Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

この温もり

2022年12月27日 10時03分49秒 | 小話


離れがたい。
未練たらしく、この温もりの中にいつまでも連綿としていたい。
外の世界は、寒風が吹きすさんでいる。

少し前までは6時、いや6時半までには起き出していた。
今は何時だ?。
うん、7時か、いや時計をよく見ると8時近い。
それでも、離れがたい。
この布団の中の温もり。
いつまでもくるまれていたい。

幼い日、寒い冬の朝、父や母はこう言った。
「子供がお湯で顔を洗うものじゃありません」
「お爺さんになってしまいますよ」
「子供は水道の水で洗いなさい」
そう言われ、流しっぱなしの水道水を顔に浴びせた。
手を切るような冷たさ。
それでも、子供はそうあるべきだと思い、その冷たさに耐えた。

今はとてもそんな元気はない。
もちろん、顔を洗うのも湯を使う。
いったん、布団の中に入るといつまでもそうしていたい。
なんとまあ情けないことであろうか。
年を取るというのは、そういうことなのであろう。



ようやく起き出せば、テレビのニュースは北陸をはじめ
各地の大雪を報じている。
福岡にも大雪注意報は出たが、我が家の裏庭は芝が隠れたり見えたり。
そんな程度の寒さに布団にしがみつこうとは。
我ながら情けない。

今夜も風呂で温まり、さっさと布団の中に潜り込むとしよう。




ちょっとだけ

2022年12月16日 16時56分35秒 | エッセイ


立ったまま靴下を履こうとしたら、
危ない! よろっ よろよろ。
お尻を「ちょっとだけ」壁につけ、事なきを得る。

この朝の冷え込み。水での洗顔は辛い。
オール電化の我が家。
「ちょっとだけ」温水を出した。
すると側にいた妻、「電気料金が上がるそうね」。
皮肉たっぷりに。

       

「ちょっとだけ」指を唾で湿らせて。
そうでないと、本も、新聞もめくれない。

「ちょっとだけ」のはずだったのに、ベロンベロンの飲兵衛君。
アルコールだめのぼくは「ちょっとだけ」だった飴玉が今何個?

面白かったなあ。
加トちゃんの「ちょっとだけよ」
今では放送禁止レベルなんだってさ。

      

最近、とんと見かけなかった歌手の小金沢昇司。
そうそう彼には「ちょっとだけ秘密」があったな。
飲酒運転で逮捕され、経営する会社も倒産した、
その話ではなく、河合奈保子とのデュエット曲なんだけど。

      

サッカーW杯の三苫薫選手。
ほんの「ちょっと(1ミリ)だけ」線上にあった
ボールを折り返し、ゴールにつないだ。
      
         ブラボー!!



年齢なりに

2022年12月09日 06時00分00秒 | エッセイ


50に近い年だったと思う。
自治会のソフトボールチームに駆り出されたことがある。
本格的な野球経験があったわけではないが、
野球少年だったし、中学では1年生の1学期まで野球部に入っていた。
その程度の経験だったが、それでも社会人になってからも
会社、あるいは町内会のソフトボール大会には欠かさず出場し、
「好きこそものの上手なれ」と嘯きながら楽しんだものである。
だから監督でもあった自治会長から
「今度、小学校区の自治会対抗のソフトボール大会があります。
チームに加わりませんか」と誘われた時、
「お待ちしておりました」とばかり勇んで参加したのである。
 
メンバーが初めて全員参加して練習をした時のこと。
ずらり並んでいたのは20、30歳代のばりばりの若者たちだった。
それでも負ける気はしなかった。
高校、大学生の時はスポーツ漬けで体を鍛えていたから、
そんな過去の自信が自負となっていた。



彼らと一緒に外野の守備練習に加わった。
「はい、楽勝、楽勝。軽く追いつけるわい」
高をくくった飛球があざ笑うかのよう右頭上を越えていく。
若い彼らは同じような飛球を楽々捕球しているのにである。
打撃練習でも彼らは苦も無くフェンスを越える。
だが、こちらはフェンスではなく、内野の頭を越すのがやっと。
この時の衝撃は大きかった。
まだ50にも届いていないのに。
情けなく、ひどく年を取ったように感じた。
無念の思いを胸に秘め彼らとの体力勝負にケリをつけた僕を、
監督は「守備は一塁、打順は8番か9番」に置いてくれた。
それからの休日はソフトボールの試合日と決まり、
60歳過ぎまで存分過ぎるほどに楽しんだのである。

老年医学・精神科医の和田秀樹さんの著作『80歳の壁』が、
この1年間の書籍ベストセラー第1位になったそうだ。
「体力も気力も80歳からは70代と全然違う! 
──中略──『80歳の壁』は高いが、その壁を超えたら、
人生で一番幸せな20年が待っています!」
このような話で、
◆食べたいものを食べていい。お酒も飲んでいい
◆肉を食べよう。しかも安い赤身がいい─など
「こうしたがよい」「こうすべきだ」といった
「未知なる『人生100年時代』を迎え撃つ、
新しい老人の作法」を伝授しているのである。
それは要するに、「老化に抗うのではなく、
老いを受け入れて生きる方が幸せ。
無理や我慢をやめることだ」ということらしい。

          

80歳となった今、プレーすることはもちろんないが、
野球をはじめスポーツ全般好きで、もっぱらテレビ観戦を決めこんでいる。
そして、もう一つ、趣味といえるものが歌うこと、
70歳からミュージックスクールに通っている。
同じ生徒さんを見れば、10、20、30歳代の若い人たちがほとんど。
そうとあって声は伸びやかだし、声量も豊かだ。
対して、こちらは声はかすれ、声量も情けないほど落ちた。
もう、止めようかと思ったりするが、
「なに、80は80なりに、年のままに歌えばよい」と開き直る。
そう思いながら歌うと、何となく気分が良い。
なるほど、老化に抗うことなくやっていけば、
この先、人生で一番幸せな20年が待っているかもしれない。
少しばかりの、わくわく感。