Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

伊根の舟屋

2020年12月31日 06時00分00秒 | エッセイ
    
           2020年が終わろうとしている。
         時は止まることなく過ぎていく。
       それでも、時がどんなに過ぎようとも、
    脳裏に、胸裏に深く焼き付いて、たやすく消えないものもある。
     たとえば、あの海の、あの光景──なぜか、しきりによぎる。
    
      思わず歓声の出るような絶景というわけではない。
      「派手か」、あるいは「地味か」、そんな安直な言い方をすれば、
      「地味」に、「ひっそりとした」を加えた、そんな佇まいであった。

      JR京都駅からバスでおよそ2時間。
      陸奥の『松島』、安芸の『宮島』と並ぶ日本三景のひとつ、
      特別名勝『天橋立』があるJR天橋立駅へ。
              
      その小さな駅の、道を挟んだほぼ真向いに小さなレンタカーの店。
      木造2階建て、出入り口は引き戸になっており、
      一見すると懐かしい雑貨屋を思わせた。
      『天橋立レンタカー』との店名、その『立』と『レ』の間に
      割って入るようにクラシックカーの絵柄をあしらった看板が
      2階部分に掲げてあり、それで、どうにかそれと分かる。
      すぐ近くに専用駐車場、と言っても空き地みたいな場所に
      2台分のスペースがあり、
      フロントガラスに「すぐにご利用いただけます」との札を下げた
      軽自動車が1台だけ停めてあった。

      ここに来たのは、実は天橋立が目的ではなかった。
      行きたい所は別にあった。
      日本海に突き出た京都北部・丹後半島へと、軽自動車を走らせた。
      最近の軽自動車はルーフが高く、車内は広く感じる。不足はない。
      1時間足らず──着いたのは伊根湾。ここが目的の地だった。
      
      日本海側の港には珍しく、波静かな天然の良港とされる。
      山並みが岸のすぐ後ろまで迫り、海との間のわずかな地に、
      海にせり出すように切妻造りの、1階が船の収容庫、
      2階が住居という、この地区独特の伝統的様式の建物が
      200軒ほど湾沿いにぐるりと立ち並んでいる。

      海と、物言わず迫る山並みの静けさ、
      それに『伊根の舟屋』と呼ばれる、これら建物が穏やかにマッチし、
      墨で描いた絵を思わせる世界となって多くの人を誘う。

      佇めば、4時を少し回り陽は沈みかけている。
      しかも薄曇りであり、海も舟屋も淡いグレーな静けさに溶け込んでいく。
      舟屋の2階にポツリポツリと灯が見えてきた。
      わずかなざわめきといえば、湾を巡る遊覧船のエンジン音と、
      それに紛れて、岸壁で無邪気に釣りを楽しむ女性の声だけ。
      目をやると、それは彼から釣りを教わる外国の女性のものであった。
      薄墨の中の淡い色彩……和やかさが加わってくる。

          2年前の11月、夫婦2人で訪れたその地が、
            忘れがたく胸中に残っている。

         皆様 良い年をお迎えください!


かに弁当

2020年12月28日 14時46分25秒 | エッセイ
    突然、部厚いトンカツを食べたくなった。
    200グラムのサーロインステーキも食べたくなった。
    トロとイワシのにぎりを5貫ずつ。
    鶏の唐揚げを山と盛ってほしい。
    それから、ボール一杯のポテトサラダも忘れずに。
    目の前のテーブルを埋め尽くしてみたい。
    腹がはち切れるほどに……。
             
病に悩んだ1年だった。
年末まで鬱々とした日が続いた。
3度目の膀胱がん手術、尿管結石の手術、それらの術後の不調……
加えて、がんの尿細胞診の結果は「境界域ぎりぎり」の擬陽性。
膀胱鏡検査にCT撮影がプレッシャーをかけ続けた。
それらが重石のように年末まで心身にのしかかった。
         
    医師から渡された1枚の所見/診断書。
    「前立腺癌・膀胱癌治療後 明らかな再発・転移を認めず」
    「明らかな骨転移を認めず」
    「両腎、尿管、膀胱に明らかな異常を認めず」
    「胆嚢、膵臓、脾臓に明らかな異常は指摘できず」
            
年末の28日。無事だった。
重石は静かに去っていった。
突然、部厚いトンカツを食べたくなった。
200グラムのサーロインステーキも食べたくなった。
………………………
………………………

     正月を迎えるためデパートへ出かけた妻の手には、
     北海道物産展で求めた「かに弁当」が2つあった。
       夫婦2人の、ちょっと奮発したお昼──。


ねぼとけさん

2020年12月26日 15時46分47秒 | エッセイ
  JR博多駅から車で40分弱、糟屋郡篠栗町にそのお釈迦様はいらっしゃる。
          篠栗四国霊場の総本山であり第1札所、
        さらに高野山真言宗の別格本山である南蔵院。

