Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

ビートルズ やるよ! その➂

2020年05月12日 05時23分21秒 | 短編小説
               第3話 Something
 
             

「じぃじ、行くよ。用意いい?」
ギターを背にトシがやってきた。もちろん準備万端だ。
カラオケへ行くほどのことだから、そんなに力むこともないのだが、
何事も見かけが大事と心得ていれば、やはり身だしなみは整えておく。
すっかりたるんでしまった首筋を少しでも隠せるようにハイネックの白いシャツ、
それにジーンズを合わせる。それと、ちょっと洒落たハンチング風の帽子を
先日デパートで買っておいた。身だしなみと言うほどのことではないが、
小ざっぱりとまとめた。

さてと。
おや、サホリもサクラも一緒じゃないか。サホリはトシの姉で高校1年生、
もう一人のサクラ、この子は爺さんの次女・ミサトの一人娘だから
サホリ、トシとはいとこ同士ということになる。えーと小学校の4年生だったか。
その2人、どちらも表情が険しい。なぜだか、それはおおよそ見当がつく。
「じぃじ、ひどいよ」とサホリ。案の定だ。続けてサクラが
「トシ君だけカラオケに連れて行くのは、ずるい」ときた。
そして、口をそろえて「私たちもビートルズやってあげる」というのだ。
「ビートルズは4人でしょう。私たちも全部で4人。ちょうどよ」
もしかして、もしかしてだぞ。「トシ君だけ連れて行くのは不公平」と
文句を言っているのではなく、この爺さんをちょっとばかり喜ばせてやろうとの魂胆か。
そうであれば、なんとまあ健気で心優しい孫たちよ。
涙がこぼれ落ちそうなほどの感激ではある。

だが、「そりゃ無理」と言いかけると、今度はトシが、
「じぃじ、大丈夫だよ。何もうまく歌おうというのじゃないよ。雰囲気、雰囲気」
簡単な話のようにまとめてしまう。どうやら3人して謀ってきたらしい。
しかしなあ。サホリは何とかなるだろう。
いろんなコンクールでいつも金賞を獲得している高校の合唱部の一員だ。
いつも最後列に立ち、170㌢の背丈だから客席からでも表情がよく見える。
口を大きく開き、曲に合わせて体を緩やかに揺する姿に、
この子の情感の豊かさが表れている。
成績も上位にいて、おまけに英語がぺらぺら。
ビートルズもきっと爺さんよりうまくというか、正確な発音で歌えるに違いない。

問題はサクラだ。とてもビートルズを歌えるとは思えない。
そんなこちらの思いを見透かしたようにトシが言う。
「サクラにはあまり歌うことのないリンゴ役になってもらう。
リンゴはドラムだからサクラにはタンバリンをやってもらえばいいじゃん」
するとサクラが、
「私だって英会話教室に行っているんだもん。サホリちゃんと一緒に歌う」
自分でこう決着をつけてしまった。
このサクラは、サホリとは対照的に小柄だ。
爺さんより背が低いのは、家族の中ではサクラだけ。
ただ油断は禁物。まだ小学4年生だし、何と言っても母親のミサトは170㌢に少し足りないくらいある。父親もミサトより背が高いから、170の半ばくらいはあろう。
両親がそうであれば、これから伸びる可能性たっぷりということになる。
サクラはなんといっても顔立ちが良い。目元くっきり、なかなかの美人だ。
そうそう爺さんが若い頃、小さくて可愛い女の子を「トランジスタガール」と言ったな。
今のサクラはまさにそうだ。
性格も明るい。おしゃまで黙っていると一人なんだかだとしゃべり続ける。
それがまた愛くるしい。おっと、孫自慢もこのあたりにしておくか。
何事も過ぎるといけない。

      

