Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

菖蒲は見えずとも

2022年06月28日 18時41分15秒 | エッセイ



「この霧じゃ何にも見えないわね」

「ああ。でもいいじゃないか。久し振りの気分だよ」

「何が?」

「うーん 何と言ったらよいかな。ロマンチック……」

「何それ」

「何だ 興ざめだな」

「分かっているわよ。本当にそうね。ロマンチック……」

「そうだろう。霧に包まれた二人。他に邪魔するものは誰もなし」

「私たち一緒になって何年になる?」

「12年だろ」

「2人の子どもにも恵まれ幸せな12年だったわ」

「でも大変だっただろう?」

「まあね。でもあなたも子育てを手伝ってくれたから助かったわ。
               そして、今日は久しぶりに2人きり」

「お義母さんやお義父さん、孫の世話で大わらわだろうね」

「いやいや、大喜びのはずよ。私たちも楽しみましょうよ」

「そうだよな。こんな機会はめったになかったからね」

「そして、霧が演出もしてくれているわ」

「ロマンチック……」

「ええ」



   大分県別府市。鶴見・由布の山々に抱かれた湖がある。
   神楽女湖という。周囲1キロほどの小さな湖だ。
   ここに80種類、1万5000株の菖蒲が今が盛りと咲き誇っている。
   だが、時に霧に包まれる。これはこれでまた自然の美を演出する。
   霧が去ると、菖蒲はしっとりと濡れている。



たばこ遍歴

2022年06月24日 14時22分57秒 | エッセイ


誰もいない、はず。が、もう一度部屋中を見回す。
この家の中学3年生、15歳の男の子が
ちょっとした〝悪事〟を働こうとしているのだ。
居間の片隅に置かれている火鉢、
その中に突っ立っている父親の吸いさしを狙っている。
父も母も、姉も出かけていることを確かめ、
「よし」と意を決して盗み取った。

      

台所から持ってきたマッチをする。
咥えたたばこに火をつける。
すーっと吸い込む。
と、途端にむせた。「ごほ、ごほ、ごほ」咳が止まらない。
涙も出てくる。
罰を受けたような気分であわてて火鉢に戻した。
いたずら盛りの、ちょっとした冒険心であり、
一吸いだけの〝悪事〟が僕のたばこの喫い初めであった。

そんな、ろくでもないたばこに、なぜ取りつかれてしまったのか。
一つには「たばこは大人の証し」と見えたからである。
実際、ほとんどの大人が喫っていた。
「大人には、たばこは当たり前のこと」と思えば、
なんのためらいもなかった。
たばこ代も自分で稼ぐ。日に1箱20本は普通で、
さらに仕事で緊張を強いられた時、
あるいはテンション高く楽しみたい酒の席などでは、
2箱40本が灰となって消えた。
〝百害あって一利なし〟とばかりに喧伝され、
大っぴらに喫える場所さえ限られてしまった今日とは大違いで、
オフィス内でも堂々と喫えた、
喫煙者にとっては実に良き時代だったのである。

     

だが、その〝中毒性〟ゆえに長年喫い続けることになる。
すると、やはり「百害……」が現実のものになってくる。
しかも年を重ねるごとに、そのダメージは大きくなる。
歯磨き時の吐き気など、あれやこれや不快感が増すばかり。
それで、「よしっ」と禁煙に挑戦してはみても、
やはり〝中毒性〟は難敵で日を置かず失敗する、
それの繰り返しだった。

そんな僕に有無を言わさぬ口調でとどめを刺したのが、
かかりつけの女医さんだった。 
「血圧は高いし、不整脈も出ている。
それなのにたばこですか。おやめなさい」
誓約書を書かされ、薬を渡された。
さらに、ちゃんと禁煙しているかどうか定期的にチェックされる。
そんな苦行を1カ月ほど続け、なんとか禁煙に成功したのだった。

あれから11、2年である。
それでも、その誘惑はいまだに悩ましい。
どこからか漂ってくる香りが、後悔交じりの思いにさせる。
だが、「プライドが許さない」そう粋がるほどに余裕しゃくしゃく、
その実、半ば恨めし気に誘惑をはねつけるのである。



鳩時計

2022年06月18日 10時14分28秒 | エッセイ


壁の鳩時計は1時15分になっている。
もう何年、いや何十年か、このまま動かない。
長女が高校生の時、「欲しい」というので買ってやったものだ。
小、中学生ならいざ知らず、高校生にもなって鳩時計とは……
おかしさをこらえながらも、娘かわいさのことであった。
以来、娘の部屋の壁から主の日常を見守り続け、
生活を律する大切な役割を果たしてきた。



やがて結婚。鳩時計は邪険にも置き去りにされた。
さすがに、新婚家庭には鳩時計は
気恥ずかしいものだと思ったに違いない。

それから私の書斎の壁に電池を外され掛けられている。
だから、この鳩時計に時間を尋ねることはない。
我が家には他に置時計が2つ、壁掛けの電子時計1つがある。
置時計の1つはこれまた電池切れのまま放置されている。
もう1つは、10分進んでいる。
娘や孫が遊びに来て、これら置時計を見て
大慌てすることしばしばだ。
頼りは電子時計、もっと信頼できるのは
テレビ画面に表示される時間だ。
このように、極めてあいまいな時間の中で日々を送っている。

