Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

風に吹かれて

2022年07月30日 17時42分41秒 | エッセイ


東側の戸を開け、西側の戸を開けると
鳴き出したセミの声と一緒に
早朝の涼しい風が部屋の中を吹き抜け、
カーテンが優雅に揺すられる。
この朝戸風がことのほか心地良い。
もうしばらく身に浴びながら眠りたい。
リビングのソファに30分ほど横になれば、
スマホが6時を知らせた。
東の空はすでに明るい。だが、厚い雲に遮られ照りは弱い。

       
                ネットから借用

ソファから飛び出し歩き出した、いつもの川沿い。
遠く東の山を見れば、山頂から中腹あたりまで
真っ白な雲がもくもくと覆っている。



川面から吹き上げてくる風がやはり心地良い。
すると、半袖のTシャツから覗いた両腕を雨粒がポツポツと打つ。
水面も雨粒が紋を描いている。



でも、引き返すほどではない。この程度の雨に濡れたところで、
シャツ、パンツを取り替え、シャワーを浴びれば済むことだ。
そのまま歩き続ける。

今日はことのほか静かだ。
他にウオーキングをしたり、ジョギングしている姿もない。
水辺に鳥たちの姿さえない。
道路沿いの電柱にカラスが1羽いて、
何やら鳴き声を上げているくらいなものだ。



     近くの水田の緑が美しい。
     水路からの澄んだ水が田を潤している。
     「風に吹かれて」歩き続ける。
     ボブ・ディランの歌を口ずさみながら……。



野球少年の矢のような送球

2022年07月28日 08時25分48秒 | エッセイ


ショートへの強烈なゴロを軽快にさばき、
まるでソフトバンクホークスの今宮健太選手みたいに
一塁へ矢のような送球をする
——寝つきの悪い夜、羊の数を数えたりはしない。
夢うつつの中で自らを名遊撃手に仕立て上げると、
いつの間にか心地良く寝入っている。

スポーツの中で何が一番好きかと問われれば、
ためらうことなく野球だと答える。
中学1年生の2学期から大学を卒業するまで10年近く
打ち込んだ器械体操には相済まないことだと思いもするのだが、
それでも野球少年だった頃に染み込んだ
このスポーツへの愛着心は隠しようがない。

    

社会人になると、床の上で宙返りをしたり、
鉄棒をぐるぐる回ることはなくなったが、
再び野球が、それはソフトボールという形ではあったが、
野球少年の心を呼び覚ますことになった。
社内の、あるいは町内会の親善ソフトボール大会などに駆り出され、
バットとグローブの感触を蘇らせたのである。

町内会にソフトボールチームを作ることになると、
そのメンバーの1人として加わった。
確かチーム最年長の40歳だったと思う。
周りを見れば20歳も年下といったばりばりの若者たちばかり。
打球の強さも、足の速さもとうてい及びはしなかったが、
それでも練習も試合も楽しくて仕方なかった。
やがて町内会のチームは自然解散したものの、
今度は地域のクラブチームに入りプレーを続けた。
ここでも最年長だったが、二塁、あるいは一塁のポジションを
しっかり守り抜くことが出来た。

だが、身体能力の衰えは如何ともしがたい。
20歳代の若者相手では少々荷が重すぎるようになった。
しかも危険だ。彼らの速い打球に反応できず、
顔面を直撃する恐れもある。
引退したのは62歳だった。
その際、未練を残さないようにとバットもグローブも処分した。
まるで、別れた女性の写真を細かく千切り、
さざ波にそっと流すように……。

     

あれから20年近く、ボールを打ち、投げるのは
寝つきの悪い夜、夢うつつの中だけのことになった。
そして、今度はテレビの名解説者となって
MLBで大活躍中の大谷翔平君を我がことのように話し、
いつの間にか自らが大谷君になり切ってしまうのである。
80歳の誕生日を迎えた今も、大谷君の姿を借りて
好プレーを連発する日々だ。
あつかましいにもほどがあると苦笑しつつ
今日も打席に、マウンドに向かう。




アッシー君役も悪くない

2022年07月26日 14時43分33秒 | エッセイ


「○日暇? ○○染工に連れて行ってほしいのだけど」
孫息子がLINEでこう言ってきた。
大学院で学ぶこの子はファッション関係にことのほか興味があるらしく、
卒業論文もそのようなものだったし、
アルバイト先も古着屋といったあんばいである。

      

そんな子だから、先生から「○○染工という染物会社が、
展示会をやっているらしいので行ってみたら」と言われ、
「それは是非」ということでLINEしてきたのだという。
その染物会社まで車で一般道を走り、2時間弱ほどかかる。
これに、ポポ(孫たちは祖母のことをこう呼ぶ)が加わり、
24歳にもなる孫と祖父母の3人の、
どこかホンワカとした取り合わせとなった。