「サホリと一緒に歌う」んだって? ああ、そうかい。
「サクラがリンゴ」というのは、妙な話ではあるが、
これは言葉の問題、トシとのやり取りには別状ない。
「サクラがリンゴ役」というのなら、サホリもトシも、
そしてこの爺さんにも役があるのだろう。すかさず、
「サホリはポール役、そしてじぃじがジョージ役だね」
「じゃ、トシ、お前がジョン役というわけだ」
「一応、そういうこと」
「歌わないジョンだな」と茶化してやった。恨めしそうにサホリの方を見て、
「だから、一応と言っているでしょう。歌うのは、じぃじがジョンとジョージをやってよ。
僕はギターに専念……」
今度はトシがむっとしたようだ。はい、はい分かりました。

さて、それでは行くか。4人打ち揃ってカラオケ店へと繰り出した。
これにまた驚いたのが、例の受付のお姉さんだ。そりゃそうだろう。
爺さんが孫を3人も引き連れてくるなんて、そうそうあるものではない。
トシとはもう顔なじみになっているが、サホリとサクラは初対面だ。
この2人がまた、1人は長身で抜群の見栄えだし、もう1人は小粒ながら
すごく可愛い顔立ち。トシのハンサムボーイぶりはとっくに分かっている。
この爺さんの孫たちは3人揃ってなかなか──受付のお姉さんの顔がそう言っている。
                  
いつもより広い部屋に入った。マイクはもちろん2本。
トシは早速コードをつなぎ、ギターのチューニングを始める。
サホリは友達とちょいちょいカラオケには来ているようだから慣れたもので、
さっさと機械をいじって調整している。
サクラは、手持ち無沙汰にそんな2人をじっと見ている。
「あっ、忘れていた」トシが突然言った。
「何?」とサホリ。
「サクラ用のタンバリンを借りなきゃ」
「じゃ、ついでにマラカスも借りて。私も何かやらなきゃ」
室内電話で受付のお姉さん頼むと、すぐに持ってきてくれた。
「はい、タンバリンとマラカスですよー。皆さん楽しんでくださいね」
気のせいか、お姉さんもどこか弾んでいるような……。

「皆いい。始めようか」準備万端のトシが促す。
「待って」サホリがストップをかけ、
「せっかくだから、最初は皆それぞれ好きな歌を歌おうよ」と言う。
「そりゃそうだ」爺さんが相づちを打てば、すかさず「では、トップバッターは私……」
サホリはもうマイクを取り、画面をつついている。何だ、選曲済みだったのか。
サホリのごひいきはK─PОPの「東方神起」だ。流れてきた曲は、やはりそうだった。
合唱部だけあって、メゾソプラノできれいに流していく。
「東方神起」2曲の次はサクラ。サクラの好きなグルーブは『嵐』だ。
実はサクラの母・ソノミも『嵐』ファンで、コンサートには2人で行くほど。
「いい歳をして」ソノミにそう言いたくなるが、
「お父さんには言われたくないわ。お父さんこそ、すごいミーハーじゃない」
そう言い返されるに決まっている。母娘共に『嵐』に夢中、まあいいだろう。
サクラは決してうまいとは言えないが、
精いっぱい声を出して歌うところが、また可愛い。
「トシは歌わんだろう」と言えば、「ああ」の一言。
それ以上深入りせず、「では俺がフォークを……」2曲やった。
サホリやサクラにはほとんど馴染みがなかろう。「なんだ、この歌」という顔をしている。
              