  何と全長41㍍、高さ11㍍、重さは約300㌧もあられる釈迦涅槃像は、
  ブロンズ製では世界一の大きさだそうだ。
  その巨体にも関わらず、お顔は実に穏やか。
  「ねぼとけさん」と親しまれているのが、よく分かる表情をされている。
             
南蔵院は、長年にわたりミャンマーやネパールなど
東南アジアの子供たちに医薬品や文房具などを送り続けていたそうだ。
その返礼として1988年にミャンマー国仏教会議からお釈迦様、阿難様、目連様の三尊仏舎利を贈呈され、これらを安置する場所として、この涅槃像を建立したという。
1995年5月に完成している。
             
  この南蔵院は、宝くじファンのパワースポットでもあるらしい。
  林覚乗住職がご利益あらたかな方で、涅槃像が完成した年のジャンボ宝くじで、
  1等前後賞1億3000万円を射止めたのをはじめ、
  高額当選30回以上という好運の持ち主。
  そうとあって、必中祈願に訪れる人も多いのだそうだ。

そんな南蔵院の年末の恒例行事が、涅槃像のすす払い「お身拭い」だ。
竹ザサで埃を落とし、さらし布で汚れをふき取るのだが、
今年(12月26日)は、新型コロナウイルスのせいで、
例年よりうんと簡素なすす払いだった。
それでも、竹ザサで顔を撫でられるお釈迦様のくすぐったそうなお顔。
    どうぞ、コロナを退散させ、健康で過ごせる良き年となりますよう
    心からお願いいたします。

用済み

2020年12月15日 06時00分00秒 | エッセイ
                   川べりの道
            もう10日以上も
          このまま放置されている
         朽ち果てていくのみの哀れさ



               すぐ近くの川床
           投げ込まれ打ち捨てられ
          無残な姿となり果てた哀れさ
           

             嫌な 人の 一面

続・アイム ソーリー

2020年12月12日 06時00分00秒 | エッセイ
         ソーリー ビートルズ
    今は、君たちの歌を聞くことはまれとなった。
  代わって、父や母たちのように「悲しい酒」や「舟唄」、
     そんなものが無性に聞きたくなるのだ。

The Beatles - I Want To Hold Your Hand - Performed Live On The Ed Sullivan Show 2/9/64

    「何、このうるさい歌。こんなの長続きするはずないわ。
    麻疹みたいなもの。すぐに消えてしまうに決まっている。私、こんなの嫌い」
    レコードプレイヤーの上で、ビートルズが「抱きしめたい」と歌っていた。
    ほどなく彼女は去り、ビートルズは傷心の僕を
    「Let It Be~これも神の思し召し。なすがままさ」と慰めてくれたものだ。
    学生時代の淡い、そして苦い思い出話の一つである。

あれから50年余経った。今、ライブハウスのステージに立ち、
そして、ビートルズを歌っている。
側でギターを気持ちよさそうに弾いているのは孫である。
孫との共演で「Something」を歌うなんて、
50余年前には想像すらつかないことであった。
マイクを持つ手が、小さく震えている。それと、やっぱり照れ臭い。
そりゃそうだ。80に近い年齢。加えて、もともとのかすれ声だ。
ひいき目に見てくれる人は「魅惑のハスキーボイス」などと
持ち上げてくれるのだが、それさえも相当にすり減ってきた。
それでビートルズを歌うというのだから、我ながら厚かましい奴だと思う。
まあいい。声まで真似て歌うわけではない。
音程をはずしながらもそれらしくシャウト出来ればОK、本望なのだ。

    なぜ、それほどにビートルズを……なんて野暮は言わないでほしい。
    「ビートルズの音楽性はここが素晴らしいんだ」なんていうのもなしだ。
    そういったことは音楽評論家にでも任せておく。
    歌も、それに女性も好きになるのに理屈はない。
    たとえば、女性を好きになるのはほとんどが「
    見る」「聞く」「嗅ぐ」「味わう」「触れる」、
    つまり五感の為せるワザだと思う。
    そこから先は互いの感性が大いにものをいい、
    それを昇華できれば真の恋愛として成立するのだろう。
    いくつかの若き日の〝あのときめき〟を思い起こせば、
    そのようなことではなかったか。
    随分昔のことだから少々心もとない話ではあるが……。

ビートルズ嫌いの彼女は去った。
でも、ビートルズは60年近くもずっと僕の側にいて、
時に心を弾ませ、あるいは励まし、慰めてくれた。
ジョンもジョージもすでに亡く、ポールとリンゴの二人だけになったビートルズは、
今もなお生き続けている。

        (3月5日の当ブログにアップしたものを再掲しました)