Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

キュウリンピック

2021年07月28日 15時31分32秒 | エッセイ


     オリンピックの熱戦にも劣らぬ激しい戦いだ。
     10時に開店したばかりの近くのスーパーマーケット。
     その野菜売り場の一角が戦いの場だった。
     おそらく、朝刊のチラシを見て駆け付けたのであろう
     奥さんたちが早くも群がっている。
     目当ては「詰め放題100円のキュウリ」だ。
     我が家もこの道にかけては腕に自信の妻を参戦させた。
     と言うより、妻自ら望んで駆け付けたのである。

         

     さて、ビニール袋に何本のキュウリを詰め込めるか。
     隣に陣取った奥さんは、早くもぎゅうぎゅうに詰め込んでいる。
     シニア、シルバー世代の女性の、
     こうしたことに対するパワーは凄まじい。
     これでもかこれでもかとばかり、キュウリを詰め込んでいく。
     「今、何本ですか」と尋ねれば、
     「えーと」と数え始め、「15本ね。まだまだ」。
     さらにキュウリが気の毒と思えるほど
     隙間にぎゅうぎゅうねじ込んでいく。
     そこに店員さんがやって来て、
     「手で押さえてレジまで持っていけるものもOKですよ」
     そう言われて、「それでは」と一層熱を上げ、
     その結果、ビニール袋からこぼれ落ちそうになっているものまで
     手で押さえてレジまで持ち込んでいた。
     なんと21本ゲットされていた。
 
            

     こちらとて負けてはいられない。
     妻の手さばきがスピードアップする。
     「18本までなんとか入ったわ。
     あとは、手で押さえてOKのものを何本足せるか」
     妻もオリンピック選手並みに最後の力を振り絞る。
     「やった! 22本になった」見事な金メダル。

     意気揚々と我が家に凱旋だ。
     だが、待てよ。
     こちとらは、キュウリが大の苦手なのだ。
     絶対に食べない。
     それなのに、これほどのキュウリを一体どうする気だ。
     もちろん、妻は知っている。
     そして、唯一の例外があることも知っている。
     しば漬けだと何の苦もなく、むしろ美味しく食べられるのだ。


     その夜、妻のしば漬け作りが遅くまで続いた。
     こちらは、オリンピックのテレビ観戦である。
     いやはや、ご苦労様。
     そして、ありがとうございます。


今見る2度目の東京オリンピック

2021年07月23日 06時00分00秒 | エッセイ


   僕の側にベラ・チャスラフスカさんが立っていた。
   美人で優雅なその姿に体は硬直し、胸はそれこそ高鳴った。
   ご存じの方もおられると思うが、
   旧チェコスロバキア・プラハ出身の体操選手だ。
   1964年の東京オリンピックで個人総合、
   平均台、跳馬で金メダルを獲得し、
   ついでに言えば次のメキシコ大会でも個人総合を連覇している。

        

   オリンピック後に模範演技を披露するため各地を回り、
   僕がいた長崎にもやって来た。
   当時、僕は大学3年生で器械体操部に入っていたから、
   チャスラフスカさんの模範演技会場で、
   器具や用具の準備のための
   補助要員として駆り出されていた。
   そして、その優美な演技によって「オリンピックの花」とまで
   称えられた人が触れ合わんばかりの近さに立っていたのだ。
   生涯2度とはないであろう、なんと好運なことであったか。

        

   その64年の東京オリンピック開会式。
   10月10日の東京の空はまさに秋晴れ。
   そこに自衛隊機が五輪のマークを描き、
   そして聖火リレーの最終ランナー・坂井義則さんによって
   聖火が赤々と灯された。
   〝日の丸色〟の赤のブレザー、白のパンツ、スカート姿の
   日本選手団が整然と入場行進した、あの光景。
   講義を特別に休講にしてもらい、
   同級生たちとテレビに釘付けとなった、あの日。
   脳裏に鮮明に焼き付いている。

                