本番、本番。
「じゃ、じぃじ。いつものように『Something』から始めようか」とトシが言うと、
「ちょっと待って」サホリがまたストップだ。
「トシがじぃじから借りたCDで何度か聞いたけど、私たちまだよく覚えていないの。
だから、じぃじが最初に歌ってみて」というのである。
「そうか。ではトシ、いってみるか」そうトシを促し、軽―く流してみた。
サホリは何とも辛口の評論家だ。
「なあに、じぃじの発音。英語じゃない。まるっきり日本語。カタカナを読んでいるようなものだよ」
ほっとけ。こちとらは、それも承知でやっているんだ。なあ、トシ。
「絶対に人前で歌っちゃだめだよ」とまで言われてしまった。
実は、サホリは小さい頃からなぜか語学に長けていて、それで英会話教室に通わせたところ、小学生になると英語ペラペラの子になっていた。
そんな子からダメ出しされてしまったわけだ。
そして、「もう一度やってみて」ときた。
すっかりサホリに仕切られてしまったようだ。
サホリは聞きながら、何やらメモしている。この子は小さい頃から玩具より
鉛筆とノートが好きな子だった。そんなことが、ふいと思い出されてくる。
「サクラちゃん、サビの部分……」
「ザビって?」
「ああそうか。ほら途中で声が大きくなるところがあるでしょう。
You’re asking me……って。そこのところを私と一緒に歌うことにしようね」
そんなことをメモっていたんだ。
2度も聞けばサクラも「ああ、あそこだね」と分かる。
確かに、このサビのところは、ジョージにポールがハモるところだ。
これにサクラが加わるらしい。
サクラも英会話教室に通っているから横文字には抵抗感がないようだ。
ただ、サホリにはさんざんけなされた爺さんの英語の発音については何も言わない。
この子も大きくなったらサホリみたいに、ズバッと言うようになるのだろうか。
そんなことをぼんやり考えていたら、今度はトシが、
「サクラ、タンバリンを軽く叩いてみて。パンパン、パンパン。
そうそう、それをずっとやっていれば曲に合ってくるよ。いい?」
歌いながらのタンバリンだからちょっと難しくなりそうだが、
「ОK。任せといて」と軽く片付けた。
サホリは負けじと、マラカスをちゃかちゃかやっている。
トシのギターに、サホリのマラカス、そしてサクラのタンバリン、
妙な編成だが、これもバンドだ。
                     

よし、準備は出来た。本番いくぞ!
さすがに緊張する。トシもそうだし、サクラもそう。サホリだけが余裕の表情だ。
と、社交ダンスで片足を爪先立ってくるっと回る、何と言ったっけ、
そうそうターン、それをやる。なんだ、サホリも緊張しているのだ。

入りはドラムのトトトトトッ、これはカラオケの演奏に任せトシのギターへ移っていく。
何とかいけた、と思ったらサホリがまたまた「ストップ」。何だ何だ?
「トシ、間違えたでしょう」
トシをみると、どうもそうらしい。ギターの弦を触って、この弦が悪いんだと言いたげな顔つきだが、それは通らない。
「ごめん。ちょっとひっかかっちゃった」としおれている。するとサクラが、
「サホリちゃんごめん。私もタンバリン間違えちゃった」
トシとサクラ、このいとこ同士は小さい頃から大の仲良しで、
サクラはいつも「トシ君、トシ君」と追い回していた。
それで、ここでもトシの助け舟か。うるわしいこっちゃ。
「じゃ、最初からもう一度。じぃじいい?」
ああ、何度でもいいぞ。スタート。
おっとしまった。入りが遅れた。
「今度はじぃじなの」
サホリは厳しい。「怒られてやんの」サクラが追い打ちをかける。
ええーいもう。もう一度、もう一度。
今度はうまくいった。トシも、サホリも、サクラも、
それぞれに一生懸命自分のパートに集中している。
さあ、いよいよサビのところだ。うまくハモれるか。  
     
        

サホリとサクラは頬をくっつけるようにして、マイクに顔を向けている。
背丈が随分違うはずだが……そう思って見ると、サクラが少し前かがみになって
ソファの上に立っている。それで調整しているのだ。

