Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

爺・婆つれづれ①

2021年08月29日 09時55分44秒 | エッセイ

           孫君ご一行様

      細君の機嫌が、きわめて良い。
      今朝もLINEを見ながら、満面の笑顔。
      いつもだと、こちらへ飛んでくる言葉は、
      いささか攻撃的、批判的なものになりがちなのだが、
      ありがたいことに、それがない。
      柔らかく、弾んでいる分、こちらも気分が良い。

      この細君の機嫌をこうまで高揚させる、
      その術を心得るLINEの相手こそ
      大学4年生になった孫息子である。

         

      23歳にもなる男の子が、婆ちゃんとLINEしながら、
      話をするなんてあまり考えられないことだ。
      むしろ、何だかだと言ってくる婆さんは
      鬱陶しい存在になり勝ちで、
      小遣いが欲しくなった時以外は寄り付かなくなるものだ。


      ところが、我が家のこの2人、何だか波長が合うようなのだ。
      このところ、ちょいちょいLINEをしているな、と思ったら
      「ご飯食べにおいで」
      「うん、行くよ」
      「いつ?」
      「えーと27日でどうかな」
      「了解。何食べたい?」
      「肉がいいな」
      こんな具合だ。

      1日置いて、孫からのLINE。
      「大学の友だち3人連れていくけど、いいかな」
      「うーん、と。OK、OK」
      食べ盛りの男の子4人が来るわけだ。
      細君、ますます張り切る。
      こちらは肉や野菜の調達に運転手役で走り回らされる。
      仕入れた肉は、牛、豚、鶏、それにホルモン
      合わせて2㌔ほど。
      これくらいはペロリだろう。

          

      当日。6時半の約束なのに来ない。
      細君、早速「まだか、まだか」のメールだ。
      「余裕で7時には着く」との返信。
      4人全員自転車を連ねてやって来た。

      心身ともはち切れんばかりの若者4人が集い、
      部屋中に活気が溢れかえる。
      挨拶もそこそこに「さあ、肉を食おう」。
      「うまい、うまい」の連発で、
      細君は冷蔵庫から肉や野菜の補充に大わらわである。

      落ち着いたところで、細君も席に着き、
      今度は会話に、まさに花が咲く。
      もともと饒舌な細君は、若者相手でも臆さない。
      笑い、笑わせる。
      こちらはポツリ、ポツリ。

       
     
      いつもは爺・婆二人だけの食卓。
      結構会話はするが、と言っても所詮年寄りの食卓だ。
      淡々と、早い時は5分で食べ終わることもある。
      まあ、味気ない。

      若者4人と一緒の食事。いいなあ。
      「また、ぜひおいで」
      10時半頃、上機嫌で送り出した。

      翌日、孫からのLINE。
      細君には「楽しゅうございました。またお伺いします」
      こちらには「お騒がせしました。
               次は別の友だちと遊びに行きます」
      この「別の友だち」とは、ガールフレンドらしい。

      爺・婆 またまた楽しくなってくる。 




はかない運命

2021年08月21日 06時00分00秒 | エッセイ


    コンクリートの通路にトンボが一匹とまっていた。
    「とまっていた」と言うより群れからはぐれ
    「さて、どうしたものか」と思案気なふうにしている。
    街中でもよく見るウスバキトンボだ。
    けど、近寄って行ってもピクリともしない。
    あー、大切なお役目を果たしたのと引き換えに
    寿命をはかなく尽きさせたようだ。

              

    ウスバキトンボは「精霊トンボ」とも言う。
    お盆の頃になると、日本各地で群れて飛ぶようになり、
    それで南の方からご先祖様の霊を乗せてやってきたのだ、
    そんな言われ方をしているのである。 
    ちょうど、お盆も過ぎた頃だ。
    ご苦労様。このトンボは立派にお役目を果たしたのだろう。


    真面目な話、ウスバキトンボは熱帯原産で、
    毎年4月から5月になると、大群になって渡り鳥さながらに
    南の国から海を越えて日本にやってくるのだそうだ。
    そして、田んぼで卵を産み1カ月ほどでトンボになる。
    そのトンボが日本列島のあちこちに移動し、
    田んぼに卵を産み、そうしながら数を増やし、分布を広げていく。
    ちょうどお盆の頃、日本中で群れをなして飛ぶことになり、
    それが「精霊トンボ」のいわれになっているわけだ。

        