それでも時を追う日々は生きている証しである。
鳩時計は、今では時を刻んではくれないが、
かわいい壁の飾り物として少しばかりの和みをくれる。

それとは真逆にとんでもなく怖い時を刻む時計がある。
世界終末時計である。
核戦争などによる人類の終末まで、あと何分(秒)かを示すもので、
米国の原子力科学者会報が定期的に発表している。
それによると、2022年は「残り100秒」しかないとした。
ロシアのウクライナ侵攻、北朝鮮の相次ぐミサイル発射などは
核兵器使用の脅威を高めている。
あるいは新型コロナウイルスの世界的蔓延、
さらに、ますます深刻化する地球温暖化などが
残り時間を少なくしていっている。
 
           
     あと100秒(1分40秒)と終末時計は知らせる

娘に他愛ない日々を送らせてくれた鳩時計、
その他愛ない日々が終わる時を知らせる終末時計。
願わくば、壁で愛想を見せながら時は刻まれてほしい。


アジサイ恋物語

2022年06月16日 17時22分36秒 | 出歩記



梅雨時を盛りとするからであろうか、
小糠雨にしっぽり濡れたアジサイは、
着物姿に蛇の目をさした粋な女性を連想させる。
ふーっと引き込まれそうになるが、ご用心!
この花、なかなかしたたかなのである。
その花言葉は、なんと「移り気」「浮気」「無常」。
色が時期によって変化するから、そう付けられたそうだが、
お付き合いするには、ちょっと躊躇しそうな方だ。


ただ、美しく咲く花の色によって
花言葉が違うというから面白い。

青──辛抱強い愛情   

ピンク──元気な女性


白──寛容


といった具合だが、さてあなたはどれがお好みだろうか。



そんな花言葉を持つアジサイに会いに
福岡県東部にある豊前市まで行ってきた。
福岡市内の我が家から一般道を走って
約3時間、90キロほどの道のりである。
ここに「枝川内アジサイランド」という
アジサイの名所がある。
「小さなむらの大きな挑戦 
     日本一のアジサイランド」
こんな合言葉で、地区の人たちが田んぼ沿いに、
道路沿いにアジサイの植樹を毎年続け、
今では約1万6000株のアジサイが
あでやかな花を咲かせるのである。
ちょうど今が見頃。
5日から26日まで「アジサイ祭り」が開催中だ。







     あいにく、というのも変な話だが、
     晴天となった16日、ここまでやってきた。
     お見事!
     どの色のアジサイにしようか。心ときめく。



お墓参り

2022年06月13日 15時43分51秒 | 思い出の記


妻の郷里は、長崎県の佐世保市だ。
両親の墓もここにあるし、姉3人も健在である。
妻は姉たちとしばしば長電話しているから、
おおよその消息は分かっている。
ただ、コロナ禍もあり3年ほど顔を見ていない。
こちらの体調もまずまずとあって、久しぶりに里帰りすることにした。

朝の7時半に福岡の自宅を出る。
主に一般道路と無料の西九州道を乗り継ぎ伊万里方面に向けて走った。
そこから先は佐賀・長崎県境の国見峠を越えれば佐世保市に入る。
国見峠の一部は「あじさいロード」となっているが、
まだほとんど見かけない。開花はもうしばらく先になりそうだ。
途中の駐車スペースに止め、見下ろすと「岳の棚田」が広がっている。
その先の眼下は佐賀県の西有田町が霞んでいる。
この日は曇天。晴天だったら棚田も眼下の街並みも
素晴らしい景観だっただろう。残念!


       岳の棚田。眼下には西有田町の街並みが広がっている

国見峠を越え佐世保市に入り、そのまま墓参りへ。
11時ちょっと過ぎに着いたから途中の休憩、
棚田観賞を含め4時間弱の行程となった。
墓は案外ときれいだった。わずかばかりの雑草をむしり、
墓石をきれいに拭き、花を取り換え、缶ビールを供え、
それから線香を立てる。
「お久しぶり。義父、義母様」手を合わせ、祈りを捧げた。

姉たちとの待ち合わせ場所となっている弓張の丘ホテルへ向かう。
佐世保市街、九十九島を一望する弓張岳の頂上にある。
国立公園内にあるから絶景の場所なのだが、
あいにくの曇天。これまた残念なことであった。


        佐世保市街も九十九島も残念ながら霞んでいた

姉3人は皆80歳を過ぎている。妻だけが後期高齢者前である。
それぞれの連れ合いを含め7人がテーブルを囲んだ。
話はどうしてもそれぞれの体調のことになる。
この年齢になれば、ほとんどが何らかの不具合を抱えているから、
やむを得ぬことだが、いささか寂しいことではある。



場所を長姉の家に変え、しばしの団らんとなったが、
ここでも「あのお墓どうしよう」という、
これまた切実な話になった。
それぞれ高齢になり、また嫁ぎ先との関係などもあり、
これから先も墓を守っていけるかどうか不安は増すばかりである。
子や孫にそれを託すにも、何やかやと難しい事情が多くある。
下手をすると、守っていく者が誰もいない無縁墓になりかねないのだ。
「それでは両親がかわいそう。それより墓じまいした方がよくないか」
こんな話も出てくる。



「時間をかけ、よくよく考えよう」ということで、この日は終えたが
こうした話は当家に限ったことではなく、
多くの家庭が抱えている切実な問題であるに違いない。
実際、全国で無縁墓が増えているとのニュースを
新聞やテレビでよく見聞きするようになった。

久しぶりに墓参りをし、姉たちと歓談し、そして帰路についた。
車の中から妻は姉たちに電話をかけ、
この日の歓待に礼を言いながら、亡き両親の先々を案じている。
何か良案はないものだろうか。