さあどうだ。おほっ、うまいぞ。合ってる、合ってる。
もう少しだ。いったー。トシのギターが最後をビンとしめた。

なんとまあ。体がぐにゃぐにゃになりそうな満足感。こんな感覚は初めてだ。
4人がそれぞれにハイタッチ! 孫3人がこちらを見て、にこにこ笑っている。
「じぃじ、私たちのビートルズはどうだった? 楽しかった?」サホリが聞く。
楽しいも何も、孫たちとやれたビートルズ。これ以上のことがあろうか。
「もう一度やるよ。今度は記念に動画を撮っておくからね」
サホリはバッグからビデオを取り出しセットしている。
そんな用意もしていたのか。さすがサホリだ。
今度も皆うまく出来た。
「もう1曲いくか」そう水を向けたのだが、サホリもサクラも「もういい」とそっけない。
「何だ1曲だけのビートルズか」
仕方がない。今日はこれで終わりにしよう。

        
            終話 Mother Mary comes to me
            

私、サクラです。高校3年生になりました。大学受験ですから大変です。
サホリちゃんはアメリカの大学に留学し、もうすぐ卒業です。
就職は東京の大きな会社に内定していますから、
ちょくちょく会うことができると思います。
それからトシ君。地元の国立大学の3年生です。
実は、サホリちゃんが夏、冬の休みで帰国した時には、私の英語の先生になってくれます。
教え方も本当に上手で、お陰で私の英語力がぐんと高まりました。
そして、トシ君は数学、物理のやはり家庭教師をしてくれています。
トシ君は理数系に強く、大学もその学部を選択しましたからね。
トシ君もまたいい先生です。
それから、4人でビートルズをやった後、
トシ君とサホリちゃんは、それぞれお爺ちゃんと一緒にステージに立ちました。
お爺ちゃんは「次はサクラだな」と言っていましたが、とうとうそれは出来ませんでした。
トシ君が大学に合格したのを見届けるようにして、その年の春に亡くなったんです。
もうビートルズはやれません。
トシ君もギターをやめてしまいました。
お葬式の時、サホリちゃんがあの動画をお棺の中に入れてあげましたから、
お爺ちゃんはきっと天国で動画を見て楽しんでいるでしょうね。


ビートルズ やるよ! その➁

2020年05月11日 09時02分38秒 | 短編小説
               第2話  Twist&Shout

            
トシは中学2年生になった。中学に入りたての頃は、
まだ爺さんの顎あたりの背丈だったが、この1年間でまさにタケノコのごとく
ぐんぐんと伸び、あっさりと追い抜いていった。
だが、体は大きくなっても、言う事する事、まだまだ子供だわい。
中学へ入学し、さて部活は何にするかとなった。あれやこれやと悩んだようだが、
こちらの全くの想定外、剣道部を選んだのだ。その理由たるや、これがいかにも……。
「スターウォーズ」に必携のアイテム、あの光る剣・ライトセーバーが
パッと頭に浮かび、「剣道部だ」となったというから笑ってしまう。
まあ、それは良いとしても日本古来の武術である剣道は小さい頃からやっている子が多く、
中学生になって初めて竹刀を握るトシにとっては、それだけでもハンディではないか。
当たらなくてもよい予感は、意に反してしばしば的中してしまう。
トシが初めて試合に出るというので観戦に行ったのだが、残念! 
相手の竹刀がトシの頭を2度も叩き、メン2本であっさりと負けてしまった。
ドンマイ、ドンマイ──ちょっと古いか。
それでも「僕 剣道やめる」なんてことは言わなかった。
試合に出ては負けが続いたが、ともかく3年間はやり通した。
「継続は力なり」これもトシの才能なのだ。
                                       
もちろんギター教室通いも続いている。
ただ、教室へ通えるのは月2、3回程度だ。これでは、思うほど上達すまい。
では、家で……と思ってもマンション住まいとあっては、
「お隣に迷惑でしょう」と叱られるに決まっている。
「ギターが泣いている」そんな思いにさえなるのだった。
「どこかギター練習できるところないかなあ~」叫びたくなる。
きっと、そんな思いだろう。

