かしさの中に身を置いた。
孫の卒業展を見に、彼の母と私ども夫婦、三人三様、
それぞれの感慨を胸に大学を訪れたのだった。

思えば、彼は彼なりに随分と苦労したのではなかろうか。
小学3年生まで香港で育ち、それから家族ともども
福岡にやって来た彼は、日本語での会話は出来ても
読み・書きはまったく出来なかった。
それで帰国子女のクラスに編入させてもらったのだが、
「大丈夫かな」との私どもの不安は、
それこそ杞憂というべきものであった。
子どもが秘めている能力には驚かされるばかりで、
気がつけば間もなく4年間の大学生活を終え、
さらに大学院へ進むという。
体も随分大きくなった。中学に進んだ端は、
私の顎あたりまでの背丈だったのが、2年生になると完全に追い抜かれ、
今では見上げるほど、184㌢もある。

       

さて、彼は大学でどのようなことを勉強しているのであろうか。
『カウンターカルチャーの価値を現代に活かし、広め、
若者に既存のシステムが生んだ問題について
考えるきっかけを与える作品を制作する』とあり、
布切れを貼り合わせて作った買い物バック風のものが3つ飾ってあった。
1965年以降の若者のファッションの変遷を見、
これを現代にどう活かすかを問うものらしい。
こう言えば、「そんな底の浅い話ではない」と怒られそうだが、
いや、これが精いっぱいの理解レベルである。

             

元気だとは聞いている。
でもな、たまにはLINEなり電話をよこしたらどうなんだ。
「うん」とか「すん」でもよいから。
息遣いを感じたいのさ。
もう思いは、君が結婚する日に飛んでいる。
君の友だちは皆、楽しく、いい奴ばかり。
披露宴は彼らが占拠し大賑わいになるかもね。
お嫁さんもとても可愛い人だ。
おや、お嫁さんがポツンと一人になっているじゃないか。
ダメ、ダメ。寂しがらせるんじゃない。
君たちの輪の中に入れてやれ。
じゃ爺がLOVESDNGを一曲。君、ギター伴奏頼むよ。

その日まで何としても生き抜いてやる。
ただ、出来るだけ早くたのむ。
君に幸多かれ!