   あれから57年後の7月23日。
   再び東京の空に五輪のマークが描かれ、聖火が灯る。
   コロナ禍により1年延期され、また「中止すべき」との声も多い中、
   何とか開催にこぎつけることができた。
   8月8日まで各競技に熱戦が繰り広げられ、
   その後にはパラリンピックが控えている。
   すべてが無事に進み、終了することを願うばかりだ。

   そして、僕はこの日79歳の誕生日を迎えた。
   実は、60歳半ば頃から、「オリンピックを見るため、
   あと4年は生きるぞ」と自らに言い聞かせながら生きてきた。
   今もそれは変わらない。
   この東京オリンピックを存分に楽しんだ後は、
   「2024年のパリ五輪も絶対に見てやる」と思っている。
   そうやって4年刻みに年齢を重ねてきたし、
   これからもそうしようと思っている。

   あと何度オリンピックを楽しむことができようか。


檸 檬

2021年07月22日 06時00分00秒 | エッセイ


ベランダの鉢植えのレモンの木が、今年も実をつけた。
アゲハ蝶が卵を産みつけ、
その幼虫から葉を食いちぎられながらも、
何とか生き長らえ、楕円形のかわいい緑の実を見せてくれたのだ。
まだ、四つほどしか見当たらないが、枝葉には数日もすれば、
他にも小さな濃い緑色の実が見られそうな気配がある。

鮮やかなレモンイエローになるには、
もうしばらく待たなければならないが、
そのレモンイエローは明るい喜びを感じさせ、
口の中の酸っぱさが爽やかさを呼び覚ます。



なのに、小説や詩、あるいは歌の中のレモンは、
なぜこうも悲しみをたたえているのか。

鬱屈した気分で街を歩く青年は、
果物屋で買った一個のレモンを持って書店に入り、
積み上げられた美術画集の上に爆弾に見立てたレモンを置いて、
愉快に立ち去っていった
——梶井基次郎『檸檬』
 
死の床にいた智恵子は、そのきれいな歯でレモンをがりりと噛んだ。
トパアズいろの香気が立つ。
その数滴の天のものなるレモンの汁は、
ぱつと智恵子の意識を正常にした
 ——高村光太郎『智恵子抄』中の『レモン哀歌』                   

                            

あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ 
そのすべてを愛してた あなたとともに 
胸に残り離れない 苦いレモンの匂い 
雨が降り止むまで帰れない 今でもあなたはわたしの光             
——米津玄師作詞・作曲『Lemon』

喰べかけの檸檬 聖橋から放る 
快速電車の赤い色がそれとすれ違う 
川面に波紋の拡がり数えたあと 小さな溜息混じりに振り返り 
捨て去る時には こうして出来るだけ 遠くへ投げ上げるものよ              
——さだまさし作詞・作曲『檸檬』

梶井はレモンを「爆弾」に見立て、
高村は愛妻・智恵子の死にレモンを登場させる。
そして米津やさだが奏でるメロディーは
「悲しみ、苦しみすべてを愛した人の記憶」や「恋人との別れ」と
いった感傷的な音符を書き込んでいる。

テーブルを見れば、冷えたレモンサワーの泡。
ふつふつと何を語るのか。



男たるものが……

2021年07月18日 06時00分00秒 | エッセイ


      おい、おい、おい。
      待て、待て、待て。
      なに!男が化粧をするだと。
      ファンデーションを塗り、眉を書き、
      アイラインを入れるだと。
      「待て」と言ったら待て。
      化粧は女がするものだろうが。
      男たるものが、たいがいにしろ。
      俺の祖父や父の時代だったら、
      たちまち「打ち首ものだ!」と声を荒げたに違いなく、
      この俺だって「ああ、なんて世だ」と嘆きたくなる。

          