そのトシに救いの手を差し伸べたのが、他ならぬこの爺さんである。
実は爺さんもカラオケ通いを始めた。それも一人カラオケというやつだ。
トシが通っているミュージックスクールは、生徒たちの練習の成果を披露する
発表会を年1回ライブハウスで開いている。
もちろん欠かすことなく、トシのギター演奏を見、聞きに行く。
すると、何だかうずうずしてくるのだ。
「俺もビートルズを歌いたい!」そうなるのだ。
今にもステージに駆け上がりそうになる。
もちろん、そうはいかないのは分かっている。
そんな気持ちがカラオケ店に向いたという話だ。
最近は一人カラオケも流行っていると聞いた。
そうは言ってもな。70歳にもなる爺さんが一人でカラオケ店へ行くのは相当に勇気がいる。
ごく自然にためらう。
それでもビートルズは歌いたい。気持ちは右へ左へと。
ええーい。いつまでもこうしていても仕方がない。
このままではビートルズは歌えずじまいになるぞ。
思い切った。
近所のカラオケ店へ突撃――。
              
案の定、受付のお姉さんが「お一人様ですか」と聞く。
そりゃそうだろう。こんな爺さんが一人でひょっこりカラオケしにやって来ることは、
あまりないだろうからな。
ここでまた、ちょっとひるむ。でも、踏ん張る。
「部屋、空いてる?」ホテルでもあるまいに、こんな聞き方をしてしまった。
「はい、大丈夫ですよ。ご希望の機種はありますか」
そう聞かれてもわかるはずがない。
「特に……」と返せば、「お時間はどうされます」ときた。
「うん、2時間にするか」と答えたものの、2時間でどのくらい歌えるのか見当もつかない。
まあ、いいか。飲み物はウーロン茶を頼んで、指定の部屋に入った。
さて、どう操作するものやら。
しばし、機械とにらめっことなったが、これは案外と簡単だった。
タブレットみたいなタッチパネルの「歌手名」「曲名」から歌いたい曲を選び、
伴奏音、マイク音量、エコーレベルといったものは歌いながら調節すればよい。
基本的には、これだけ覚えればОKだ。

さて、やるか。それでも、いきなりビートルズというのもな。
まずは喉慣らしに、よく聞き知ったフォーク系から入ろう。
「22歳の別れ」「無縁坂」「時のいたずら」この3曲で喉慣らしをして……さあ。
本番いくぞ! それビートルズだ。
勇んで「歌手名」からビートルズを選んでみたら、こりゃあ驚いた。
曲名がずらっずらーと並んでいるではないか。
いくらビートルズが好きと言っても全部が全部知っているわけではないし、
歌えるわけもない。
仕方がない。曲名が分かり、しかもスローな曲からやってみることにしよう。
それだと、「And I Love Her」だな。
聞き知ったメロディーが流れてきた。これはまあ、すんなり歌えた気がした。
いいだろう。さて次は……とやりながら考えた。
1曲ずつ選曲するのは何ともまどろっこしい。
そうだ、2、3曲流しっ放しにしておいて、
その間にどんどん選曲し予約していけばいいんじゃないか。それで一気に10数曲入れた。
そして歌い続ける。
しかも「Come Togather」や「Don’t  Let Me Down」「Twist&Shout」など、
ちょっとアップテンポでハードな曲も入れると、
まるでコンサートをしているような気分になる。乗りに乗る。 
もちろん客はゼロだが、それでもいい。
こうして、初めての日は30数曲も歌ってしまったのである。
              
こうして、トシはミュージックスクールに通い、爺さんはカラオケ通いが続いた。
そんなある日、いつものように受け付けをしようと思ったら、
壁の大きなポスターが目に入った。
「カラオケでギター演奏を」
ピッときた。
「そうか。トシをここへ連れてきてギターの練習をさせればいいのだ」
すぐに受付のお姉さんに尋ねる。
「ねえねえ、ここでギターの演奏も出来るの?」
「ええ、出来ますよ。ギターだけでなくサックスを吹かれるお客様もいらっしゃいます」
それだけ聞けば十分だ。
この日も30曲ほど歌い、急ぎ足で家に帰るとすぐに電話だ。
        