    もともと熱帯のトンボだから寒さに弱い。
    日本の冬を越すことは、とてもできない。
    お盆の空を埋めんばかりに群れをなして飛び回っていた、
    ウスバキトンボは冬の寒さで全滅してしまうのだ。
    彼らは生まれ育った熱帯の地には決して戻れない。
    それでも春になると、再び日本目指して飛んでくる。
    帰ることは出来ないと分かっていながらだ。
    何とも、はかない運命──。


    そう言えば、秋雨前線が1週間ほども居座って
    雨を降り続けさせ、そのせいで気温も下がった。
    ひょっとすると、あの通路のトンボは気温が下がったせいで
    命を落としたのかもしれない。
    そして、それは秋近しを告げていることにもなる。



    亡骸を通路に放っておくのは忍びない。
    家に連れ帰り、ベランダの植木に乗せってやった。
    また来春新しい仲間たちが海を越えてやってくる。






喪失

2021年08月18日 06時00分00秒 | エッセイ


    年を取ると、「喪失」という言葉が一層身に染みてくる。
    まず、「健康」である。
    同年輩の知人、友人と顔を合わせると、
    「体調はどうだ」というのがあいさつ代わりとなる。
    何事につけ経年劣化は避けがたく、
    人の体も、たとえば足腰の関節は
    長年の〝勤続疲労〟で歪んで痛み、
    目の焦点は合いにくくなり、夜の運転は危なっかしい。
    また、五臓六腑のあちこちもやはり〝勤続疲労〟が現れてきて、
    医師は「加齢のせいですな」の一言で片づける。
    その程度で済めばまだしもであろう。
                                       
            

    そして、身辺から人を失くしていく。
    
    いつものように新聞の死亡欄を見て、愕然となった。
    仕事上知り合い、互いに一線を退いた後も
    親交を続けていた方の訃報が載っていたのだ。
    当ブログで『主人在宅ストレス症候群』というものを
    書いたことがあるが、そこに登場していただいた方で、
    一線を退かれてしばらくしてからご機嫌伺いの電話をしたところ
    「妻からやれ掃除機をかけろ、外回りを掃除しろなどと
    命令される日々ですよ。まさに妻の部下となっております」
    そう話され、2人して大笑いしたあの方である。


    確か5月下旬だったと思うが、久しぶりに電話したところ
    「今、入院していましてね。いや大したことはありません。
    間もなく退院する予定です。コロナが落ち着いたら、
    また食事にでも行きませんか」
    口調もいつもと変りなく元気そうだったので、
    すっかり安心していたのだが……。
    確かに、病状はいったん回復し退院されたそうだが、
    再び悪化して再入院、治療を続けた挙句のことだった。


    実は新聞に掲載されたのは、死去されて1週間後のことで、
    すでに近親者のみの葬儀も終えられていた。
    新聞を見るまで、そんなこととは全く知らず、
    お別れの言葉一つかけられぬまま、
    深い慙愧の念に沈むばかりである。
    また大切な人を失くしてしまった。


    定年退職すると、言うまでもなく仕事を失くす。
    伴って人との関わりが薄れていき、ついには人さえ失くす。
    一人また一人と失くしていった挙げ句、
    人との関わりがなくなってしまう残りの人生。
    そんな残酷な余生をどう生きていけばよいのか。
    ひどく悩ましい問題が突き付けられる。

      

    実は、多くの人が同様の悩みを抱えている。
    そのためか定年後の人生をどう送ればよいか、
    その方策を示してくれる本が、書店にさまざまに並んでいる。
    そして、一様に「自らの役割を自ら探し求めよ」とし、
    「まず何らかの『目標』を設定することから始めたがよい」
    などと書かれている。
    個人の趣味でもよいし、できればそれによって仲間の輪が広がり、
    さらにそれが社会的活動につながっていければ
    社会に貢献することにもなるから、さらに良し。
    こうアドバイスするのである。

    「人生100年時代」と言われれば、
    まだ20年余の残余の時間がある。率直なところ長い。
    どうすれば、残りの時間を悔いなく送ることができようか。
    そうそう簡単な話ではないように思えてくる。







大雨、コロナを吹き飛ばせ!

