Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

ネクタイ

2021年04月28日 17時00分00秒 | 思い出の記

      クローゼットに下がっているネクタイは、
      数えたことはないが、20本ほどあるだろう。
      その多くは会社の前社長の遺品であったり、
      仕事上お付き合いのあった方からのいただきもの、
      そんなものが大半で、自分で買ったものは多くない。
      第一線をとっくに退いた現在、
      出勤するのはほぼ週3日だし、
      加えて最近はクールビズということで、
      ネクタイを締める機会はうんと減っているから、
      20本ほどだと言っても、どんなものがあったか
      すぐには思い出せなくなっている。

         

      それで終活も兼ねて、ちょっと整理してみることにした。
      驚いたことに、実際に使い、
      あるいは「今日はこれにしようか」という気になりそうなものは
      5、6本に過ぎなかった。
      この際整理してしまっても構わない、
      そのようなものばかりだ。
      それらを1本、1本並べていったら、
      あるネクタイに手が止まった。
      「ああ これは絶対に捨てられない」
      24年前のことを、このネクタイが鮮明に思い出させた。
      それは2人の姉からのプレゼントだった。


      私の長女の連れ合いは香港の人である。
      そのため、福岡で挙式、披露宴を済ませた後、
      香港でも改めて披露宴を行ったのである。
      その香港の宴に2人の姉を招いた。
      海外旅行が盛んな時代、
      しかも香港は日本人に人気があったから
      姉たちは海外旅行気分で披露宴に出席したに違いない。

      
      
      おまけに長女と次女の姉たちにすれば、
      8つ、あるいは6つも年下の、それも末っ子の私は
      小さい頃からとても可愛い弟だったと思う。
      その可愛い弟の娘が結婚し、香港に招いてくれたのだ。
      余計に心が弾んだことだろう。
      実際、2人は宴が始まる前、私を会場となっていた
      ホテルのショッピングモール中あちこちと連れ回した。
      もちろん、自分たちのショッピングのためだったのだが、
      それを一通り終えると、
      「2人でネクタイをプレゼントしようかな。
      さあ、自分で選んでみて」
      笑顔を見せながら言い出した。
      ネクタイが欲しいなんて、まったく思っていなかったから
      戸惑ってしまった。
      だが、2人は「ほれ、遠慮せずに」と背中を押す。
      それで、ネクタイ売り場に行き、あれこれ品定めすることなく、
      目の前にあった1本に「これでいいや」と決めたのだ。
      すると今度は、
      「それじゃ、そのネクタイに変えてみたらどう」と言う。
      結局、披露宴はそのNINA  RICCIを締めたのだった。

      いささか地味。今、手に取って見ればそんな感じがする。
      だからか、このネクタイを締めたことはあまりない。
      だが、捨てもせずこうして残しているのは、
      やはり姉に対する、ささやかながらの感謝ゆえであろう。
      容易には始末できない。

                 
      
      下の姉は、交通事故ですでに他界している。
      6人兄弟姉妹のうち、私と2人だけになってしまった
      上の姉は長年の闘病生活である。
      このネクタイを見せれば、
      24年前のあの日のことを思い出してくれるだろうか。
                                 
                                        楽しかったね!!




無事でよかった

2021年04月26日 09時56分28秒 | エッセイ


      マイカー出勤途中の出来事である。
      シルバーマークをつけた僕は、
      いつものように歩道側の左車線を
      40キロちょっとで走っていた。
      車間距離もたっぷり取っている。
      危険な要素はない。
      そう思いつつ、心身ともリラックスしていた。
      と、突然——中学生らしき少年が乗った自転車が、
      段差のある歩道を踏み外し、
      まさに目の前に転倒してきたのである。

          
      「あっ」という声と同時にブレーキを踏んだ。
      「キーっ」鋭いブレーキ音が上がる。
      一瞬目をつぶった。
      やおら、目を開くと少年は、
      自転車を持ち上げるようにして起き上がり、歩道へ上がった。
      よかった。怪我はなかったようだ。
      そして、こちらを見て、少し照れたような表情で頭を下げた。
      こちらもフロントガラス越しに「大丈夫か」と仕草で尋ねる。
      少年はもう一度頭を下げ、去って行った。


      心中のかすかな震えは続いた。
      「子供を傷つけずに済んだ」その安堵感が満ちてくる。

      「どこの、どんな子にも傷一つ負わせてはならない」
      そんな思いが常にある。
      車で小学校沿いを走る時など特に注意するし、
      近くの川や公園で遊んでいる子供たちを見ると、
      「危険がないか」そちらへ気がいく。
      そうだから、自分の子を虐待するといった
      ニュースは容易に信じることができないし、
      テレビや映画の中で子どもたちが幸せであれば、
      こちらも幸せな気持ちになる。
      その逆もそうで、いずれの時にも涙を流すことさえある。