「おいトシ、ギターの練習が出来る場所を見つけたぞ」
「へえー、じぃじの家? そこもマンションだから無理でしょう」
「違う違う。カラオケ店だよ」
「なーんだ」
「なーんだとは何だ」
「だって、カラオケ店というのは歌わなければいけないんでしょう。僕、嫌だな」
こちらの意気込みほどには乗ってこない。
ははーん、そうか。トシは歌うのが嫌なんだな。
いつだったか、姉のサホリから「トシは音痴だね」と言われ、えらく落ち込んでいたっけ。
以来、歌うのを嫌がっていたのを思い出した。
「それがだね、カラオケに合わせてギター演奏が出来るらしい。一度行ってみないか」
「じぃじと? さえないなあ」
何が「さえないなあ」だ。言うことが小憎らしい。それでも、
「じゃ、今度じぃじがカラオケに行く時電話してみて」
と譲ってくるところが、可愛いんだな。これがまた、また。
「えーと、明日は土曜日だな。よし明日だ」
「明日? 明日は部活だよ」
「部活は午前中だけだろう。昼からならどうだ」
「そうだね。明日は友達との約束もないし、じぃじに付き合うとするか」
ちょっと待て。付き合ってやろうというのはこっちだ。また、むっとする。
だが、出てきた言葉は「そうこなくちゃ」だった。孫に対しては大きく構えるべしだ。
             
この日の受付のお姉さん、やけに愛想がよい。ははー、トシだな。
これがまた、なかなかのハンサムボーイなのだ。
ハンサムボーイとはちと古臭い言いようだな。男前、これも古いか。
まあ、どうでもいいが、お姉さんの愛想が良いのはトシに違いない。
中学生にして、なかなかやるわい。
もっとも爺さんにはまだまだ及びはしないが……。
部屋に案内され、ギター演奏のためのコードのつなぎ方など
一通りの操作法を教えてもらったトシは、今度はギターのチューニングを始めた。
ギターを扱うと、生意気に顔つきまで変わってくる。
「凛々しい」と言えば、これは褒めすぎか。
「じゃ、じぃじ。何でもいいからビートルズの曲かけてみて。練習してみるから」
そう言われて、慌ててタッチパネルを取った。
「そいじゃ、『Something』だなあ。いいか、いくぞ」
曲が流れ出すと、トシがギターをビンビンとやり出した。
楽器と名の付くものは、何一つ弾くことも、吹くことも出来ない爺さんは、
黙って見ているしかない。
「ちょっと止めて。間違えちゃった。もう一度最初から」
こんなことを5度繰り返し、やっと「もう大丈夫。じぃじ、歌っていいよ」となった。
「では、やるか」そう言いつつもトシをバックに歌うとなると、
何となく照れ臭いし、緊張もする。
『Something』さあ、いくぞ。
この曲は、トシのギターソロから入る。よし、うまくいった。
さらに間奏部分へ。まさにトシのギターの見せ場、いや聞かせどころだ。
ここも大丈夫。2人とも気分はキャッホーだ。
最後のあたりで声がひっくり返ってしまったが、最初にしては上出来。
思わず2人でグータッチ!。
          
                 (続く)

ビートルズ やるよ! その①

2020年05月10日 05時59分30秒 | 短編小説
     新型コロナウィルスに閉じ込められ、有り余るほど時間が出来ました。
     その時間を利用して短編小説を書いてみました。
     3回連載と考えていますが、それでも1回分が結構長くなりますので、
     少し時間の余裕がおありの時、お読みください。
     大した作ではありませんので、笑い飛ばしながらお読みいただければ
     うれしく思います。よろしくお願いいたします。

            
           
           第1話  Let’s  it  be

184㌢もあるから、160㌢そこそこの爺さんの顎は自然と上がる。
その顎の下までしかなかったトシは今、見上げるほどの大学3年生だ。
時が経つのは本当に早い。そう感じるのも歳のせいか。