      何気なく押したテレビのチャンネル。
      何と若い男性が眉を書いている場面が映し出されていた。
      ぎょっとして、妻に「今時の若い男連中は眉を書いとるぞ」
      そう聞いてみたら「珍しくもありませんよ」
      なんて言うではないか。
      少々の憤りを込めて、見続ける。
      画面の右上には『ビジネスマン専門のメイク塾』とある。
      メイク術を教えている女性がこんなことを言っていた。
      「営業マンは、眉をきりっとしていた方が、
       相手に好印象を与えます。それで商談を
      うまく進めることが出来るはずです」
      そして、もっときりっとした印象となるため
      「アイラインを入れろ」というのである。
      精悍な顔色とするには、ファンデーションも欠かせない。


      馬鹿者! 見かけで仕事をするのか。
      いの一番に大事なのは内面にある人柄ではないのか。
      それに加えて、たゆまぬ勉学で身につけた
      知識、知恵ではないか。
      容姿を武器にするなんぞ、男の風上にもおけない奴らだ。


      ちょっと待てよ。
      記憶の中に、引っかかることがある。
      急いで調べてみたら、やはりそうだった。
     
                 

      あの雅な平安時代、貴族は権威を見せつけるため
      おしろいを塗っていた。
      当時、おしろいは広く普及しておらず、
      高貴さの象徴だったらしい。
      そして勇猛果敢な戦国武士もそうだったという。
      戦いに敗れた時、敵に醜い姿を見せないよう
      顔を白くしていたというのだ。

      平安貴族にしろ戦国武士にしろ、
      おしゃれが目的ではないにしても、
      これらが男性化粧のルーツとされている。
      何ともまあ、男性の美意識、〝化粧男子〟は
      今に始まったことではなかったのである。

      何だか気合いが抜けてきた。
      好きにやってくれ。
      男が化粧しても国が亡びることはあるまい。
      中島みゆきの、あの悲しい「化粧」を聞くとするか。

渡り上手

2021年07月09日 06時00分00秒 | エッセイ

    幅が3㍍ほどしかない信号機付設の小さな横断歩道。
    両側に合わせて5、6人ほどの人が
    青信号に変わるのを待っている。
    そこへ中年の男性がやって来て、
    左右車が来ていないのを確かめると、
    信号が変わるのを待たず、スタスタと渡って行った。

          

    よく、〝世渡り上手〟という。
    持ち前の要領の良さとコミュニケーション力で、
    世間でも会社でも人間関係に苦労することなく、
    楽々やっていける。
    また、物事に対する優先順位を付けるのが上手で、
    今何をすればよいか瞬時に判断して取り組む。
    普通、このような人を指す。
    周辺にも結構たくさんいる。
    件の〝信号無視氏〟もそのような人で、
    あるいは会社においては要職にある人なのかもしれない。

    「何の危険もない。誰にも迷惑をかけない。
    そうであれば、青信号に変わるのを待つのは時間の無駄。
    そんなわずかな時間を他の意義のあることに使った方が、
    世の中とまでは言わないが、たとえば自身の仕事を
    効率的に進めることに役立つのではないか」

    そう言われれば、「なるほど」と頭を下げるだけで
    非難の言葉は投げにくい。そうは思う。
    だが、どこか割り切れなさが残るのも確かだ。
    そんな要領の良さに馴染めない、
    どこか反発したくなる不器用さのせいなのかもしれない。


    テレビドラマでの話である。
    ある出版社の社長が、夜更けの交差点で信号待ちをしていた。
    右を見ても左を見ても車一台見当たらない。
    渡ろうと思えば、何の危険もなく渡れるはずだ。
    だが、その社長は信号が変わるのをじっと待っていた。
    そんな様子をたまたま見かけた社員が翌朝、
    「渡ろうと思えば渡れたはずなのに、
    なぜ渡らなかったのか」尋ねた。
    それに対する社長の返答は、たった一言だった。
    「徳を積んでいるのだよ」
    いまだによく理解できないでいるのだが、
    心のどこかにわずかばかりの共感を覚えるのである。
 
           
    
    もし自分に幼い子がいたら、どう教えるか。こうに違いない。
  
    「たとえ小さな横断歩道でも、信号機があるのであれば、
        信号が青に変わるまでしっかり待って渡りなさい」