      今、僕の最大の幸せは孫たちが病気も、
      怪我もせず元気でいることだ。

      自転車の少年を傷つけずに済んだ。
      さらには、少年の命を奪うといった最悪の事態も免れた。
      78歳ながらの反射神経に、秘かに感謝する。
      もちろん、慢心を厳に戒めて——。


散り散りの時代

2021年04月24日 12時54分09秒 | エッセイ

      定年から平均寿命まで生きるとして20年余。
      「人生100年」時代であれば、さらに長らえるかもしれない。
      長い──それをどう生きていくか。容易な話ではない。
      おまけに新型コロナウイルスによって、
      これまで慣れ親しんできたライフスタイルは
      大きく変えざるを得ない。
      人の移動は制限され、知人、友人と
      気軽に会うこともままならず、
      娘や孫たち家族との行き来も遠慮がちになる。

       
      ビジネスの世界を見れば、クライアントの元に足繫く通い
      実績を上げていた営業マンは、大いに戸惑わされているし、
      学校ではリモート授業により級友との触れ合いも希薄になる。
      『課長 島耕作』で知られる漫画家の弘兼憲史さん流に
      言えば「散り散りの時代」なのである。

              
      コミュニケーションにおいて、実際に会って
      口振り、仕種、表情などから微妙なニュアンスを
      察知することを大事にしてきた僕なんかには、
      ひどく寂しく、酷な時代だと思えるのだ。
      だが弘兼さんは非情だ。
     「それはごく限られたケースだし、そのニュアンスを
      忖度することは必ずしもプラスになるとは限らない」
      と言うのである。
      そのうえで「これからはビジネス、プライベートを問わず
      ITをうまく利用したコミュニケーションが必要だ」と続ける。
      ITと言われ、僕ら高齢者はまたまた腰が引け気味になる。
      それでも「中高年はITへの苦手意識、
      偏見を捨てなければならない」と容赦ない。
     
      弘兼さんは、高齢者に対しとんでもなく非情な人なのか。
      著作「『老春時代』を愉快に生きる」を読めば、
      そうでないことが、よく分かる。
      本の帯にあるように「『コロナ』で変わった
      『人生100年時代』の歩き方」というものを、
      弘兼流にアドバイスしているのである。

            
      
      定年後の20年、30年を第二の青春時代=「老春時代」と呼び、
      「この老春時代はただ漫然と生きていたのでは訪れない。
      人生の後半期を充実させるために必須なのが、
      ITを上手に使いこなせるスキルだ。さまざまな情報の獲得手段
      としてはもちろん、ビジネスパーソン、家族、友人との円滑な
      コミュニケーションの手段として、
      あるいはエンターテインメントを愉しむ手段として、
      パソコン、タブレット、スマホは欠かせない」
      というのである。
           
           

      またまた難題を突き付けられたような気分なのだが、
      そう言われれば「なるほど」とは思うことも多い。
      弘兼さんの助言に素直に従って、ガラケーから変えたばかりの
      スマホで知人にLINEしてみよう。
           
              
            「元気? 変わりない?」



LOVE SONGを歌いたい

2021年04月21日 20時35分54秒 | エッセイ

      あなたを愛していいですか
      こわれてしまいそう
      すべてを奪っていいですか
      僕のこの手で

      あなたを愛していいですか
      こわれてしまいそう
      すべてを奪っていいですか
      僕のこの手で

Akira Fuse (布施明) - Shimai zaka (姉妹坂) (1985)

      しくしく ズキズキと……この腰の痛さは、
      まるで思いを遂げられない恋の歌みたいに切ない。
      声を上げて助けを求めようもない。
      わずかな救いは、布施明の「姉妹坂」を聞きながら
      痛みを忘れることだ。

      ああ僕も歌いたい。
      LOVE SONGを。
      熱烈な思いを込めて。
      別れの歌であっても、
      そこにある愛を感じたい。

          この痛みと別れたい。



野に 海に

2021年04月19日 06時00分00秒 | 出歩記

          17、18日と久し振りの1泊2日の車中泊。

         

      まずは長崎県大村市にある松本ツツジ園へ。
      ここはツツジと芝桜の名所として知られている。
      個人経営の観光農園で、みかん園の跡地に
      植えた苗が始まりだそうだ。毎年春の開花季節のみ
      一般公開している。




      芝桜、ツツジはやや盛りを過ぎていたが
      可憐なネモフィラは青い海原のように
      風に揺れていた。

      松本ツツジ園を後に、一路有明海へ。
      目指すのは佐賀県太良町の大魚神社の海中鳥居。
      狙いは翌早朝の景観だ。
      道の駅太良がこの夜の宿泊場所で、
      途中、竹崎城址展望台に寄った。

          


      朝5時起き。
      ここには数度来ているが、夜明け時が最も風情がある。
      身支度もそこそこに、道の駅から急ぎ向かった。
      薄明りの空が次第に色を付けていく。
      朱色の鳥居も次第に鮮やかさを増す。

 


 
     
      朝ぼらけの有明の海にしばし佇む。