50に近い年だったと思う。
自治会のソフトボールチームに駆り出されたことがある。
本格的な野球経験があったわけではないが、
野球少年だったし、中学では1年生の1学期まで野球部に入っていた。
その程度の経験だったが、それでも社会人になってからも
会社、あるいは町内会のソフトボール大会には欠かさず出場し、
「好きこそものの上手なれ」と嘯きながら楽しんだものである。
だから監督でもあった自治会長から
「今度、小学校区の自治会対抗のソフトボール大会があります。
チームに加わりませんか」と誘われた時、
「お待ちしておりました」とばかり勇んで参加したのである。
メンバーが初めて全員参加して練習をした時のこと。
ずらり並んでいたのは20、30歳代のばりばりの若者たちだった。
それでも負ける気はしなかった。
高校、大学生の時はスポーツ漬けで体を鍛えていたから、
そんな過去の自信が自負となっていた。
彼らと一緒に外野の守備練習に加わった。
「はい、楽勝、楽勝。軽く追いつけるわい」
高をくくった飛球があざ笑うかのよう右頭上を越えていく。
若い彼らは同じような飛球を楽々捕球しているのにである。
打撃練習でも彼らは苦も無くフェンスを越える。
だが、こちらはフェンスではなく、内野の頭を越すのがやっと。
この時の衝撃は大きかった。
まだ50にも届いていないのに。
情けなく、ひどく年を取ったように感じた。
無念の思いを胸に秘め彼らとの体力勝負にケリをつけた僕を、
監督は「守備は一塁、打順は8番か9番」に置いてくれた。
それからの休日はソフトボールの試合日と決まり、
60歳過ぎまで存分過ぎるほどに楽しんだのである。
老年医学・精神科医の和田秀樹さんの著作『80歳の壁』が、
この1年間の書籍ベストセラー第1位になったそうだ。
「体力も気力も80歳からは70代と全然違う!
──中略──『80歳の壁』は高いが、その壁を超えたら、
人生で一番幸せな20年が待っています!」
このような話で、
◆食べたいものを食べていい。お酒も飲んでいい
◆肉を食べよう。しかも安い赤身がいい─など
「こうしたがよい」「こうすべきだ」といった
「未知なる『人生100年時代』を迎え撃つ、
新しい老人の作法」を伝授しているのである。
それは要するに、「老化に抗うのではなく、
老いを受け入れて生きる方が幸せ。
無理や我慢をやめることだ」ということらしい。
80歳となった今、プレーすることはもちろんないが、
野球をはじめスポーツ全般好きで、もっぱらテレビ観戦を決めこんでいる。
そして、もう一つ、趣味といえるものが歌うこと、
70歳からミュージックスクールに通っている。
同じ生徒さんを見れば、10、20、30歳代の若い人たちがほとんど。
そうとあって声は伸びやかだし、声量も豊かだ。
対して、こちらは声はかすれ、声量も情けないほど落ちた。
もう、止めようかと思ったりするが、
「なに、80は80なりに、年のままに歌えばよい」と開き直る。
そう思いながら歌うと、何となく気分が良い。
なるほど、老化に抗うことなくやっていけば、
この先、人生で一番幸せな20年が待っているかもしれない。
少しばかりの、わくわく感。