妻もこのあたりの話には関心が強いので、孫とも染物について
何やかやとやり取りしているのだが、こちとらはまるっきりである。
展示会場を見て回っても何が何やら、
ただ「見事な染物だなあ」と言える程度だ。
さすがに孫は係りの人と専門的な話をしているようだ。
孫が何かの勉強をしている姿を見ることはまずないが、
こんなところで、はからずもその一面が見れたような気がする。





最後には、孫の関心の強さに負け、相応の値のする染物を
プレゼント(7月19日が彼の誕生日だった)することにした。
それでも、惜しいといった気はまったくしなかった。

午後からは授業だという。
せわしない帰路であったが、途中の道の駅での昼食の
テーブルは3人ともに笑顔が絶えなかった。
たまに孫の〝アッシー君〟役も悪くない。


つややかに

2022年07月23日 10時17分53秒 | エッセイ


このクマゼミはもう鳴かない。飛ぶこともない。
地上に出てきて、どのくらいの寿命であったろうか。
1週間ほど? 普通そのように言われている。
いかにも短命に思えるのだが、実際はそうでもない。
幼虫の時は、土の中で約7年、
環境が良ければそれ以上過ごすのだと言われる。
地上に出てくるのは成虫になってからだ。
ということは、セミの生涯というのは必ずしも短いとは言えず
昆虫の中では案外、長寿なのかもしれない。

          

今日、7月23日、80歳、傘寿を迎えた。
この数年はたびたびの入院・手術を繰り返したが、
それでも、何事もなかったかのように生き長らえている。
日本人男性の平均寿命82歳までは生きておれるだろう。
そう思っているし、このところその自信も湧いてきた。

還暦になった際、義兄から1枚の色紙をもらった。
それには──

◆20代は美しく
◆30代は強く
◆40代は賢く
◆50代はゆたかに
◆60代は健康に
◆70代はしなやかに
◆80代はつややかに
◆90代は愛らしく
◆「そして、いぶし銀のように美しく100歳に」

      

──義兄の直筆でこう書いてある。
それぞれの年代をどう生きていこう、こう生きなさい
との教えみたいなものである。
さて、「つややかに」生きていくにはどうすればよいのか。
「いぶし銀のように美しい100歳」まで望みはしないが、
とにもかくにも毎日毎日を精いっぱい生きていこうと思う。


2022年07月15日 06時00分00秒 | 思い出の記


    高村光太郎に問いたい。
    傘寿を迎えようとする者に対しても、
   「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」
    そうおっしゃるのであろうか。

彼の代表作の一つである『道程』という詩に初めて触れたのは、
中学の国語の授業でだった。
この『道程』はもともと102行あるのだが、
教科書などにはそれを圧縮・改訂した9行の作が用いられることが多い。
そして、その最初の2行は誰もが諳んじるほどの名句として知られる。
だから授業は、この2行に込められた思いを
どう解釈するかといったことを主に進められ、結果、先生は
「新たな、険しい道を切り開くには、それに立ち向かう勇気を
持たなければなりません。この詩はその決意を謳い上げたものです。
皆さんはまさに、新たな道へと歩み出そうとしている人たちです。
勇気をもって自分の進むべき道を切り開いていってください」
そう教え、促されたのである。
作者の思いはもう少し深いものがあるのだろうが、
多感な年頃の中学生にはきわめて分かり易く、胸に響く解釈だった。

        

だけど、80歳にもなろうとする今、
また新たな道を切り開き、歩み続けなければならないのか。
いささかきつい。
精気にあふれ、あの2行が胸に染みた中学生の頃とは、もう違うのだ。
「自分の進むべき険しい道を切り開け」と言われても、
それは重きに過ぎる。

道が険しいほどに、それを切り開いた時の喜びは
ひと際大きくなるのも確かだろう。

5年前、四国に4泊5日の車中泊に出かけた際、
国道474号線を走った。
その道は国道ならぬ、まさに〝酷道〟だったのだ。
いわゆる1・5車線の狭い山道が
標高1000㍍の峠までくねくねと続き、
常に対向車に注意を払わなければならなかった。
しかも右側にガードレールはほとんどなく、
反対側は側溝とあって少しの間も気の抜けない険しい道だった。
だが、そこを抜けるとエメラルドブルーの水面と
それに紅葉が映える見事な面河渓の景観が迎えてくれたのだ。
もちろん『道程』の〝道〟と、この国道とを並べて論じるのは
まったくナンセンスであるが、
〝険しさ〟を乗り越えた先の喜び、そこは共通する。

     

でも、繰り返すがそんな〝険しさ〟を
今また乗り越えなければならないのか。
老年医学・精神科医の和田秀樹さんは自著『80歳の壁』の中で、
「嫌なことは我慢せず、好きなことだけする。それが寿命を伸ばすコツ」
だと言っている。
光太郎も相槌を打ってくれまいか。