10年も前なる。トシはまだ小学5年生だった。
ある日、母親のサヤカ、つまり爺さんの長女だが、親子連れだって
ひょっこり我が家にやってきた。
同じ市内、車で30分ほどの所に住んでいる。
ついでに言えば、次女のミサト、その一人娘サクラの母子も
サヤカとは歩いて行き来できる近さにいる。
もちろん、それぞれの婿も含め家族全員が近くにいるというのは、
幸いなことであり、心強くもある。

「よお、元気だったか」声をかけたものの、トシはそれに返事するのももどかし気に
「僕、ギターやりたい」胸の中の思いを吐き出すように、そう言ったのである。
その勢いにちょっと気圧されてしまった。
「へえー、ギター弾きたいの? そうか」そう言った後一息つき、
それからやおら「『禁じられた遊び』ありゃいいね」何とも的外れと言うか、
妙ちくりんな答え方をしてしまった。案の定だ。
「どんな曲? その『禁じられた遊び』って」ときた。
一応、メロディーだけは口ずさんでみせるが、トシに分かるはずがない。
「お父さん、私だってよく分からないわよ」
サヤカが口をはさみ、そしてこう言うのである。
「トシ君がやりたいと言うのは、ほら、お父さんが好きなビートルズ、
あんなのだって……」
「何だ、エレキか。てっきりクラシックギターみたいな高尚なものかと思ったんだがな。
トシ、あんなのやると不良になるぞ」
年寄りが言いそうなことだ。
すかさず返されてしまった。
「ウソ~。じゃあビートルズが好きなじぃじも不良だった?」
近頃の子はこうだから厄介だ。まともに言い合っても勝ち目はない。

そういえば、あれは中学生の頃だったと思うが、10歳上の兄から
「お前、不良か。そんな歌聞いたりして……」
ひどく怒られたことを思い出した。
この兄は中学を卒業すると、すぐに働き出した苦労人でコツコツ貯めた金で、
当時としては結構高級なステレオを買っていた。
その兄の留守を狙って友人から借りてきたドーナツ盤をこっそり聞いて楽しんでいたのだ。
ところが予期せぬ時間に兄が帰ってきた。
その時、部屋中にプレスリーが大声を響かせていたのである。
あいにく、兄はクラシック一辺倒。
兄にすると「プレスリーなんぞ、不良の輩が聞くもの」であり、
それを我が弟が聞いているとあれば、余計に腹立たしかったに違いない。
今、兄と同じようなことをトシに言っている自分がおかしかった。
何事も順繰りにやってくるものだ。

「まあいい。どこか音楽教室にでも行くのか」
「そうなの。それでね、まず要るものが要るのだよね。トシ君、あなたから言いなさい」 
「ママ、お願い」
「ダメ、ダメ。自分のことは自分で……」
トシは意を決したように
「ギター。じぃじ、お願い買って」
やはり、そうきたか。
「ギターやりたい」と言った時からおおよそ察しはついていた。
「お父さん、この子もうすぐ誕生日でしょう。そのお祝いにって言うのよ」
間髪入れぬフォローは、さすが母親だ。
確かに孫たちの誕生日には、毎年なにがしかのプレゼントをしている。
たいてい、本人が欲しいものを事前に聞いておき、誕生日に手渡すのだ。
これだと、誕生日当日のサプライズはない。
でも、本人は確実に希望のものを手にすることができるのである。
こんなやり方も今風といえば今風だろう。
でも、サプライズなしというのも何だか味気ないな。
トシの誕生日までは、まだ時間があると思い、今年は何が欲しいのか聞いていなかった。
それがギターとなったわけだ。
「それで、どれほどするんだ」
年金暮らしの身だ。そこはきちっと押さえておかなければならない。
「実は、そのギター教室をのぞいてきたの」
おや、おや手回しの良いこと。
「先生がおっしゃるには、初心者だからそれほど高いものでなくていいそうよ。
3、4万円ぐらいだって。もう楽器屋さんにも連絡してもらっているのよ」
何と何と。重ね重ねの手回しの良さだ。
ちょっと憮然とした表情をしておくか。
実のところは、ビートルズを持ち出されたのでは、金縛りにあったも同然。
それも孫がだよ、孫がビートルズをやりたいと言うのだよ。
心中はとっくに決まっている。
「じゃ、これからギター買いに行くか」そんな気持ちでさえある。
                               