2021年08月17日 06時00分00秒 | エッセイ


     憎々しくも12日からずっと雨が続いている。
     あの最近よく聞く線状降水帯のせいだ。
     15日にいったん雨はやみ、秋空らしい晴天となったので
     近くを流れる御笠川へいつものように
     ウォーキングへ出かけたりもしたのだが、
     そんな晴れ間も1日限り。16日にはまた降り出した。

 
                      この晴れ間も15日だけだった  

     すでに福岡県南部の久留米市や、
     お隣の佐賀県武雄市、嬉野市などでは
     川の氾濫により浸水被害が多数出ており、
     今後も予想される雨模様が心配だ。

     幸い我が家周辺は、今のところ無事に過ごせているのだが、
     油断できない。
     何せ2003年7月19日の豪雨では御笠川が氾濫し、
     近くに建つマンション一階の我が家も
     床上浸水の惨事に見舞われた。
     福岡市の10日間予報はずっと傘マークがついており、
     気の休まらない日が続きそうだ。

     一方でテレビは、コロナの急激な感染拡大を伝える。
     福岡県もまたまた緊急事態宣言されるという。
     まさに大雨とコロナの両攻めだ。
     鬱陶しさは少々どころでなくなってきた。
     なんとかならないものか。

                        
           69年ぶりの甲子園勝利─長崎商

     この鬱陶しさから逃れるすべを、
     前川清ではないが「探し探し求めて」いたところ、
     郷里・長崎県代表の長崎商が、
     69年ぶりの甲子園勝利という嬉しいニュースだ。
     生まれ育った地への思い入れは、いまなおであり、
     「やった、やった」は当然のことだ。
     実はこの長崎商、大正14年夏に初出場して以降、
     夏8回、春2回出場しており、
     1952年の夏の大会ではベスト4にまでなっている。
     今度が5年ぶりの出場なのだが、
     そのベスト4になった1952年以来の勝利なのである。

     この長崎商ほどではないが、
     我が母校・長崎西も夏3回、春1回出場し、
     1951年春の大会ではベスト4になっている。
     そうすると、1951年春には長崎西が、1952年夏には長崎商が、
     それぞれベスト4になっているということか。
     まったく記憶はないが、1951、52年というのは、
     長崎県の高校球界は大いに盛り上がったことだろう。
     ついでに言えば、2006年春に準優勝、
     2009年春には見事優勝しているのが清峰高だ
     我が長崎県もやる時はやるのである。

     長崎商にもこの鬱陶しさを吹き飛ばしてくれる
     快進撃を大いに期待したい。頼むよ!





雨 雨 雨

2021年08月13日 06時00分00秒 | まち歩き


     朝の出がけ、8時少し前。
     フロントガラスにポツリポツリ。
     見上げれば雲が黒く厚い。
     でもワイパーを動かすほどではない。
     動き出し、そのまま走る。
     ポツポツポツと少し繁くなる。
     ブレーキを踏むと、ルーフからすすっーと
     フロントガラスへと滑り落ちてくる。
     やっとワイパーを動かし始める。


     車を駐車場に入れ、
     車に置きっぱなしにしていた傘をさし社へ急ぐ。
     傘を打つ雨音は弱い。
     だが、スマホの雨雲レーダーは
     間もなく本降りになるとしている。
     机上のPCを触りながら、窓越しに見れば
     雨粒は確かに大きくなってきた。
     間断なく落ちている様がはっきり見える。



     12時少し前、雨中の街を行く。
     昼食はどこにするか決めぬまま、歩きながら考える。
     こっちの角を折れ、あっちの角を曲がる。
     容赦ない雨。靴はすっかり濡れてしまった。
     帰ったら陰干ししなければ……そんなことを考え、
     ただ、ほっつき歩く。


     ここにしよう。
     やっとたどり着いたオムライス屋。久しぶりだ。
     言うまでもなく、この店はオムライスがメインだが、
     それは注文しない。
     以前からこの店では鮭チャーハンと決めている。
     ただ、少し味が落ちたような気がする。
     調理台に立つおばさんを見ると、
     ぽっちゃりとした、若い頃は随分モテただろう
     可愛い顔つきは以前と同じで変わっていない。
     この店はカードは使えない。現金だけだ。
     1000円札を置き、200円受け取って店を出た。
     雨は降り続いている。


     銀行に寄りATMから少しばかり引き出す。
     また、雨の中を当てもなく歩き出す。
     雨が靴下まで染みてきた。ズボンの裾も濡れている。
     それでも歩き続ける。商店街へ寄ってみよう。
     本屋をのぞいたが、読みたい本がない。

                             
     
     なんでこんなことしているのか。
     自分でも分からない。こんなバカはよせ。
     言い聞かせ、今度はそそくさと
     足早に駐車場へと急いだ。
     エンジンをかけると布施明の歌が流れ出た。


     家のテレビは「秋雨前線が居座り、
     九州では2018年の西日本豪雨並みの
     大雨になる恐れがある」と注意を呼びかけている。
     もちろん、雨の中を歩くバカはしない。
     家に篭っておくことにする。