だが、トシはもう一つ難関をくぐらなければならない。
横に座って、こんなやり取りを聞いていた我が家の〝大蔵大臣〟、今は財務大臣か、
妻のサチエが「分かりました。よろしゅうございます」と言ってくれるかどうかだ。
何といっても財布のひもをしっかり握っておられる。
「そういうことだ。いいだろうね」
機嫌をとるような調子で了解を求めた。
面倒くさい〝手続き〟ではあるが、年金暮らしとあれば手を抜くわけにはいかない。
「何とかなるでしょう。私の裁量にお任せください」
やけに気張った言い方でОKサインである。どうも怪しい。
さては、婆さんとサヤカの間で話済みだったか? どうもそのようだ。
面倒くさい〝手続き〟を踏んでいるのは、むしろ母娘の方なのだろう。
「ばぁば、ありがとう」
トシもそつがない。
「じゃ今度の日曜日にでも行くか」
話はついた。
              
「お父さん、カードの支払いは2回払いにしておいてくださいよ」
その当日、出際にサチエが念を押す。
そうそう、それを確かめておかなければならなかった。
まずは財布にちゃんとカードを入れているかどうかだ。
いざ支払いをする段になってカードを忘れてきたなんてことになると、
みっともないし面目ない。トシはもう相手にしてくれなくなるかもしれない。
年を取れば、頭の中のどこかがぽつんと抜け落ち、物忘れが常になる。
念には念を入れる必要がある。財布をのぞく。よし、大丈夫だ。

待ち合わせ場所の楽器店に行くと、トシはもうあれこれとギターの品定めをしている。
何にでもピンキリあるもので、数10万円もするエレキギターも並んでいる。
ひょっとすると、もっと高価なものもあるのかもしれない。
できるだけ高いものには目を向けないようにしておこう。
トシがそんな高いものを欲しがっているとは思わないが、
世の中「ひょっとして」ということもある。
「お父さん、この前話したようにミュージックスクールの先生から、
こちらへ連絡してもらっていて初心者用のギターを用意してもらっているのよ」
サヤカはそう言いながら、店員と何やら話している。
店員の手にはすでにギターが見える。
トシの目は相変わらず、ずらっと並んだギターにあっちへ行き、こっちに来だ。
やる気満々、それを小さな体全体で表している。
「トシ君、こっちへ来て」サヤカが呼ぶ。
「このギターだって。これでいいわね」
「うん。いい、いい」一発決めだ。
                            
黒塗りのギターを見て、トシの気持ちはもう、
このギターをギンギン、ガンガンかき鳴らしているのかもしれない。
「それでは」店員は一度奥へ引っ込み、ギターをケースに入れてきた。
「じゃボク、これ背中に担いでみて」
おっ、格好良いではないか。小学5年生だからギターが体を隠してしまっているが、
それでもちょっとしたギタリスト風情だ。あくまで、ひいき目に見ての話だが……。
「お父さん、お願い」
サヤカに促されて支払いを済ませた。
「じぃじ、ありがとう。じゃまたね」
それだけ言うと、トシはもう背中を向けた。
「おい待て。ジュースでも……」
そういう暇さえなかった。
「帰心矢の如し」の、ギターを担いだトシの後ろ姿を追うしかなかった。
「お父さん、ごめんなさい。ありがとう」サヤカもあわてて後を追った。
この街いちばんの繁華街を照れもせず堂々と小走りする。
図々しいようでもあり頼もしくもある。まったく。

                 (続く)

            
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